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哀しいかな、売れません……

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通訳・翻訳者リレーブログ

先週&先々週と、ふたつの大きな仕事に取り組んでいました。そんな時、その世界に100%没頭してしまうため、そうとう疲れます。
作業中は、異次元に足を踏み入れているような、何処か幻の世界を浮遊しているような、とても不思議な感覚に陥ります。
そうして旅が終わり、その世界からこの世界へと舞い戻って来ると、深く満たされた想いと共に、とても別れ惜しいような、物哀しいような、そんな想いに駆られます。

とにかく、疲れます。

従ってその後には必ず、数日間ボーッとするようにしています。
ここ数日間も、そんな感じの日々を過ごしていました。

読書したり、うたた寝したり、昼間から風呂に入ったり。
贅沢な時間の使い方、していました。

もちろん外出も。マウンテンバイクに跨り、近所をフラフラと。
でも、“雑踏”が恋しくなり、どうしても、気づくと、駅ビルに足が(…マウンテンバイクが)向いてしまいます。

そうして入ってしまうのは、やはり、レコード屋&本屋。
“どんなものがどれくらい売れているか”“どんな作品がどの場所にどれくらい陳列されているか”
……そんなことばかり、気になって仕方がありません。
結局、気がつけば、仕事のことで、また頭が一杯になっているわけです。

とにかく、この音楽業界&出版業界は、不況で大変。CDや本や雑誌がまるで売れない。まぁ、今に始まったことではありませんが。

“売れないね”“まるで動きがないね”。
業界仲間と話すたび、出てくるのはそんな言葉&溜息ばかり。
それは、国内に限らず。海外の友達とのやり取りでも、似たような感じです。

“みんな生きるのに精一杯。アートにまで、お金を掛ける余裕はない”…と。
それでも欧米では、アートが人々の生活の中に、ちゃんと浸透している気がします。

なぜなのでしょう。

幼い頃からの教育にも、関係があるのでしょうか。
小中高時代を過ごした、カナダや南米の学校の授業は、その点、素晴らしかったですから。

小学校1年の時から、ルノワールやセザンヌやゴッホやレンブラント、ベートーベンやモーツァルトやバッハから始まり、色々な画家や音楽家の魅力に、どんどん触れさせてくれました。
スポンジのようなその年齢ですから、それはもう、その後の自分に大きく影響しています。

南米でも、美術の時間は、凄いと思いました。“なんでもいいから、いま描きたいと思うもの、いま好きなものを描こう!”…というノリで、とにかく自由にやらせてくれていました。
あれは本当に楽しかったですね。
“こう描くべき”とか、理論詰め込みの、頭でっかちな人間育成機関ではなく、五感を磨いて、さぁ気持ち良く…という感覚で…。
例えば、空を“ショッキング紫”に塗りたくっても、“空はそんな色していないでしょう!”と注意されるのではなく、“おぉ、きれいだね!”と褒められましたし。

アートとは、“愛でるもの”“楽しむもの”という空気が、とても強かったのを覚えています。
だからこそ、楽しかった。
楽しいからこそ、親しみを感じ、常に身近なものでした。

そうして近所には、大小のホールや野外会場があり、人々は気軽に音楽を楽しんでいました。同じように、大小の美術館もあり、その殆どは入場料が無料。中で座り込み、模写するのもオッケー。
週末の公園には、アマチュアやセミプロによる音楽の演奏や、絵画の展示会があり、近くで買ったアイスクリームやチョコレート片手に、散歩がてら、その音や作品たちの間を縫って歩くひと時が、とても好きでした。

家の地下室の一角には、レコードプレイヤーが当たり前のように置かれ、居間や寝室の壁には、絵画や写真を額に入れて飾ることも、どの家庭でも、ごく普通にやっていました。

アートとは、そういうもの。特別意識もせずに、物心がつく頃にはもう、日常生活の中に溶け込んでいるのです。

それから欧米では、資産家などの個人や企業や、それから国自体が、芸術家を進んでバックアップし、スポンサーになっていた長い歴史があります。
ところが日本では、芸術や文化は後回し。最後の最後。大事に思ってくれていない、大切に扱われていない。 残念ながら。

