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ふたつの素敵な写真集

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通訳・翻訳者リレーブログ

芸術家とは、その時代に引っ張られるのではなく、その時代を引っ張るぐらいでならなければ、“本物”とは言えません。

真の芸術家は、本当に自己本位です。憎いほどにワガママで、憎いほどに頑固。やりたいことを、やりたい時に、やりたい時間だけ掛けて、やってのけてしまいます。
ひとつの世界で、ひとつの香りや色彩を放ち、こちらがそれを五感で愛で、魅せられていると、“相手”はいつの間にか、別の世界で、別の何かに熱中し始めています。“今度は何にこころ奪われているのだろう?” 慌てて其処へ駆けつけるのですが、辿り着いたその先に、相手の姿はもうなく、また次なる世界で、別のものを紡ぎ出そうとしている…。

まるで蜃気楼。創り手と受け手との、永遠の追い駆けごっこ。
驚かす側と驚かされる側。芸術家とファンとは、そんなこころ弾む想いで繋がっている、素敵な関係にあるのです。

時代に迎合したり、風の流れに乗っている限り、それは単なる“流行りもの”、商業主義に走った偽物に過ぎません。ミュージシャンはこれをよく“悪魔に魂を売る”…などと形容しますが…。持ち上げられるのは、ほんの一瞬のこと。飽きられ忘れられるのも、あっという間。儚くも哀しい世界です。

芸術家は、同じところに居続けていては、駄目になります。
ひとつの“色”や“世界”を築き上げ、脚光を浴び認められると、それに固執し、そこに安住しがちです。しかし、それでこころ満たされているようでは、芸術家としては問題です。生み出す作品は、痛々しいまでに、どんどん精彩に欠け、退屈でつまらないものになっていきます。

過去ではなく、未来を生きなければ、人を魅了する芸術は生めません。今あるものを取り壊し捨ててでも、先にあるものを掴まなければならない、そんな時もあるほど。それくらいの姿勢で挑まなければ、乾き萎び色褪せていきます。
自分の殻を破り、脱皮し、進化し続けなければなりません。どんどん膨らみ、変化し、自分の世界を広げていかなければなりません。
それができなければ、その人はそこで終わりです。

敬愛する人気若手風景写真家、吉村和敏氏の、先日発売されたばかりの写真集2作、まるで異なるそのふたつの世界を、ゆっくり紐解きながら、改めて思いました。

いやはや、今回もまた、やらかしてくれました……

               ◇◇◇◇◇

『Sense of Japan』

カナダやヨーロッパの風景を追い続けてきた氏が、キャリア20年にして、初めて故国にレンズを向けた、記念すべき作品集です。

ひとつの場所に、古きものと新しきものとが混在し、異質のものが寄り添う、日本独特のありふれた風景。ともすればそれは、“醜い風景”にも感じられますが、しかし氏は“これこそは日本の個性”と捉えます。そうして3年近くの年月をかけ、全国を旅して回った後に、撮り溜めた写真たちを、“雪”“軽トラック”“黄色”“祈り”の4つのテーマに分け、1冊のアートブックにまとめ上げました。

豪華大型版、高級紙を使用しており、これがまた、水墨画のようなこの独特の世界を、より一層引き立てています。

しかし、光と風と色彩と音色に溢れた、抒情的で繊細で詩的な、これまでの作風は、ここにはほとんど存在しません。
新しい世界に挑みながら、悪戯っぽいその目で、“ファンをちょっと驚かせてみよう”“彼らの期待を裏切ってみよう”“みんなどんな反応をするだろう”…と言う声が聞こえてきそう。そういう空気が、其処此処に漂っています。
それでいて、そこには氏の世界観が、確かに息づいているのですから、不思議なものです。

芸術家とは、何かを介して、そのこころ内を表現する人たちであり、つまりそれは、周囲の“雑音”とは関係のないところで、生まれ育まれるものであるはず。そういう意味でも、この作品には、氏の今の想いがのびのびと表現された、とても心地好い世界が展開されています。

