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なんだか後味が悪いです……

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通訳・翻訳者リレーブログ

公式スーツを着崩すのは、いけないこと…なのかも知れない。
TPOを弁えていなかったと言うこと…なのかも知れない。
20歳過ぎの大人の取るような態度ではなかった…のかも知れない。
オリンピックは競技以外の面も評価される…のかも知れない。

今回の“服装問題”、色々と考えさせられました。

スノーボードは、ヒップホップ文化に深く根づいたもの。その独特で個性的なファッションもまた、このスポーツの一部、“魅せどころ”です。そういう意味では、あれは彼ららしい着こなし。あれ自体に関しては、何ら問題はないはず。
それに本来、ファッションに良いも悪いもない。そんな括り方は出来ない。だいたい、“不愉快な格好”“恥ずかしい格好”なる形容ほど、曖昧なものはない。その解釈や感じ方は人それぞれ、受け止める側次第。極端な例を除けば。
“日本人らしくない”“日本人として情けない”なる言い方も、分かったようで分からない。
因みに、欧米の友だち複数に尋ねたところ、“格好自体は、別に問題ないと思う”“彼ららしくて、カッコいいと思う”という反応ばかりでしたし、同じように友だち複数に聞いた、周囲の友だち等も、“みんな同様の返事をしてきた”と言っていました。

でも今回の場合は、やはり、ニッポンという御国の代表、ニッポン国民の血税とやらを使って出掛けている身。ですから、そう勝手なことも言ってはいられない。それに何たってあれは、冬季五輪公式スーツ。そうしてそれは、しつこいようですが、みんなの血税で作られた代物。それを忘れちゃいけない、はい。おまけにこれ、その血税を捻出しカナダへと送り出した、ニッポン国民が観ている、カメラの真ん前での出来事。
そんなこんなもあり、で、“不愉快極まりない”と感じた人が多数いたのは、別に、意外でも驚くことでも不自然なことでもない。
だいたい、ひとりひとりに配付される、選手の心得なる文章の中に、“選手はこうこうこういう格好をすること”と、はっきり記載されているそうです。

しかしですよ……
であるのならば、尚更のこと、今回ああしてカメラの前に登場する前に、“おい、そのシャツをズボンの中に入れろ。ネクタイをちゃんと締めろ”などと、周囲の誰かが言えば良かったのに。そのひと言で済んだようなこと。そういう単純な話…だった…はず…だと思うのですが…。
それこそ、そういうことを言えるような、“品格のある立派な大人”が、近くにはいなかったのでしょうか。

でも、それにしても、
あの最初の“謝罪会見”、あの時の言動は、どう考えてもマズかった。当初の服装問題以上に、あれは問題でしょう。
何故ならば、あの“大人げない態度”“品格に欠く態度”、あれは誰がどう見ても、“世間に対する挑戦状”としか思えなかったですから。
そうして予定どおり、世間はすぐに食いつきました。それはそうでしょう。だって、既に十分ヒートアップしている人々です。あれほど“美味しい瞬間”を、見逃してくれるわけなど、絶対にありませんもの。これぞ、飛んで雪崩に入る冬のボーダー。

ちょっとでもお利口で、世渡り上手な一般ピープルなら、世間の目を気にしつつ、しっかり計算しつつ、あの場であんな態度は取らなかったはず。
しかし今回の場合は、そういう類の選手ではなかったからこそ、そうはいかなかったのでしょう。良くも悪くも、そういう計算の出来ない、世間体など気にしない、自然体の人。言ってみれば、“少年のままの人”だったから…と言うことなのでしょう。

そんなこんなでアッという間に、小雪が大雪となり、そうしてそれは凄い勢いで、大吹雪と化してしまったわけで……。

でもだったら、どうせなら、こんなお化け大吹雪など相手にせずに、とことん最後まで、“自分らしさ”に拘り続けて欲しかったなぁ。
つまりその後、選手団長と行なった例のあの会見。あそこで手の平を返したような、あの“いい子ちゃんな態度”など取ることせずに、“これが俺のスタイルだ。これがダメなら、俺は試合には出ない”とでも言い放ち、席を立ち、即座にヴァンクーバーを去れば良かったのです。それくらいの態度で、自分の流儀を貫き通してくれたなら、スカッとしたと思うのですが…。

