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ブレーメンの音楽隊と過ごした地獄の夏合宿

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通訳・翻訳者リレーブログ

四季折々の風景を目にしたり、その温度や匂いを身体で感じるたび、必ず思い出す過去のひとこまがあります。

たとえば厳冬。白い息を吐きながら、白銀の世界へと足を踏み入れた途端、瞬く間に引き戻されるのは、カナダでの幼年期。ロッキー山脈の麓の小さな町で過ごした、キラキラとした日々。
そうして真夏。この蒸し暑い季節が巡って来るたび、真っ先に蘇って来るのは、大学4年時、同時通訳クラスの夏合宿……。

新学期開始当初、その同時通訳クラスを受講していたのは、テストに合格した計8人。そう、(私の記憶が確かならば…)映画を観た後に、その内容に関する質問に答えたり、簡単な英日&日英通訳を行ない、それをテープに吹き込み、提出する試験。その後に、現役同時通訳者でもある、同クラスの先生による、英語を交えての面接。その年は、8人に1人という合格率だったと、後日聞きました。偉いこっちゃ。
従って、“同じ学費を払い、授業を受ける権利は同等にあるはずなのに、どうして受けたいクラスが受けられないのか?”“なぜ帰国子女に有利なことをするのか?”等といった意見が、学生側から続出。
“今後伸びそうな、将来性のあるような、自分の後継者になるような、そんな学生だけを集めて指導に当たりたい”…との見解の元、行なっていたテストのようでしたが、大学側からの指導もあり、翌年からは結局、(私の記憶が確かならば…)最低15人は受講できるようにしたようです。余談。

何はともあれ、このクラス恒例となっていたのが、地獄の夏合宿。
その厳しさは、合宿開始前、“これを全部聞いて、ちゃんと予習しておくように!”…と、箱2つに丁寧に詰め込まれたカセット・テープを、事前に計20数本渡されたところから、いきなり始まっていました。
録音されていたその内容は、テレビ等で実際に行なわれた同時通訳、著名人によるスピーチ、ひたすら数字羅列のテープなどなど。日英&英日、半々ほど。
つまり、要約すると、“眩暈のするような内容の録音テープ山盛り”なり。

そうして、その“現場”となったのは…
長野県内の某湖畔近く、小高い丘の上にある小農場。そこにぽつりと建つ、こぢんまりとしたロッジ。すぐそばの木々の下では、羊や山羊や馬やうさぎやニワトリ達が、のんびり草花をムシャムシャ。放し飼いの彼等は、「ブレーメンの音楽隊」よろしく、“なにやってんのぉぉぉ〜?”と、中で唸っている私達の様子を覗き込んでは、何やらヒソヒソ会議を開いてばかり。

し…しかし……
覗かれた私達は、泥棒でもなく、酒盛しながら金貨を分けていたわけでもなく、その中に引きこもり、来る日も来る日も、ひたすら同時通訳の訓練を受けていたのでした。

そう、約6日間、食事と風呂とトイレと睡眠時間以外は、ヘッドフォンをつけながら、ひたすら通訳・通訳・通訳の日々。
その食事中も、“あなたのあの時のあの訳し方だけどさぁ〜”などと、獄中の監視員…もとい…合宿の先生に、あれやこれや言われながらだった為に、心休まる瞬間など無いも同然。
そうして言うまでもなく、外でウロウロしている音楽隊と、戯れる時間も一切なし。

おまけに、当初8人いた受講生も、脱落やら海外留学やらで、結局この夏合宿に参加したのは、僅か5人。
と言うことで、先生に指されたと思ったその直後に、また指される…という、とんでもない状況。再び順番が回って来るまでに、ちょっとひと息入れる…などと悠長なことをやっている間もなし、緊張しっ放し。
おまけに、自信のない箇所=指されたくないと思う時ほど、見事に指されるという始末。たぶんそういう時は、目が怪しげに泳いでいるか、泣き顔になっているか…の為、ベテラン先生はきっと、簡単に見抜いてしまうのでしょう。でも、そういう人を敢えて指すというのも、ちょっとひどいよなぁ……なーんて話は、今更さて置き…。

その通訳をするたびに、“コメント”が返ってくるのですが、これがまぁいつも、もう開き直り、笑って遣り過ごさないと(あくまでも心の中で…ですが)、どうかなってしまいそうな、そんな辛辣極まりないものばかり。
でも、でも、それ以上に辛かったのは、その辛辣なコメントすら頂けずに、“はい、次の人っ”…と、完全に無視される時。あれは痛かったなぁ〜。

そんな日々の中、唯一息抜き出来たのは、中日に行なった湖畔サイクリング。それも、アシスタントの先生と共に。まるでこちらが脱獄しないよう、監視する役回り(苦笑)。まぁとにかく、要するに“手厳しい先生相手に、君達も大変だろうけれど、まぁひとつ後半戦も、頑張りたまえ”…と言うことだったのだと思います。
そうして最終日には、無事終了の“ご褒美”として、希望者のみ、乗馬もやらせて貰えました(私はもちろん、やりましたよ!)。

卒業後、先生の助手&受講生達の指導という名目で、先生に呼び出され、この夏合宿にお邪魔したことが、2度ほどあるのですが、その時に結局やったことと言えば、現在の自分の仕事の内容&経験談を、ちょっとだけ話した程度。あとは受講生が真剣なまなざしで、特訓を受けているすぐ外で、音楽隊と芝生の上に横になりながら、信州の澄み切った青空をボーッと眺めたり、乗馬に興じてばかりいました。同じ場所でも、当時は“監獄”に感じられたのが、その時はまるで別世界に思われたのですから、おかしなものです。

その後、合宿場を都内に程近い某所へと移し、規模を縮小しながらも継続中…と聞きましたが、現在はどうなっているのでしょう。

数年前、久しぶりに“現場”近くへ立ち寄ったついでに、当時の場所を辿ろうとしたのですが、結局分からず仕舞いでした。

あれから20数年が過ぎたいま、私の心の中に鮮明に残っているのは、あの澄み切った青空と、それから可愛いロッジと愛らしい音楽隊の動物達だけ。大変だった地獄の特訓自体の記憶は、年月の流れと共に、朧げになってきています。

それでも、心底ありがたく思っているのは、あの夏合宿を経験したことで、とても大切なものを、ひとつ得られたこと。
それは……

“どんなことがあっても動じない心”

そう、あの緊張感溢れる、恐怖に満ちた、スリリングな日々に耐え抜いた結果、心臓に毛がボサボサ生えました。

会議通訳者や、ブースに入る同時通訳者にはならず、英語をコミュニケーション・ツールのひとつとして使いながら、音楽家の宣伝活動に従事するようになった私ですが、現在どんなアーティストと接し、どんな状況下に置かれようと、よほどのこ

がない限り、緊張せず慌てずあがらず、楽しく仕事が出来ています。
それは、あの蒸し暑い真夏の数日間で得た、最大の収穫であり、通訳者・言葉を繰る者としてのスキル云々以上に、私にとっては、かけがえのない財産となっています。

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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