敬愛する写真家・吉村和敏氏の最新作『Shinshu』
今回もやられました。思いきり、裏切られてしまいました。色々な意味で、見事なまでに…。
それはまるで逃げ水。追いかけても、追いかけても、なかなか追いつけない。息切らし、やっと追いついた。そう思った途端、またするり何処かへと、姿をくらましてしまう。常に新天地を目指し、黙々と道を切り開き、時折こちらを振り返っては、反応を楽しんでいる。そんな感じ。
これぞ、表現者。
そもそも、この人気風景写真家の存在を知ったのは、いまからちょうど6年前のこの季節。カナダのクリスマス風景が納められた『Silent Night』を、ふとしたきっかけで手にした瞬間…。
ページを開くと、そこには、彼の地を離れて以来、もう何十年も目にしていない光景が、そっくりそのまま息づいていた。
外の寒さと家の中の温かさ。華やぎと愛に溢れた、カナダのホワイト・クリスマス。その場面ひとつひとつの中に、幼き自分が立っている。そうしてそんな自分を眺める、大人になったいまの自分が、写真のこちら側にいる。そんな不思議な感覚にとらわれた。
自分の中、こころのどこか奥深くに、ひっそり横たわり、長年触れることのなかった、セピア色の情景。それがこの瞬間、一瞬にして彩りを成し、目の前に現われ、わたしにそっと話しかけてきたのである。
忘れてかけていた感情が呼び起こされ、温かで甘やかで、なんとも言えない想いに胸が詰まり、込み上げてくるものを、抑えることができなかった。
この写真家の作品に、もっと触れたい。この写真集を生み出した人のことを、もっと知りたい。そんな想いに駆られた。
そうして手にしたのが『緑の島に吹く風』。写真家になるまでの話、カナダでの日々を綴ったフォト・エッセイ集。
顔が痛くなるほどの厳冬、ロースト・ビーフ、マッシュドポテト、茹でたニンジン、コーン・サラダ、グレイビー、ルバーブ・パイ&バニラ・アイス、七面鳥の丸焼きを切り分ける男性に、広い前庭&黒い窓枠&屋根の白い家…。
カルガリーでの日々に、一気にタイム・スリップした。
「写真家以前」という章では、氏が20歳の時に車で1か月かけ、カナダを横断し、その先に浮かぶプリンス・エドワード島と、運命的な出逢いをし、その牧歌的な風景と、人々の素朴な暮らしに惹かれ、1年滞在したことを知った。
そのスケールの大きさ、凄すぎる体験談にゾクゾクした。
寝る前に少しだけ読もう。そう思い開いたのが、結局は一気に読破。気がついたら、空が白んでいた。
その後、夢中で、氏の作品を集め始めた。
『ローレンシャンの秋—カナダ・ケベックの森が燃えるとき』は、1年の僅か数日の間に展開される、彩りの舞台を追った豪華大型本。針葉樹に覆われたカナダしか知らない者にとり、すべては初めて目にする光景。その鮮やかさ美しさに息を呑んだ。
『あさ/朝、ゆう/夕』は、吉村さんの写真と、谷川俊太郎氏の詩が奏でるハーモニー。氏の名を世に知らしめたロングセラー。
デビュー作『プリンス・エドワード島—世界一美しい島の物語』を開いた時には、“凄い人は最初から凄いんだなあ”と実感した。
『草原につづく赤い道』、『光ふる郷(くに)』と紐解くにつれ、写真家である氏が、文才にも恵まれていることを痛感した。
その才能が遺憾なく発揮されているのが『こわれない風景』。何年経っても変わらない、カナダの風景を切り取った写真と、まるで詩の一遍のような文章をとおして、日本や日本人が失いつつあるものに、気づかせてくれる傑作。
10年間温め続けてきた『林檎の里の物語—カナダ アナポリス・ヴァレーの奇跡』には、彼の地に対する人々の愛が詰まっている。写真協会賞新人賞受賞作。
『プリンス・エドワード島 七つの物語』は、その手頃なサイズも手伝って、わたしの良き旅の友となっている。
『PASTORAL』は、此の地球上に在る牧歌的な風景、『BLUE MOMENT』は、朝日が昇る直前と夕日が沈んだ直後の青い瞬間、『MAGIC HOUR』は、赤い瞬間を集めた作品たち。
