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すべての始まりは1本の電話から

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通訳・翻訳者リレーブログ

木々の葉が紅く染まりゆく、この季節がめぐって来るたび、想い出す光景があります。

大学キャンパス内にひっそりと佇む、薄ピンク色の公衆電話……。

20歳の頃。他県にあるキャンパスから、都内のキャンパスへと移ったばかりの3年時。周囲のみんなが、新しい地にも慣れ、学園生活を謳歌していたその頃、未だ居場所を見つけられず、心躍るようなことも皆無に近く、悶々としていたこの私。
その日もピンとこない授業の連続。“あぁ、何か面白いことないかな”…と溜息吐いてばかり。
ふと覗いたデイバッグの中には、ある音楽雑誌が…。毎月発売日に、キャンパス内の購買会で購入していた、南米滞在中の10代の頃から、定期購読していた愛読誌。
その裏表紙を眺めてみたら、そこには編集部の直通電話番号が…。それを見つめながら、“あっ、そうだ。ここに電話してみて、編集部ってところに、一度遊びに行ってみようかな。何かやれることがあったら、ちょっと面白いかも知れないし”…と、いきなり思い立ったのです。

そうして迷わず、近くの公衆電話へ。で、いきなりダイヤルを回したわけです。

“あっ、もしもし”
“はい、○○○編集部です”
“あのぉ、編集長いらっしゃいますか?”
“どちらさまですか?”
“読者です!”
“お待ちください”
(数秒後)
“はい、○○○ですが”
“あっ、こんにちは。始めまして。毎月楽しみにしている読者です。音楽大好きです。英語できます”
“あっ? ああ…そうなんだ。だったら、一度遊びに来る?”
“え…えぇ〜〜っ? いーんですか??”
“ああ、いいよ”
“い…いつ頃に…ですか?”
“じゃあ明日は、どう?”
“え…え〜〜っ? 明日…ですか? あっ、はい。では明日お伺いします!”
“はい、お待ちしてまーす”

……と、まぁ、だいたいこんなノリの短い電話だったと記憶しています。

話を先へと進める前に、ここでまず、素朴な疑問X2。

疑問その㈰
どこの馬の骨だかも分からんいち読者の電話を、いきなり編集長に繋げてしまう編集部員って、いったいどーいう人?
答え: (後々私の上司となるその人に、後々問い質してみると)その時ちょうど、出張校正に出かける間際で、“あぁヒマだなぁ”とあくびしながら、頭が休眠状態だったところ、突然の電話。
何も考えずに言われたとおり、編集長に電話を繋げてしまった……のだそうです。

疑問その㈪
どこの馬の骨だかも分からんいち読者を、いきなり編集部に招いてしまう編集長って、いったいどーいう人?
答え: (後々私のボスとなるその人に、後々問い質してみると)その時ちょうど、出張校正に出かける間際で、“明日の校正明け、やることないなぁ。何なら代休取っちゃおっかなぁ”…と思っていたところ、飛んで火に入る夏の虫(…実際は秋)。
“ああ、これ、ちょっとヒマつぶしに良いかも”と単純に思った……のだそうです。

……と、まぁ、絶妙なタイミングでの電話だったわけです。

で、話の続き。
その突然の電話の翌日。編集長に言われたとおり、編集部に遊びに行き、社内見学をさせて貰った後、編集長と近くの喫茶店へ行き、“何がいい?”と聞かれ、肌寒い日にも拘らず、アイス・レモンティーを頼み、緊張のあまりガムシロップの代わりに角砂糖を入れてしまい、まるで溶けやしないその角砂糖が、グラスの底に沈むのをボーッと眺めながら、ガチガチになっている私に気づいているのか気づいていないのか、とにかく一方的にしゃべり続ける編集長の話を聞いていた…つもりだったのが、緊張のあまり内容はまるで耳に入っていなかった私なのであった……。

…で、最後にどうしてそんな話の展開になってしまったのか、これまたナゾなのですが、とにかく……
“英語できるんだよね? だったらちょっと、ニュースの欄の英日翻訳でもやってみる?”と言われ、どんな返事をしたかは覚えていないのですが、とにかくその足で再び編集部へ戻り、“来週までにね”と言う約束で(…ぐらいだったと思うのですが)、ニュースの束&原稿用紙を渡されたのです。
その時どういう内容の記事を何本貰ったか、これまたまるで覚えてはいないのですが、でも、その音楽雑誌の名前入りの原稿用紙を手に、心臓が飛び出るほど舞い上がってしまったことだけは、今でも鮮明に覚えています。
ああいう感覚は、ずっと忘れたくはないですね〜。

とにかくです……
その1週間後。字がぎっしり埋まったその原稿用紙小脇に、再び編集部を訪れ、恐る恐る編集長に見せたところ、なぜかとても気に入って貰い、そのままレギュラー陣として、毎月ニュース欄の翻訳を任されてしまったのであります(他にいた翻訳者数名と分担しつつ)。

