木陰で読書
先週末からロシアの学校は夏休みに突入しました。9月1日の新学期開始まで、3ヶ月間のお休みです。モスクワの気候もすっかり夏らしくなり、半袖で過ごしています。ついこの間まで冬物のコートを着ていたのに。ここは一年の半分近くが冬で、4月に入って春だか冬だかわからない気温が続いたかと思ったら、いきなり夏になるというのが例年のパターンみたいです。
昨日は、ロシアの「こどもの日」。だからという訳ではないのですが、うちの子の同級生が我が家に遊びに来ました。初めて来てくれたので、ランチには日本の食文化を知ってもらうために手巻き寿司を用意しました、が試食すら拒否され、あえなく撃沈。前に別の同級生が家族で遊びに来たときは、手巻き寿司、好評だったんですけどね。へこみました。
さて、先週で大型翻訳案件もひと段落したので、週末から、積ん読になっていた本に手をのばしております。子どもが公園で遊ぶのに付き添って、木陰のベンチで読書。気持ちいいです。
まずは、郷原信郎『「法令遵守」が日本を滅ぼす』。
「コンプライアンス=法令遵守」ではなく、「コンプライアンス=社会的要請への適応」だというのが著者の定義です。企業が社会のニーズに応えていくにあたり、何を目的とし、何を目指すのかを全構成員が理解し、そのために自分はどういう行動を取るべきか常識で判断するというのが、本来の姿。法令や社内規則にがんじがらめになると枝葉末節にとらわれ、根本的なところが見えなくなり、自分の頭で考えて行動できなくなると読みました。また法令が実態に合わない場合には、単なる法令遵守が社会的要請に応えることにはならない、そういった環境を変えていく努力が必要だとも語られています。
法令遵守的なメディアのあり方が法令遵守の弊害を大きくするという指摘もありました。当局の違法か合法かという判断にもとづいて、「善玉」「悪玉」をはっきりさせて報道するのが、リスクも少なくてすみ、コストパフォーマンスも良いから云々というのを読みながら、例の草なぎくんの一件を思い出しました。公然わいせつ罪で「容疑者」扱いの一斉報道に、「それは違うだろう」と思っていました。これで世論もバッシングの方向に進んだら、なんだかこわくて、もう日本には住めない、と思っていたら、さすがに常識が働いたようでホッとしました。
次は、岩井克人『会社はこれからどうなるのか』。
もともと著者の『会社はだれのものか』が読みたかったのですが、たまたまこちらの方が手に入ったので。まだ読み始めたばかりです。私は米国型の「会社は株主のもの」という考え方は日本にはなじまないと感じる世代。米国経済が好調だったときには株主主権論に力がありましたが、米国経済が傾いてきて、この先、どう変わるのか、変わらないのか興味があります。この本の出版は2003年なので、ちょっと古いのですが。
その次は、澤田ふじ子か宇江佐真理の時代小説かな。