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スーパー・スターたちの光と影

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通訳・翻訳者リレーブログ

この10日間ほど、同業者の友人と、“80年代ポップス・ヒット〜ボックス・セット”収録曲(今夏リリース予定)の対訳作業に取り組んでいます。

1曲1曲、懐かしく聴き入りながら、訳しているのですが、そんな最中に、マイケル・ジャクソンの訃報が入ってきました。
そう、彼こそは80年代を代表するアーティスト。独創的な歌、踊り、映像で、それまでの音楽シーンを変えた“KING OF POP”。
ジャクソン5時代と華やかなソロ前半期を、いちリスナーとして、そうして後半期を音楽雑誌編集者として、すべてオンタイムで聴いていることもあり、書きたいことが色々とあります。
しかし、やめました。
なぜなら、私は彼のパーティーや新作試聴会に参加したことがあるだけ。彼にインタビューしたこともなければ、立ち話をしたことすらありません。彼にまつわる話も、当時の担当ディレクターから聞いたり、内外の音楽雑誌に掲載された、記事を読んだことがあるだけ。その程度の私が、彼の心内や生活について、憶測だけで語るのは、非常に醜いことですし、この世界のルールに反します。

私に唯一許されることがあるとしたら、それはマイケルと同じように、ワールドワイドな成功を収めたアーティストで、私が接してきたことのある人達について語りながら、彼のことに思いを馳せることだけでしょう。
もっとも、マイケルほどのことを成し遂げたアーティストは、他にはいませんから、他の誰かを引き合いに出したところで、それがどれほどの意味があるのか、私には何とも言えないのですが…。

とにかくです……

“みんな優しく接してくれるし、好きだって言ってくれるけど、その人が自分のことに興味があるのか、それとも自分のカネに興味があるのか、頭の中が混乱してしまうことがよくあるんだ”。
“いつも大勢の人達に囲まれているけど、自分のことをちゃんと思ってくれている人が、この中に何人いるんだろうとか、そういうことを考え出すと、キリがなくて、無性に寂しくなるんだよね”。
…これはある大物スターが、録音テープが回っていない時、雑談中にポツリと口にした言葉。その瞬間を、その時のその人の表情を、今でもよく覚えています。

頂点に立つ者にしか分からない孤独感、重圧感、苦悩。それは半端ではないのだと思います。

どの山をどのようなペースで登るかにもよると思いますが、しかし上を目指せば目指すほど、そして実際に登れば登るほど、その歩みはきついものになっていきます。楽しいことと同じくらいの苦しみも、待ち受けているのだと感じます。

“本当はさ、好きな時に好きな内容のアルバムを、好きなだけの時間をかけて作りたいのに、何年に何枚って必ず出さなきゃいけないから、正直シンドイと感じる時もある”
…このセリフ、何度聞いたことか。
そういう契約を交わしているわけですから、仕方がないと言えば仕方がないのですが、でも大変だと思います。

そうして頂点に立った者は、そこに立ち続けなければならないわけです。
その一環として、長いツアーがあります。何か月、場合によっては何年もかけて、世界中を廻るわけです。休みなど殆どなく、家族や親しい友達と会う機会も皆無です。

“ツアーってさ、ホテルかコンサート会場にいるか、移動しているか、そのどっちかなんだよね。自分がいま何処にいるか、時々分からなくなるし、ストレスも溜まってくるから、意味なくメンバーとぶつかったりして、それで何度バンド解散の危機に直面したことか”。

ファンからの期待はどんどん大きくなり、スタッフからの要求も、どんどん増していきます。より規模の大きなステージ、よりクオリティーの高い作品、より大きなヒット作…。

“売れれば売れるほど、いつの間にか、周りのスタッフの数も増えるし、そうなればなるほど、誰が誰なのか、全員のことなんて把握できなくなって、色々と大変になってきて、肝心の創作活動にも没頭し辛くなる”…と言ったミュージシャンもいました。

スタッフにギャラを持ち逃げされ、あとに裁判沙汰となり、活動を休止せざるを得なかった人気バンドもいます。
長年信頼してきた人だっただけに、当時そうとう落ち込んでいました。

インタビュー中、目の前で鎮痛薬を、立て続けに口に放り込んでは、ボリボリやっていた人気シンガーもいました。あの時は本当に心配になりました…。
どういう理由があって、あれだけ口にしなければならなかったのか、私には分かりませんが、若くして、シングル曲が大ヒットしていた頃だったので、プレッシャーもそうとう感じていたに違いありません。
しかし、それ以降にも何度か会っていますが、ボリボリやっていたのは、その時だけ。ですからその後、プレッシャーや新しい環境と、うまく付き合う術を見出したのでしょう。

そう、言うまでもありませんが、頂点に立った者がみんな、大変な思いをし、悲しい結末を迎えるわけではありません。
先のボックス・セット収録アーティストでも、“いまどうしているのだろう”という人もいれば、いまでも現役で頑張っている人も、同じ数くらいいることに気づきます。

うまく生きている人と生きられなかった人。その違いが何なのか、私には分かりません。
ただ、色々な人達と接して思うのは、やはり資質の違いは確実にあるということ。生き残っている者は、やはり頑固で意志が強く、まるでブレていない。良い意味で器用で利口で、生き方上手です。
逆に、頂点を目指し始めたばかりの若者なのに、“もうやってられないよ!”と駄々をこねていた人もいました。その時はさすがに呆れ返り、“いまからそんなこと言っていて、どうするの?”…と、説教を始めてしまいましたが…。

長いキャリアを誇る人に共通する、もうひとつの要素。それは周囲のスタッフに恵まれているということ。
それから忘れてはならないのが、心を預けられる親しい人、家族や恋人や友人。そのような存在は、とても大きいと思います。

しかし哀しいかな、真のアーティストとはなかなか難しいもので、そういう安心や安定を求めていない人が結構多い。独りで、ギリギリのところで、スレスレのことをやっていて。だからこそ、素晴らしい作品を生み、人々を魅了してやまないわけです。

環境を変え、危うい精神状態から脱した代わりに、それ以降は、それまで作り出してきたような魅力的な作品を、生めなくなってしまったアーティストも知っています。
“創作意欲が湧いてこないんだよね”と言いながら、“可もなく

可もないタイプの曲”を作りつつ、それでもとても幸せそう御本人を眺めながら、これは喜ばしいことなのか、悲しむべきことなのか、心はちょっと複雑でありました。

そういう意味では、マイケル・ジャクソンは、最期の瞬間まで、真の表現者、アーティスト中のアーティストだったのだろうな…というのが正直な気持ちです。

マイケル・ジャクソンの死により、ひとつの時代が完全に終わったことを、いま実感しています。
彼の新作を今後聴くことはないのだと思うと、とても悲しくなります。しかしその曲と歌声は、その作品の中で永遠です。そう考えると、少しは救われる思いがします。

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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