そうこうしている内に、早くも大学4年生。
みんな例の“リクルートルック”に身を包み、就職活動を始めていた頃。でも私は、あの格好だけはどうしてもしたくないという、ヘンな拘りがありまして…。周囲が目指していた、大手町やら大企業やらには、まるで興味がありませんでしたし。
大学の同時通訳コースと、当時通っていた同時通訳専門学校から得られていた感触から、そのまま何とかフリーの通訳になれるんじゃないかと、呑気に構えていたのです。
いま思うと、それはもう何の根拠もない、非常に安易な考え&無謀な自信によるものでしかなかったのですが、でもとにかくその頃の私は、そんな将来のことなどよりも、何よりも、“これでやっとこの退屈で窮屈な学生生活から脱出できる”という思いで一杯。妙にワクワクしていました。

と、そんな時に。はい、まさに、本当に、そんな時に…です……

上述の編集長に呼び出され、いきなり“卒業後どうする気だ?”と訊ねられ、“適当にフリーで通訳でもやるつもりでいます”と答えたところ、“この間ちょうどひとり、編集部を辞めてしまった。代わりに入る気ないか?”と言われてしまったのです。はい、薮から棒。いや、棚からぼた餅? まぁとにかく、そういうようなヤツです。
何とも絶妙なタイミング。これはもう、神さまが手を差し伸べてくれたとしか、形容のしようがありません。“リクルートスーツが嫌だから、就職活動しないなんて、おまえバカちゃうか?”と言う声が上空からした…気も…ちょっとだけ…しました。
とにかく、そう、まさに、あれです。満員電車に乗り込み、必死で吊革にしがみ付きながら、“ああ、ツイてないなぁ”と思っていたところ、次の停車駅で目の前の人が降り、目の前の

がぽっかり空き、“えっ? わたし座れるの? い〜んですか?”…みたいな、そういう瞬間です。あの時の感覚を、分かり易く説明するならば……。

あっ、余談ですが、
その“次の停車駅で降りた人”は、その後も別の編集部などへ移りながらも、ずっと業界に棲息し続けていることもあり、何かと親切にしてくださったり、心配してくださったりと、とっても良くして貰え、心から感謝しているのであります。

で、話を戻しまして、
その時、気づいたんです。当時私が世界で一番好きだったのは(…いまでもそう変わりはありませんが)、“音楽”であり、“音楽を演る人々”…だということを…。それで、“これはもうやるしかない”と、結局その空席に座らせて貰ったわけです。
ただし、“音楽業界”ゆえ、派手な世界が展開されていたり、人間関係が面倒だったりするかも…とも考えました。でもその時はその時。そう構えていたところ、これが予想外に地味で穏やかで、人間関係もすこぶる良くて…。

やっと自分の居場所を見つけた瞬間です。

そうして、気がついたら7年。
もっと世界を広げたい! そんな風に思い始めていました。もちろん音楽業界内で…の話ですが…。
そうして思いきり、フリーランサーとなり、自分に出来ることは何でもお引き受けつつ、現在に至っている次第であります。

就職活動中の大学3-4年生などに、“いまの仕事をするようになったきっかけは?”とか、“どうすれば音楽業界で働けるのか?”と聞かれるたび、このような経緯を説明するのですが、その都度、“まるで参考にならない!”と冷たく言い放たれてしまいます。
でも、仕方ありません。これが正真正銘、着色抜きの事実なわけですから…。

そうそう、数年前、木枯らし吹く頃に、久しぶりに大学に用事があり、約束の時間よりも30分ほど早く到着してしまった私は、“そうだっ、私の運命を変えてくれた、あの可愛い電話を撫でてこよう。ついでに記念写真も撮ってこよう”と思い立ち、ワクワクしながらその○号館へ向かったのですが、もうその時すでに携帯の時代(冷静に考えれば分かることなのですが)。
其処にはもう、その子はいませんでした。見事なくらい、影も形も、まるでなく。
もっと早くに行っていれば、再会できたかも知れないのですが…。嗚呼、せつなかったぁ……。

それにしても、どうして何の脈略もなく、あの時突然、“編集部に電話しよう”なんてことを考えてしまったのか…。25年ほど経ったいま、どんなに頑張って思い返そうとしても、あの瞬間の自分の心内だけは、まるで思い出せないのです。
思い出せないのですが、でも大学生活に馴染めず、退屈で退屈で、自分の居場所を探し求めながら、悶々としていた自分だけは、今でもはっきりと思い出すことは出来ます。

とにかくあの一瞬で、人生が一変してしまったことだけは、確かです。
あの1本の電話がきっかけとなり、ひとつのものがひとつのものへと繋がってゆき、そうして探し求めていた“居場所”や仲間たちと、やっとめぐり会い、その結果いまの私がいるわけです。

コートの温もりが恋しくなる、この季節になると、想い出すあの日、あの短い会話、そうしてあの公衆電話。

人生とは、本当に本当に不思議なものです。

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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