咲き誇り、舞い散る、気高き桜たちよ
さくらんぼ&桜。Cherry & Cherry Blossoms。桜の花はCherry Blossoms。まぁそうなのだけれど。“チェリん坊”。そう言われると…。心の中では、どうもうまく繋がらない。言葉に対する感覚。それ自体は訳せても、そこに秘められた想いまでは、完全には訳し切れないのだから。
さて今年は、桜が咲き始めようとする頃から、なぜか、ソワソワしていました。なぜ、こんな思いになるのだろう。少しばかり考えて、そうしてすぐに気づきました。昨年は、ゆっくり愛でる余裕がなかったことを…。
しかし今年は、大好きな京都&奈良へ行く日程が、残念ながらうまく取れそうになく。ならばその代わりにと、ちょうど満開の頃、上野公園へ行って参りました。
しかし…しかし……
駅を出た途端、“この人達どこから湧いてきちゃったの?”という混みようで(…と言うこのわたしも、その“湧いてきちゃった人”の中のひとり、なのだけれど)。とにかく半端でなく凄まじい喧騒で、目の前の公園に足踏み入れず、そのままUターンしたくなったほど。
そうして公園内は、警官&パトカー&救急車&酔っ払い&ブルーシート&ゴミの山。あっちにもこっちにも。人・人・人、山・山・山。嗚呼、恐ろしや。
自分で出したゴミくらい、自分で持ち帰れないものか。夫々が責任を持てば、あんな山にならずに済むはず。それだけのことなのに。思いっきり見上げるような高さに、ソレは盛り上がっていましたから。オーバーな話ではなく。
“さっきのあの巨木、ちょっと素敵だから、戻ってみようかな”と思っても、人の流れが出来ていて、一方通行で、おまけにそれは凄まじい激流で。よって、真っ直ぐ前進し続けるしかなく。おまけに係りの人たちが、ああだこうだ、止まれだ止まるなだ、こっち向かい大声で、なにか懸命に指図しているし…で。
嗚呼……。
ところで地面が見えないほどに、四方を埋め尽くすブルーシート。あれ、なんとかならないものか。イタリア人だったら、ピンク色とか透明とか、色の規制するだろうな。きっと。
…と、あれとかこれとかそれとか、色々なこと…人…音…臭い…に、気持ちが散ってしまい、桜どころではなく。
なんだか……。
おまけに今年は、例年にない人出だったとか。あとで聞いた話。最初に言ってくれれば良いものを。まあまあ、とにかく…。それはやはり、昨年の反動からか。まあ、とにかく…。で、それはつまり、それだけの数の酔っ払い&救急車&パトカー&ゴミの山が……ということでもあり。
その結果どんな状況と相成ったかは、ご想像にお任せすることにして…と。
嗚呼〜〜。
でも、今年の桜は良かったですね。なんだか嬉しそうでした、自分達の為に、大勢集まって貰えて。桜の下で楽しく飲食するのは、日本ならではの、微笑ましい光景です。みんなが楽しく、幸せそうにやっているのは、その中にいて、見ていて気持ちの良いもの。
ああだから、やるべきことをやり、やってはいけないことをやりさえしなければ…。そうしたらみんな、もっと気持ち好く、一日を過ごせるのに。いやはや、まあ落ち着いて…。
そうそう、何か大きく無機質なモノを、上空の桜に向け掲げていた人が、それも何人もいて、“なんだろうか?”とよく見たところ、iPadでした。あれで撮影するのですね。時代の流れを実感しました。
で結局、耳触りなガサガサ音や、目に突き刺す原色に気を取られ、“物語”を感じることができず。歩けば歩くほど、遠く離れた奈良と京都が、恋しくて堪りませんでした。
なにがそれだけ、圧倒的に異なるのか…。それは、あの地で桜をゆっくり愛でていると、いにしえの物語の中を歩んでいるような、そんな特別な想いに浸れるから。
