わ・た・く・し・ご・と
【音声ガイド】
先日、ある絵画展へ行った時のこと。
みんな携帯電話をいじっては、絵をチラ観、で、また携帯をじっと眺め、そうして絵をチラ観。その繰り返し。なんとも不思議な光景。“なにやってるんだろう? こんなところでメールを打ってるのか?”。そう思いながら、観察していると、スマートフォンだと思っていた、それは、音声ガイドなのでした。
それも、物凄い人数。ちょっと前までは、10人に1人…くらいだったのが、この日は、3人に1人は使っている…ような。みんな、それだけお勉強が好きなのかな。そんなに水先案内人が必要なのかな。
でも、こころの邪魔にならないのかな。絵なんて(…絵に限らず)、その作品を観て、自分がどう感じるか。その瞬間が、一番ワクワクするのに。その時々の自分の想いを、一番大切にした方が、ずっといいのに。
なんだか、とっても、もったいない。せっかく、本物を前にしているのに…。
【通訳と翻訳】
原文よりも立っている翻訳文。あれは読み辛い。
原書にそっと入っていき、で、そっと出ていかなければ。でないと、書き手に対して、失礼でしょ。主役は書き手…なのだから。
“書きたい、伝えたい”。そういう思いがあるのなら、自分で自分の文章を書けばいい。
通訳も然り。色々な人々と出会い、色々な世界を覗けるのが、この仕事の醍醐味…と言われている。それはつまり、ひとつの世界を掘り下げたい、その世界のスペシャリストになりたいひとには、向かない…とも言える。
世の中には、大地になるべくして生まれたひとと、その大地と大地を繋ぐ橋に向いているひとと、いるのだと思う。
【家と師】
わたしは、そのひとにしかできないことをしているひと、そのひとにしかないものを持っているひと、その腕ひとつで生きている種類の人間に、強く魅かれる。
分かり易く言えば、“家”や“師”の付くひと。今の季節、真っ先に思い浮かぶのは、“花火師”〜(^.^)/~~~
ところで、なぜ“翻訳家”と言うのに、“通訳家”とは言わないのだろう。ずっと抱いていた、素朴な疑問。
【放浪の旅】
“最近の若者は(…という言い方自体、あまり好きではないけれど、まぁとにかく)、あまり外には出たがらない、内向きで安全志向”…とよく耳にする。これ、本当なのかな。だとしたら、なんてもったいない。
わたしの周囲にいる友人たちの大多数は(“若者”と呼ばれていたのは、そうとう昔…の人たちだけれど、まぁとにかく)、みんな10—20代の頃に、世界中を放浪している。そうしてみんな、とっても魅力的。感性が豊かで、想像力に溢れていて、他者(異なる文化や宗教など)に対して寛容で…。
元々そういう人たちだったから、放浪の旅に出ているのか、放浪の旅を経験する中で、そういう人たちになったのか。卵か鶏か、それはまるでナゾだけれど。とにかくみんな、常識や規定概念に捉われていなくて、とっても大きくて、とってもカッコよくて。とっても、地球人。
いまの若者たちが、本当に外を目指さなくなっているのだとしたら、それはとても哀しいこと。でも、もし、外に出たくても出られないような、そんな事情や状況が、個人やこの国にあるのだとしたら、それこそは、本当に、憂慮すべき問題。本当に可哀そう(でも、そうだとしたら、なにがどう変われば良いのだろう…)。
“物事には、遅すぎるということはない。やろうと思えば、いつでもできる”…と、よく言われるけれど、でも、あの年代にしかできないこと、あの年頃にしか感じられないもの、それは確実にある…と実感する。
【〆切その㈰】
先方に言われていた、入稿ギリギリ…の日。
よくよくカレンダーで確かめてみたら、その日はまさに、お盆真っ最中…の頃。“なーんだよ。じゃあこの日プラス3—4日は、ラクにあるに違いない”…と確信しながらも、でも、やっぱり気になり、で、当日朝イチに、そ〜っと、“暑くて大変だ、ご機嫌伺いメール”を入れてみた。本当に会社にいるかどうか(いないかどうか)、ちょっと確かめるため。
そうしたら数分後、すぐさま返事が……来た〜っ! “ゲッ。こんな日でも、本当に働いているんだ”。ドッキリした。さあ、どうしよう、今日一杯と告げられていた原稿。慌てるわたし。
世の人々、みんなよく働いているなぁ…。
【〆切その㈪】
いつまでに入稿すればいいのか、はっきりしない原稿。
“夏が終わる頃までには”…と言われ、“それって、まだまだ先だわなぁ”…と、そのまま放置してあったもの。“そろそろ取り掛かった方がいいかな”…と、先日思いつつ、でも念のため、先方に問い合わせたところ、“ぼちぼち頂けると、とても助かる”…との御返答。“了解!”…と、その時は電話を切った、ものの、でも、はてなぁ…。この“ぼちぼち”…って、あと何日くらいの猶予、あるのだろう…。益々分からなくなってしまったのでR。嗚呼。
【朝ドラ】
