BLOG&NEWS

昔から翻訳に興味はあったけれど

さるるん@ロシア

通訳・翻訳者リレーブログ

昨日のいぬさんのブログを読んで、ふと思い出したこと。

去年の夏、一時帰国した際に、実家に預けてあった荷物を整理していたら、学生時代や社会人になりたての頃に取った資格証明書や修了書がざくざく出てきました。英検、国連英検、英文タイピスト技能検定、通訳技能検定、翻訳通信講座修了書、英語教員免許等々。かれこれ四半世紀前のもの。英語で食べていこうと、あれこれチャレンジしていたのね〜。まだ具体的に自分の将来を描けない学生時代、資格取得に走るのは、今も昔もかわらないのかも?

通訳への道も模索していたなんて、もはや忘却の彼方にあったので驚きました。そう言えば、短期間の講座に通い、今思えば、あれがシャドーイングというものなんだろう、という練習をしていたような気もします。私には無理、と思った記憶もよみがえります。

翻訳の方は、バベルの前身「日本翻訳家養成センター」の通信講座や短期スクーリングで学習していました。当時の私には、翻訳イコール出版翻訳(文芸)。後年自分がビジネス翻訳で食べていくなんて思いもしなかったこと。社会人になってからもしばらくは、月刊誌『翻訳の世界』を読み続けていました。別宮貞徳さんの「欠陥翻訳時評」に驚いたり、柳瀬尚紀さんや青山南さんに憧れの念を抱いたりしつつ愛読していたのですが、思い出せないのは、読み続けていた動機。社会人になってからも、なお文芸翻訳をやりたいと思い勉強していたのか、それとも趣味のつもりだったのか・・・。

学生時代に、通訳・翻訳の道をほんとうに目指していたわけではないと思います(自分のことなのに、昔のことすぎて表現が曖昧)。国際的な舞台で男性と対等に仕事がしたくて、英語にこだわったというのはありますが。私が就職したのは、まだ日本が女子差別撤廃条約に批准する前のこと。男女雇用機会均等法とか総合職とかいう言葉もまだ聞かれない頃です。女性は「お茶くみ」で、就職は結婚までの「腰かけ」だと考えられていたので、若い方が有利=四年制大学出身は不利だったし、おまけに地方出身者の(親元通勤ではない)私は圧倒的に条件がわるかった。就職の面接で、「なぜ最果ての地(北海道)からわざわざ東京に出てきて就職しなければならないの?」と言われたくらい。

男性と対等に仕事をしたいならば、外資系企業に勤めるのが一番確実でした。当時は、外資系銀行が、ちょっと英語に自信のある女子学生にとっては花形の就職先。めでたく米銀の貿易部門に就職できたのはラッキーでした。あ、でも、就職してから、何がきっかけだったのか思い出せないけれど、「ああ、私はアメリカの植民地の原住民スタッフになっちゃったんだ」と感じたことはありました。

働いてみると、自分の英語力など生かすレベルにはまだなく、むしろ就職後に業務を通じてビジネス英語を身につけていったというのが実情です。それでも、今よりも英語人口が少なかったあの当時、「英語ができる」というのが就職の際に売りになったのは確かです。

その後、トレッキングで行ったネパールに魅せられ、途上国の貧困問題への関心が高まり、10年以上働いた米銀を辞め、米国で開発学を学び、途上国支援団体で働くことになりました。それまで、米銀でも留学先でも、英語は書いても、日本語を書く機会はなかったので、30代半ばにして初めて、この団体で先輩の指導のもと日本語のビジネス文書の書き方を学んだのでした。また、こじんまりとしたこの団体では、ニュースレター等の原稿をスタッフ全員でチェックしていたのですが、おもしろかったのは代表の文章。趣旨は情熱にあふれて素晴らしいのだけれど、主語と述語が一致しないのは日常茶飯事のひどい文章で、解読がむずかしいのです。これをスタッフみんなで、ああでもない、こうでもないと言って、持ち味をそこなうことなく読める文章にしていく作業は、まるで翻訳ワークショップ。あの経験は、今の仕事に役立っていますよ〜。

そんなこんなを経て、今はフリーランスでビジネス翻訳をしていますが、昔、翻訳を学んでいた頃、業務上あるいはボランティアで翻訳をしていた頃には、今の自分の姿は想像できませんでした。人生、何がどうなるかわからないものだと思います。ただ、ひとつ言えるのは、自分が学んできたこと、真剣に取り組んできたことで無駄になったものは何もないということ。ビジネス翻訳では、いつも自分の総合力が試されているような気がしますが、総合力というのはこれまでの経験すべてから学んだことの集合体です。知識だけじゃなくて、困難や挫折を乗り越えた経験も含めて、です。

Written by

記事を書いた人

さるるん@ロシア

米系銀行勤務後、米国留学中にロシア人の夫と結婚。一児の母。我が子には日露バイリンガルになってほしいというのが夫婦の願い。そのために日本とロシアを数年おきに行き来することに。現在、ロシア在住、金融・ビジネス分野を中心としたフリーランス翻訳者(英語)。

END