それにみんな、醜い音や色や風景に、驚くほどに鈍感。
街中では、色々な騒音や原色が、無秩序に飛び交い、混じり合い、不快極まりない。にも拘らず、苦情を言う人を、見かけたことがありません。

哀しいかな、此処は芸術後進国。本当に貧しい。

“経済的に余裕がないから、そっちまで頭が回らない”…とよく言われますが、でもその理屈もちょっと怪しい。使うところでは、ちゃんと使っていますからね。それに、アートなんて、余裕がなくても、愛でる方法は幾らでもあります。金銭で買うものだけが、アートではないのですから。

“アート”“芸術”などと言うと、“敷居が高い”とか“胡散臭い”と思われることも多々ある模様。2+2=4と、はっきり答えが出るものでもないので、敬遠する人も多いとか。なんせ“分かり易さ”が命のいまの時代ですから…。
“なくても十分生きていける”…と言われたこともあります。まぁ確かに、はい、生きてはいけるでしょう。が、しかし、それではあまりに味気無い、あまりに寂しい人生になってしまうと思いませんか?

この国の人々の間で、“アート”は、優先順位が非常に低いのだと感じます。

アルバムの売上は、とにかく激減しています。
LPの時代は、ジャケットのアートワークをワクワクしながら眺め、それから音に入っていく…という段階を経ながら、ひとつの作品をじっくり堪能したもの。
それがCDというコンパクトサイズになり、現在では1曲幾らでダウンロードするように。音楽=データの切り売り時代です。
それから、かつての音楽ファンは、“この音楽の元となっているものは”“このミュージシャンが影響を受けた音楽は”…などと、その作品やミュージシャンの背景までもが気になり、掘り下げ研究しては、楽しんでいたもの。
それも今ではしなくなりました。
いま最も売れる(…ので、安易に出してしまう)のは、コンピレーションもの。つまりは、“脈略なし美味しいところ摘み食いお子様ランチ”。

プロモーションする、我々の側にも、問題があると思います。
しっかりとした“販売促進”“宣伝活動”はとても大切です。どんなに魅力的な作品でも、その存在やその魅力が世に伝わらなければ、みんなの目や耳に届くことなく、

期間で戻される運命にあります。物凄くもったいない話です。
“ここにこんなに素晴らしい作品があるんだよ!”…と、もっと声を大にしなければなりません。
やり方や工夫次第。可能性は幾らでも残っていると思います。そう信じています。

いま雑誌業界では、内容の見直しをしたある雑誌が売れていて、話題になっています。大きな付録をつけて、売上を伸ばしているところもあります。

先日、丸善丸の内本店内に開店した、“松丸本舗”が、話題になっています。本の陳列に工夫を配した、とてもユニークな一角です。

話はちょっと逸れてしまいますが、
自分の作品を持って海外へ飛び出すのに、少し前でしたら、“向こうに合わせること”が重視され、みんな英語で歌い、英語で表現するのに必死でした。それでもその多くは挫折し、帰国を余儀なくされていました。
しかし今では、“日本らしさ、自分らしさをそのままに”の方が、すんなり受け入れられる傾向にあります。国や街によっては、“日本文化ブーム”さえ起こっています。

閑話休題—。

とにかく、音楽業界では(…でも)、いま試行錯誤を重ねている最中なのです。
新しいこと。新しい試み。発想の転換。工夫。新しい道を開拓し、自らの道を前進するのみです。

早く、この長く暗いトンネルから抜けられますように。いや、せめてこの先、出口の向こう側に、微かな光、明るい希望が、見えることを。
それだけでも、送り手の私たちには、とても心強く嬉しいことなのですが……。

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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