桜は、何処の桜も、美しい。しかし、それだけでは、その絵は完成しない。あの地には、桜と同じ気息の人々がいて、匂い漂い、風が吹き音がする。そうしてそれすべてが、互いを慈しみ合っている。それぞれが、なくてはならない存在であり、それぞれが、この春物語の大切な主人公なのです。
周囲の景色を眺めている内に、自分が其処にいて其処にはいない、何処か別の地を、浮遊しているような、そんな気に、いつの間にかなっている。行くたび感じる、それが奈良と京都に惹かれる、大きな理由。
けっきょく上野公園では、桜物語には出逢えず、疲れ果てご帰還。
そうしてその夜、親友に一部始終を話したところ、“あらやだっ、あんな忙しいところへ、あんた行っちゃったの?”と、あっさり呆れられ。“せっかくの桜の季節、もっと美しいところへ行かなきゃ!”…と。
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そうして翌週、口直しにと今度は、新宿御苑へ向かったのでした。そう、あの園遊会で有名な。そりゃ、夢のように美しい処に違いありません。
と……期待に胸膨らませ、新宿駅に降り立ってみた…ところ……
あらだやっ、やっぱり駅前から、人がゾロゾロそっちへ流れていて、御苑が見える前から、もう既に混雑しているじゃあーりませんか。
デジャブー。とても嫌な予感。
しかし…しかし…
門に近づき、いきなり驚きました。長いテーブルが出され、荷物チェックをしていたのですから。此処はアルコール類の持ち込みを、一切禁止しているのだそうな。
もの凄く大違い!
集っていた人々も、ひどく違いました。静かに穏やかに、桜を愛でていて。ゴミも落ちていなく、警官の列もなく、怒鳴り声も聞こえず。
雰囲気が、まるで異なる。
主役はあくまでも、桜&その仲間たち。
ぶらぼー。
枝垂れ桜、八重桜、日桜。淡いの濃いの、空を向いているもの、地を向いているもの。あちらにもこちらにも。さまざま。そこにハナミズキやツツジやヤマブキ、そうしてチューリップなどの、此の季節の花々が、讃え合い引き立て合い、傍の草木や、小川や小池と調和する。それはそれは見事な絵画。いたる所から
る葉々の囁き。それが耳にとても心地好く。自然界の奏でる交響曲。
その中へそっとお邪魔し、辺りに漂う薫りに包まれながら、ふと立ち止まり、そのすべてを全身に留めようとする。
ふわり、ふわり。
彩とりどり。
桜、桜。それは少しずつ、少しずつ、散り始めていて。上野であれほど強く、咲き誇っていたのに。あれから1週間も経っていないのに。眺めながら、うら淋しい感情に見舞われ。
ひらり、ひらり。
儚き物語。
水面に浮かぶ、花びら。
その側をゆく、黄金色の鯉たち。
花の盛りは短く、だからこそ尚更に、愛おしく。
懸命に魅せて、そうして…。
別れと出会い、新たなる船出を迎える季節。それはいまの此の桜の頃が、やはり一番しっくりくる。
“そういうこと言う困った輩が多いから、この国は、グローバリゼイションから取り残されるのだ”と、どこかのお偉い学者さんが、先日テレビで力説していましたが…。
でもこればかりは、理屈などではなく。先祖代々愛でてきた、四季の中の一篇。日本人のDNAに擦り込まれている、そんな風にしか言いようがない。紅葉を枯葉としか捉えられず、花々を“ああ咲いてるね”のひと言で片付けてしまう、そういう人々には分かるまい。グローバリゼイション、ヨク・ワカラナイ。
日本らしさ、日本独自の。とてもとても素敵。日本の自然美に触れるたび、そう思う。だからこそ、ないがしろにしたくはない。
しみじみ。
美しく咲き、美しく舞い散る、気高き桜たちよ。
原稿書きの合間のひと時、部屋の窓から、花散らしの雨を眺めながら、もの思いに耽る週末。