“新しいことをやりたい”と思ったとしても、その作品や方向性に対し、少しでも迷いを感じたり、自信がなかったり、どうしても周囲の声が気になったりと、こころのどこかが揺らいでいると、それは必ず、痛いほどに、その生み出したものの中に表われます。しかしこの作品からは、そういう揺らぎは微塵も感じられず、それどころか、“ほら、見て! やったぜ!”…という自信に満ちた声が聞こえてきます。

そうして何よりも、日本中を旅し、こころに響いた風景を、温かなまなざしで包み込み、そうして切り取るその過程を、心底楽しんでいた様子が伝わってきて、それは眺めているこちらをも、幸せな気持ちにしてくれます。

               ◇◇◇◇◇

『フランスの美しい村』

“フランスの美しい村”協会が認定した、150 の村々。そのひとつひとつを、5年もの歳月をかけ、こつこつと訪れては、写真に収めていった、これはその集大成。すべての村が網羅された書物は、これが世界初…なのではないでしょうか。
それぞれの村を紹介したHPの案内と、分かり易い地図つき。
写真集でもあり、詩集でもあり、ガイドブックでもあり、参考書でもある、とても贅沢な1冊です。

これだけの数の村々を最後まで辿り、これだけの数の風景と、これだけの表情を撮り続けてこられた、その根性、根気。ひとつのことに熱中し、それを追い続けられる、頑強な精神と肉体…。
初めて足を運ぶ村。それもフランス語しか通じない地。不安、焦り、戸惑い、苛立ち、憤り…。撮り続けてきた日々の中、色々な想いに、こころ折れそうになったこともあったのでは。それはもう、こちらの想像を遥かに超えています。

5年もの歳月、約240ページもの写真と文章。
とても、とても、重い……。

人は歳を重ねれば重なるほど、逆に、感動する瞬間や出逢いが、減っていきがちです。色々なものを見て、色々なことを経験すると、ややもすれば臆病になったり、慎重になったりし、守りに入り、無難な道を選ぼうとします。
しかし氏の場合は、キャリアを積む中で、こころにゆとりや潤いが生まれているのか、良い意味での自信とプライドが育まれているのか、未知なる世界への探求心が高まり、その歩みは、ますます頼もしいものになっている気がします。

それにしても、取り組みたい対象やテーマが、次から次へと生まれる、この豊かな“発想の泉”は、どこから湧いてくるのでしょう。
いたく感服いたします。

夢中になれる対象と出会い、そうしてその対象を

い続けられる、ぶれない姿勢と強い意志を持つ者は、とても幸せであり、とても凛々しい。

               ◇◇◇◇◇

このように、独り、見知らぬ世界へと足を踏み入れ、“自分の表現したいもの”を追い続け、挑み続けるのは、並大抵なことではないと思います。自分との戦い、外界との戦い。どこにも属さない、芸術家人生を歩む限り、諸々あるかと思います。
しかし、そういう星の元に生まれた者であれば、それは必ず乗り越えられるはず。そうしてその分、その向こう側にある喜びも、きっとひとしお。

独り歩むその道すがら、その作品をいつもこころ待ちにしている、私たちファンが大勢いることを、時おり、たまには、思い出して頂けると……嬉しい…。

こうして今回の作品たちを眺め、この文章を書いている瞬間にも、もう次のこと、5年や10年先のことを考えながら、きっとワクワクしていることでしょう。

さぁ次作では、どんなことをやらかしてくれるのでしょう……

今後とも、振り返らず繰り返さず、他と群れることなく、時代に迎合することなく、惑わされず流されず、恐れず、未来へと続く扉を、ひとつひとつ開きつつ、先へ先へと歩みながら、ファンを裏切り、翻弄し続けて欲しい。
そうして繰り返し、魅力溢れるその作品世界へと、私たちを誘って欲しい。
こころから、そう思います。

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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