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持っている人と持っていない人

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通訳・翻訳者リレーブログ

現在公開中の某映画の原作が、一度も読まれずに、本棚の端っこで、埃を被ったままになっていました。先日それを開き、一気に読んでしまいました。
そうして強く思ったのは、“こころが求めたら、求めるがままに、行動に移さなければ。そうしないときっと後悔するし、自分が可哀そう。こころに逆らっちゃいけない、それがどんなことであろうとも”…ということでした。
作家御本人も、そのようなことを後述していました。そうした想いが、そのままその人の現在へと、繋がっているのが分かります。

この小説を読み終えた時、真っ先に、ある親友のことを想いました。
元同僚で、あるクリエイティヴな世界を目指し、頑張っている人です。ところが、しばらく目標に向かい、まっしぐらだったものの、夢半ば、その勉強を一時期中断させていたのです。しかし昨年末頃からでしょうか、またその世界を目指すべく、いま再び、懸命に取り組んでいます。

御本人は、それはそれは色々と大変だと思います。他者には計り知れないほどに、こころ押し潰されるようなこともあると思います。実際、“色々な葛藤があり、ガクンと落ち込み、でもなんとか這い上がろうとした”と言っていました。
従って私のような立場の者が、そのような人に対し、好き勝手なことを言うべきでないのは承知しています。でも先日、その“復活報告”に触れた際、心底ホッとしたのです。“魂には逆らえない”なるひと言を、その人から聞いた時、無性に嬉しくなりました。こころがほっこり温かくなりました。

とても素晴らしいものを持っている人です。あとは“人”と“好機”に恵まれさえすれば…。個人的にも大好きな人なので、私は、とても期待しています。

人生で、自分の天職としっかり巡り会えた人、強く想える“何か”を持って生まれた者は、とても幸せです。凛としていて、美しくて、とても眩しく映ります。その“大切な対象”を愛しみ、その“想い”を大切にしていって欲しい。たとえどんなことがあろうとも、この先ずっと、その道の最後の最後の地点まで、歩み遂げて欲しいと願っています。

やはり自分のこころ、つまりは自分の運命に、逆らっちゃ駄目ですよ!

               ◇ ◇ ◇

先日、大好きな風景写真家のデビュー作を、やっと手に入れました。いまから約10年前に発表された作品集。ずっと在庫切れで、手にすることが出来ずにいたのですが、ここ数年の作家の人気沸騰ぶりに伴い、先日また重重……重版されたもの。

その頁を一枚一枚、ゆっくり捲り、写真を眺め文章を追いながら、ハッとしました。と言うのも、いまの輝きが、このデビュー作の中に、すでに感じられたから。とにかく、立っている。強く真っすぐで、しっかりしている。その丁寧な仕事ぶり、高い志(こころざし)が、こちらに伝わってくる。その辺の作品集とは、明らかに違う。
デビュー作であるにも拘わらず、現在の作品と同様に、変わらず素晴らしい内容なのです。

実はこれ、音楽家にも当てはまることなのですよね。
理論は、学校へ行けば学べます。知識や技術は、キャリアを積む中で身についてゆきます。しかし、それだけではどうにもならないのです。もっとも大切なもの、それは強いて言えば、例えば、“センス”というような言葉で説明できるものかも知れません。そういうものこそが、芸術家にとっては、絶対不可欠なのです。
そうしてそれは、最初から持っている人は持っていて、持っていない人は持っていないのです。つまり、“最初はボヤけていたけれど、だんだんピリッとしてきた”…ということ、そういうような人は、まずいません。あり得ないのです。

始めた当初は、粗削りで技巧が確かではない。思いと結果が合致していない。空回りばかりで、もどかしい。そんなこともあるかも知れません。でもそういう諸々のことは、案外と、その作品自体の“妨げ”にはなりません。
人のこころに訴えるもの、人を惹きつけるものを、持って生まれた者は、たとえ始めこそは、その作品が未熟で未完成で、不鮮明で揺らいでいたとしても、それでも人のこころに、ちゃんと入ってゆけるものなのです。

ただし、
アートの世界は、例えば、スポーツの世界などとは異なり、結果が数字で確実に出るものではありません。数学の世界のように、足したり割ったりの、数式や方程式など成立しなければ、問いに対する答えが、ひとつと言うわけでもありません。“正解”など存在しません。何が“本物”で何が“偽物”なのか、線引きなどできません。
それぞれの受け手の“こころ”や“感性”や、それぞれの価値観に、すべては委ねられている世界です。だからこそ、魅力的な世界なのだと、私は感じています。“理屈”などでは語られないからこそ、たまらなく好きなのです。
と同時に、であるからこそ、とても大変な世界だとも実感しています。つまり、“何かを持っている人”でも、思うように芽が出ない、認められない場合も、多々あるからです。

今回こうして、この写真家のデビュー作を眺めながら、“凄い人は、最初から凄いんだなぁ”…と改めて思いました。ちょっと嬉しい再発見でもありました。
その上この人は、キャリアを積む中で、素敵な出逢いにも、たくさん恵まれてきたのでしょう。その素朴な御人柄や細やかな心配りも、ファンを惹きつける大きな要因になっていることでしょう。そうして言うまでもなく、ここに至るまでの御自身の努力も、半端ではなかったのだと思います。
それすべては、キャリアには欠かせないもの。財産です。これだけの人々を魅了し、いまの地位を築き上げてこられたのもまた、そういった諸々の要素の蓄積の賜物と言えるでしょう。

この人はきっと、写真家になるべくしてなった人。その為に、神さまからたくさんのものを授かり、この世へと送り込まれたのでしょう。このアートの世界には、そういう人が、確実に存在します。

そう言えば……

音楽雑誌編集部当時の編集長は、“潜在能力や才能を見抜く力”に長けており、“ちょっと聴いただけで、持っているか持っていないか、生き残れるか生き残れないか、すぐ分かる”…と、よく言っていたのを覚えています。
“あとはその人の意志と努力。と同時に欠かせないのが、その後の人間関係とタイミング。そういうものに、ちゃんと恵まれるか否か”……と。

“凄いものを持っている人”や、その作品と出逢うたび、こころ躍り、ワクワクします。そうして、“持っているけれど、まだまだ世間に

知されてはいない人”を見るたび、こころ痛み、焦ります。
ですから私は、そういう人の魅力を世に知らしめる為に、その人が必要としている時に、必要としていることを、いまのこの立場この仕事を通して、何か少しでもお手伝いが出来たなら、そんな存在でいられたら…と、常々思っています。

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記事を書いた人

サイトデフォルト

高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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