無駄はけっして無駄にあらず〜♪
ああ、部屋中、モノに溢れている。これでは自分の空間なのか、モノたちの為の空間なのか、分からなくなってしまう。
あれもこれも、どんどん捨てて、必要最小限のモノの中で、生活したいもの。
……と、そう思いながらも、でもでも……と思う。
あまりにも整理整頓された場所に、身を置いていると、思考が停止し、何の発想も生まれなくなってしまいそう。
モノがあちらこちらにある方が、ワクワクしてくるし、人生、何かと楽しいし面白い。
ワクワク……。
そう、真っ先に思うのは…本。ハードカヴァー&文庫本。
増える一方。なのに、それらを収納する本棚は、まるで増えやしない。増やすだけの場所が、まるでない。
よって、本棚ではないところにも、本が積み上げられ、その面積その高さたるや。それはそれは見ていて…もう…。壮観…と言うか…いやはや、恐ろしい眺めであったりする。
おまけに…。
読んだ本すべての内容を、きっちり覚えているかと言うと、そんなことは決してなく。それどころか、そのあらすじさえ、まるで覚えていないものも多く。そのことに気づき、ギョッとする。頭がよっぽど悪いんじゃないかと、焦るほど…。
だったら無駄! 無駄! 無駄!
でも、それでも、1冊読むごとに、新しい発見や収穫は必ずある…はず。こころの栄養には、必ずなっている…と思っている(思いたい)。
だから、とにかく、捨てられない。
そうして、その上…。
書店やアマゾンで、ピンときたものは、次から次へと手に入れてしまう。読むペースよりも、増えるペースの方が、遥かに早い。
従って、未読のものが増える一方。しかし、増やすのもまた、止められない。
ひとつの小説を読み終え、“さぁ次は何にしようかな”…と、そのストックを眺めながら、その時々の想いに沿った作品を選ぶ。あの瞬間がまた、無性に好き。ワクワクする。
だからそう、未読の本の数は、多ければ多い方が、ステキ。
その読書する場所は、私の大好きな一角。
そこには、たくさんのクッションが置いてある。
そんなもの、2つ3つあれば、それでこと足りること…なのですが…。
でも……。
ネパール、インド、メキシコ、ペルー、日本製、ハンドメイド。
ビーズに刺繍に。キラキラ・カラフルな素材たち。
眺めているだけでも、幸せ気分になれる。心底楽しい。
そこにひっくり返り、ゆっくり本を開く。なんて気持ちが良いのでしょう!
さまざまな“色”や“形”や“素材”に触れていると、発想の泉はどんどん潤ってくる。それはもっとも効果的な、“こころの栄養剤”。
そうそう、メモ帳&ペン。
机の上、ベッドの横、本棚の前、食卓の上、バッグの中…。
それぞれの場所には、それぞれに異なるタイプの、メモ帳が置いてある。
そうして、何か“これ”という単語や文章を思いついたら、その時一番近くにあったメモ帳に、サラサラ書き記す。
常に持ち歩いている携帯電話に、入れておけばいいのに。そう思われるかも知れないけれど、でも原稿用紙に字を埋めていく、その行為から入った者としては、携帯を握り締めても、その時々の想いを表わす言葉は、なかなか上手く流れてはこない。出てきたとしても、打っている最中に、どんどん消えていく。
ペンを片手に紙を見つめる方が、文章は生まれ易い。これはもう、文明社会に遅れているだ何だ、あれこれ言われようと、もうどうしようもない。
思いついたことを、その場ですぐに書ける。
そうしてその時々により、手にするメモ帳が異なる。さまざまな色の表紙に紙質。触れるたび、ちょっとワクワクする。これまた、私のささやかな贅沢。
ただいまフル活動中なのは、タオル・ハンカチ。
いつぞやテレビで、“節約上手主婦特集”で、“タイルは3枚ほどあれば足りる”と断言していた人がいたけれど、私の場合はたくさんないと、絶対にダメ。
色とりどり、肌触りも異なるもの。その時の気分に合わせて、“どれにしようかな”と、数多くのモノの中から選ぶ。
選択肢は、多い方がいい。
朝。1日の始まり。穏やかな時の流れの中。
そんなひと時、一番の楽しみは、ゆっくり紅茶を飲むこと。その為に、紅茶の葉とカップは、そうとう数、揃えてある。
色々な香りの紅茶。色々な形や色や大きさのカップ。
その日その朝、その時の気分により、“どれにしようかな”…と。思わず笑みこぼれてしまう瞬間。
冷凍庫を開ける。
“今日はどのアイスクリームにしようかな”。
ちょっと迷えるだけの、それだけの、それなりの種類や数のアイスクリームたち。ああ、なんて幸せな人生なんだろう。密かに思ってしまう〜(^−^)
カロリーやら太ることやら。そういう厳しい現実は、あとでゆっくり考えればいい〜(;一_一)
Tシャツ・サンダル・バッグ・アクセサリー(正確に言えば、ピアス)。
店に行くたび、ひと目惚れしてしまう。ステキな出会いが、たくさん待っている。もう際限がない。
それは別に、それらを身につけて、誰かに見せたいとか、そういう方面の趣味はまるでなく。そういうことではなく、とにかく、そのモノの色や形や素材に触れるたび、こころ躍る。楽しくて仕方がない。
ジーンズ。
私の“主食”。ストレート、スリム、スキニー、フレア、ブーツカット、ベルボトム、バギー。ストレッチ素材にダメージものにスタッズつきに刺繍入りに…。色に至っては、ああ、もう……。
いったい全体、何本あるのだろう。頻繁に履くのは、それこそ、その中の数本に過ぎないのに…。
化粧品。アイシャドーやら口紅やら香水やら。そうして、何と言っても…マニキュア。
店をフラフラしていて、“あっ!”と思うような“色”に遭遇するたび、嬉しくなってしまう。
爪の数は、手と足を合わせて、20個しかないのに。言うまでもなく。だから、マニキュアもある程度の本数、ひと通りの色を揃えておけば、それでこと足りる…はず。
でも……。
“さあ、今日はどの色に塗ろう”。
その時、例えば、5本ある中から選ぶよりは、50本ある中から、その時の気分にぴったり寄り添った“色”を選べる方が、断然嬉しい。
だいたい、キラキラ輝いている、色とりどり、形もそれぞれ。そんなボトルたちを眺めるのは、物凄く楽しい。贅沢な瞬間。
ワクワク……。
そう、そういう思いが多ければ多いほど、こころはさまざまな“色”に染まり、想いや言葉の貯金箱が、どんどん満たされていく。
こころのゆとり。こころ
幅。豊かな発想。感じるこころ。余裕。
直観力、判断力。それは、無駄なモノや時間の中に、身を置くことにより、培われるものだったりする(と思う)。
なんたって日々、気持ちよく生きたいもの。
その為には、こころに余裕がなくては、絶対にダメ。
それがないと、ステキな文章や対訳やインタビューなども、生まれてはこない。
苦悩やら苛々やらが、日々の原動力になるような人間ではないから、尚更のこと。
人生、余計なモノや無駄な時間に溢れている。
でも、一見そう思えるモノこそは、実は自分にとり、なくてはならない、大切なものだったりする。
モノの多さは、こころのゆとりにも繋がる。ある意味。
ひとつの枠の中に自分を詰め込み、きちきち計算立てながら、必要最小限のモノの中、日々生きていると、自分が縮んで小さくなってしまう。息切れしてしまって、物凄く可哀そう。
そんなところからは、何も生まれない。
日々、色々な“色”や“形”、色々な“無駄”の中に、身を置いていたい〜(*^_^*)