その後、ボランティア活動をしたと言う美談や、“実は彼、とても優しい男なんです”などと言う、知り合いの発言を紹介するメディアも、一部にはありました。しかしそれも、全体から見れば、ごくごく僅か。マスコミも世間も、引き続きバッシング態勢。よってその他少数派の声は、掻き消されてしまった感あり。
今後、“実は彼、いいヤツなんです! 素敵なヤツなんです!”と、もっと色々なところで、挙って言い始められたら、そうしたらマスコミも世間も、今度はグワァ〜ンと一気にそちらへと傾き、それ一色になってしまうのでしょうか。でしょうね。
あっでも、その頃にはもう、彼のことなどにはもう、関心をなくしてしまっている…かも知れませんね。

しかしまぁ、これだけマスコミに追い掛けられ、これだけニッポン国民を敵に回し、それでも潰れることなく、(完璧でなかったとは言え)よくあれだけの滑りが出来たものだと、妙に感心します。
これでスノーボードが、世間に広く知られるようになったから、むしろ良かった…か…。

それはさて置き、もう後味が悪いたらありゃしない。
でもまあ、こんなこと、今に始まったことではありませんが…。

だっていつも、何かちょっと“気にかかる”“違う”と思う対象が現われると、みんな一斉に、“悪い! 悪い! 駄目だ! 駄目だ!”。それ一色になりますもん。“出る杭を打つ”…どころか、出る杭を引っこ抜き、みんなでイタぶり、そうして遠くへと放り投げ、挙句の果てに、すぐその存在を忘れてしまう。

事実をバランスよく、客観的に報道すべきマスコミは、その役割をまるで果たさず。それを受け止める側もまた、催眠術にでもかけられたかのように、“そうだ! そうだ! ひどい! ひどい!”とみんな凄い勢いで、ヒステリックに大合唱。その時々の標的、つまりは、“自分達とは毛色の違う何となく嫌な感じの目立つヤツ”を、寄ってたかって悪者扱い。

こんな恐ろしいことはありません。

何故こんなことになってしまうのでしょう。それも標的を変えつつ、繰り返し繰り返し、同じようなことが起こってばかり。
報道する方も、それを受け止める方も、物事を何故、もっと冷静に受け止められないのでしょう。
せめて、受け止める側だ

でも、何をどう報道されようと、何を吹き込まれようと、それをそのままそっくり真に受けずに、アツくならずに、冷静になって、自分なりに物事を考え分析し、そうして消化することは出来ないものでしょうか。
どんな時にも、世の“騒音”に左右されずに、凛とした態度でいて欲しいと思うのですが…。

ああ、いつものことですが。恐ろしや。もう嫌になるわ。

それにしても返す返すも、
マスコミはいつから、こんなにも客観性やバランス感覚を、著しく欠くようになったのでしょう。
そうしてニッポン人はいつから、こうもみんな、思いやりや想像力や、心の余裕を失い、不寛容でギスギスな国民になってしまったのでしょう。
ああ、なんて殺伐とした世の中なのでしょう。
怒り嘆きなどを通り越し、深い哀しみを覚えます。

なんだかなぁ……

今回のこの場合、
この着こなしが何故“よろしくない”のか、マスコミは何故その辺のことを、もっとフォローしてくれなかったのでしょう。感情的にならずに、冷静に理論立てて、世間に説いてくれる専門家が、何故もっといなかったのでしょう。

世間は何故、“まったく、しょうもないなぁ、あの若者ったらばさ”…と、軽く流してしまうことが、出来なかったのでしょう。だって、冷静に考えてみてくださいな。こんなにも連日のように、執拗に非難し続けるようなことではないでしょう?

……なーんて言った日にゃあ、世間を思いっきり敵に回し、ボコボコにヤラれてしまうだけなのでしょうね。いやはや、重々気をつけねば…。だって大勢で向かって来られたら、それゃあもう、半端でなく、怖いもの。

ああ、なんだかなぁ……

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記事を書いた人

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高校までをカナダと南米で過ごす。現在は、言葉を使いながら音楽や芸術家の魅力を世に広める作業に従事。好物:旅、瞑想、東野圭吾、Jデップ、メインクーン、チェリー・パイ+バニラ・アイス。

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