氏の20年もの旅の結晶の数々、そのブレることのない強い意志に、尊敬の念を抱いていたこの頃、発表されたのが『フランスの美しい村—全踏破の旅』。4年あまりの歳月をかけ取材した、150もの村々。それを約240ページにまとめた、とても重く、とても貴い一冊。これを世に送り出すまでの過程は、想像を絶する。
世界中の美しい風景を撮る写真家として、このまま走り続けるのかと思っていたところ、発表されたのが『Sense of Japan』。大型カメラで切り取った故国。長きに渡り、海外を見続けてきた人だからこそ、描くことのできた世界。独特の質感をもつ紙に載せた、浮世絵のような芸術作品集。
その翌年に発表された『小さな村は、聖なる鐘の音につつまれていた』は、旅の途中にある氏による、選りすぐりの情景26編。写真+エッセイで構成された、旅人の想い出の宝石箱。
どの写真からも、文章からも、一貫して“音”が聴こえてくる。これまた氏の作品に惹かれる理由のひとつ。
さて、次は何処を旅するのだろう。あれこれ思い巡らせていたところ、氏が向かったのは、なんと日本は北海道。それも歴史ある巨大な工場。それが大型本『CEMENT』。“鉱山・工場・桟橋”の三部構成による、セメントができるまでの物語。
そうしていよいよ、冒頭で触れた最新作『Shinshu』です。そう、ふたたびやられてしまった…という話…。
凄いボリュームのモノクローム写真集。その斬新な表紙に、まずは目を奪われる。
この扉の向こう側には、どんな道が伸び、どんな世界が広がっているのだろう——
“長野県出身の写真家・吉村和敏氏が描き出す新世界”。
そのうたい文句に、巷でいま話題の安曇野方面、穏やかで柔らかな、山や川や田畑、印象派画のような、長閑な田園風景。そんな美しい写真を、想像していたのだが…。
しかし、まるで違っていました。
ここに在るのは、信州に住む者も旅する者も、気づくことのないような日常。人々や食物、動植物や建造物。葉書などで目にする観光地ではなく、初めて観る風景や表情。表からではなく裏からであったり、全体像ではなく一部分であったり。
それはまた、作者の過去を辿る旅、青年期までを綴った抒情詩でもあり。
信州で生まれ育ち、その後それよりも長い歳月を、其処から離れて暮らす作者だからこそ、気づき、捉えることのできた世界。
これほどまでに、強く想える故郷をもつ写真家も、それだけ想われてい
信州も、そのどちらも、なんて幸せなことか。
ひとつひとつの場面を辿る中、ふと脳裏に浮かぶのは、“shoot”という単語。“撮る”という意味と共に、“射る”という意味をもつ言葉。
氏は文字どおり、それぞれの光景と、厳しくも温かな眼差しで、向かい合い、そのひとつひとつを、丁寧に射っている。そんな印象を強く受ける。
その張り詰めた空気感、息遣い、凛とした姿勢が、作品をとおし、こちらにもひしひしと伝わってくる。それがまた、もの凄く心地好かったりする。
斬新で個性的。トガっている、けれど、けっして重苦しくも、押しつけがましくもなく。
すべてが色彩を除した、墨色空間の中、表現されているため、その魅力がより一層引き立っている。
あとがきが、また素晴らしい。表現者には、その表現手段を複数もつ、複数の才能に恵まれている者もいるが、氏はまさにそのタイプ。
その文章をなぞりながら、ひとつの光景を想い、その写真を眺めながら、ひとつの物語を想う。そのどちらにも、同じ風が舞い、同じ光が差し、同じ匂いが漂う。
希有な表現者である。つくづく、そう思う。
過去に縛られることのない、気高き芸術家。世間に媚びず、時代に迎合することなく、人々を敬嘆させ続ける、孤高の写真家。
いまこの瞬間、何を想い、何に的を絞り、何を射ようとしているのだろう。
次は何処を旅し、どのような世界を、魅せてくれるのだろう。
この先も、目が離せそうにない。
★★『Shinshu』写真展が開催されます。2011年12月16日−25日、長野市ホクト文化ホール。17日(土)PM2時より、講演会もあり。