『ゲゲゲの女房』が好評だそうな。うーん、でもなんだろう、こころに引っつく、このザラザラ感は…。昔々昔々、山口百恵が引退を決め、全国民がその生き方に大絶賛。握手喝采で見送った、あの時に感じた思い、軽い違和感に、凄くよく、似ている。
【ゲストスピーカー】
生徒たちの前で、ちょっと話してくれないかと、またお誘いが…。
ありがたいやら、嬉しいやら。でも、すみません。それだけは、どうか御勘弁を。それ以外のことなら、なんでもやる(やるつもり)でいるので…。
だって、なにを話せばいいのか、なにを求められているのか、まるで分からない。
それに、一斉にこっちに向けられる、あの目・目・目・目…たち。それに、みんなに“先生”と呼ばれる、あの瞬間。サササササッと、鳥肌立ってしまう。自分でも驚くほど。
だいたい、“歌詞対訳作業のことについて、なんでもいいから”…と言われても…。“こうすればいい”…などという、方法も法則も答えも、なにも、ないし。
“机上の理論などは、邪魔になるだけ。辞書に引っ張られては駄目。なによりも大切なのは、目に見えないもの、こころの中にあるもの。それを大事に大事にしながら、その詩の世界に身を委ねていると、天使たちが舞い降りてくる、そういう瞬間が、必ずくるから。そうして、彼らと仲良くして。彼らが優しく導いてくれるから”。
……なーんて話、アカデミズムの世界では、まるっきりペケでしょ。でもこれ、本当のことなのだから、どうしようもない。
だから、とにかく、自分の思いがちゃんと伝わるか、その自信が、まるでない。言葉では説明でき
いことを、言葉で説明しなければならないということ。これ、慣れていないと、本当に大変なこと…ですね。
【究極の選択】
“無人島にアルバムを、5枚しか持って行けないとしたら、なにを選ぶか?”。
……これ、アーティストへのインタビューや、業界仲間同士で、物凄く盛り上がるテーマ…なのですが。
でも、最近のミュージシャンに振っても、なんだかイマイチ、盛り上がらない。どうやら、“いつでもどこでも好きな時に好きな曲だけ”…のiPODや1曲ダウンロード世代には、どうもピンとこない…らしい。
哀しきジェネレーション・ギャップ。
【CDショップ】
…が先日、またひとつ、この東京の街から、消えた。
このところ、ネット販売が好調のこの店。今後はそちらに力を入れていく…とのこと。音楽CDが売れなくなった…と言われて久しい。店舗販売&ネット通販、それぞれの特徴を生かしながら、今後も共存できれば…と願う。
でも、聴きたい曲を1曲だけ、その時々にダウンロードし、いらなくなったら、さっさとゴミ箱へ…というこの習慣、なんとかならないものか。
“アルバム収録曲、その収録順にも、ちゃんと意味があるんだよ。アーティスト側の想いや拘りが、その順番の中にも、しっかり詰まっているんだよ。アルバム・カヴァーのアートワークだって、そう。すべて揃ってひとつの作品。だから1曲だけとか、バラバラに聴くのは、もったいないと思う”。
……機会あるたびに、そんなことを言って歩いてはいる。でもなんだか、砂の上に水かけている感じ。ダウンロードの勢いには勝てない、どころか、最近はそれすらしないひとが、増えている…とのこと。時代の流れ。こればかりはどうにも、変えられそうにない。力不足。虚しい。
【松丸本舗(丸善本店)】
↑ とても気に入っている場所のひとつ。
まるで、どこかの家の本棚に迷い込んだ…みたい。美術本、科学本、SF本、英米文学本、古典本、歴史本、哲学本、神話本、宗教本、写真集、詩集……。色々なテーマ毎に、立てに横に、陳列されている。先日などは、ゾクゾク・ワクワク溜息吐きつつ、立ったりしゃがみ込んだりしながら、あっちのコーナーこっちのコーナー。で、気づいたら3時間半。うがっ。
だって、“あ”の小説家から順に見たって、出版社ごとに追ったって、読欲はまるで湧かない。新刊を読みたいわけではないし、薄っぺらな売れ筋には、まるで興味がない。本屋に期待するのは、ずばり、“予期せぬ素敵な出会い”。そんな密かなる思いに、ここは十二分に答えてくれる。
店員たちがまた、すばらしい。とても幸せそうに、仕事をしている。本に対する愛情が、こちらにも伝わってきて、非常に気持ちがいい。
本の見せ方といい、店員の姿勢といい、音楽業界に携わる者として、そこここに、色々なヒントが隠されている。そんな気がしてならない。
とにかく、この店の面白さ凄さは、実際に足を運んでみないと、実感できない…と思う。
【わたくしごと】
日本独特の、あのベタベタ感強い“私小説”。
あれに慣れているからか、DNAに組み込まれているからか、あっちのブログ、こっちのブログ、一般ピープルの“わたくしごと”に溢れている。そうして、それを読んでいる、たくさんの“わたくし”がいる。不思議な世界。と言いながらも、ここにいる一般ピープルもまた、そのわたくしごと・ギリギリ手前のところまで、ちょっと書いてみたりする。で、書きながら、“でもこれ、誰が読んでくれるのだろう?”…と不思議に思うのである。あーなんとも〜。