書道の話
うちの子はロシアの現地校に通っているのですが、日本の新学期の初めには、大使館で日本の教科書を受け取ることができます。先日、大使館に行って、小4用の国語、算数、理科、音楽、書写の教科書と地図帳をもらってきました。
私が子どもの頃「習字」と呼ばれていた教科は、いつ「書写」になったのでしょう。違和感があります。習字という呼び名も好きじゃなかったけれど・・・。父が書道家(これも昔は書家と言っていましたが)だからか、硬筆はともかく、毛筆を使うならば「書道」と呼んでほしいのです。もっとも、小学校で習う内容は、「習字」というのが合っているかな、とも思いますが。
ここで書道の話というのもどうかと思いましたが、日本の伝統芸術の話は、異文化間コミュニケーションの何かの折りに役立つかもと思い書いてみます。父は、昭和の三筆のひとり手島右卿(てしま ゆうけい)先生に師事しました。師の提唱した一字か二字の水墨画にも通じる「少字数書」、油彩では表現できないかすれ、にじみの魅力の美しさを求める淡墨の書、そして師の人物そのものを今も愛してやみません。
昨年、父が出した作品集に随筆が入っていたのですが、私も今まで知らなかったことも書かれており、興味深く読みました。「少字数書」の決め手は、「墨」とのこと。「中国明清時代の名墨は墨の持つ気品が違う。たかが墨と言うなかれ、再生産されない名墨は数百万円の高値でも容易に入手出来ない。」 父もそんな高価な墨を使っていたのでしょうか? 考えたこともなかったです。もう少し引用してみます。
<右卿の名作「崩壊」という草書の二字による少字数書がある。著名な世界的美術評論家ペドローザは何と読むのか分からぬが爆弾により無惨にくずれ落ちる終戦後の都市の姿だと看破したという。これが右卿の提唱する「世界の美術としての淡墨による少字数書」の誕生である。序に水墨画風の淡墨について触れたい。通常濃度の墨では起こり得ないような変化が淡墨では俄然起こるのである。先ず墨である。二、三百年昔の古墨を使う。・・・これは百万円でも入手困難なものだが、歳月は風格を生み、安物では品格が出ぬのである。・・・端渓硯で磨る。磨り上げた墨汁を浄水で薄める。水質、気温、晴雨、光、室内環境、力の入れ方、薄める濃淡度、紙質、筆への含墨量、筆圧、筆勢、リズム、下敷毛氈の状態、総てがからみ合い一つとして同じにじみ、墨色にはならない。全く同じ墨を使っても気合い、時間総てが千変万化する。まことの妙。科学的分析を超越する芸術的感性の世界で、まさに芸術上の複雑系科学なのである。その先覚者であり、書壇の誰もが到達出来ない名作を遺されたのが右卿である。>
読めなくても美が感じられる書。そのような作品そのものも素晴らしいと思いますが、父が書作する姿にも感じるところがあります。ものすごい「気」なのです。武道に通じる、凛とした何かを感じるのです。子どもの頃から、父が書く姿を見るのが好きでした。
だから、随筆で、父が師の書作を見たのは、ただ一度だけだったと知り驚きました。幾度も師のもとを訪ね、一度でいいから実作の場を見たいと願ったものの、いつも飲むことと芸談ばかりで叶わなかったのが、あるとき静岡での研究会に遙々出かけたときに、父だけが別室に呼ばれ、書作を見せていただけたとのこと。「突然立ち上がり槍か剣を構えるような気合いに充ち、入魂の書きぶりは今でも眼底を離れない。すさまじいという程の気合いであった。」 生涯に一度だけだったのか、としみじみしました。
80代半ばの父は、少字数書を「やり直しのきかぬ命の書」と呼び、今も書作を続けています。