高校時代の記憶
ただ今、医薬関連の英日翻訳に取り組んでいるのですが、原文にスペルミスが多くて泣いております。普段使うことのない専門用語は辞書が頼りなのですが、スペルミスにぶつかると、もう大変。医薬関連の単語はやたら長いものが多いし、スペルミスも無理からぬ気はしますが・・・。ひとつの単語で3文字くらい違っていると、正しい単語の捜索に苦労します。Googleで関連のありそうな内容のサイトを検索して、そこで似た姿をした単語を見つけて「捕獲成功!」と(ブラッディマンデイの三浦春馬風に)つぶやいてみたり・・・。見つけてみれば、なるほどと思うのだけれど。
今回の案件を訳していて、外科的表現に「う〜ん、こういうの苦手」と思っていたら、遠い記憶がよみがえりました。そう言えば、私、高校時代に医学の道に進もうかと考えていた時期があったのです。学校一の才女だった友人が医学部を目指していて、誘われていたことも影響していたのかな。自分が医学部でやっていけるものだろうか、と図書館で手術の写真が載っているような本を眺めては、「やっぱり無理」と思っていた、その感じがよみがえったのでした。ちなみに、彼女は医師になりました。
そこから派生して、何年か前に久々に出席した高校の同窓会のことを思い出しました。私は昔から老け顔だったせいか、あまり変わっていないらしく、「わ〜、さるるん、久しぶり!」と声をかけられたのはいいけれど、親しげに話しかけてくるその相手が誰だかわからない、思い出せない・・・。申し訳ないとは思いつつ、「ごめ〜ん、誰だっけ?」と訊くしかない。件の学校一の才女でした。高校時代は色黒で男まさりだった彼女が、色白の大人の女性になっていたので、まったくわかりませんでした(昔はつねに日焼けしていたけれど、実は色白だったらしい)。
同窓会の中盤に、一人1分ずつ「高校時代の思い出」を語る時間があったのだけれど、彼女が「春のお天気の良い日にさるるんと学校を抜け出して五稜郭公園でお弁当を食べたのが気持ち良かった」と語るのを聞いて、「ひゃ〜、私ってば彼女にまで授業をさぼらせていたのか」とびっくり。
初めて学校を抜け出した日のことは覚えていたのだけれど。そのときは、別の級友と。夕方、担任の先生から電話が来て、さぼった授業(地学)の先生にあやまりに行くように言われ、翌日あやまりに行ったから、よく覚えてる。地学の先生の名前は井沼だったのだけれど、顔の骨格がクロマニヨン人に実に似ていたので、みんなイヌマニヨンと呼んでいた。そのイヌマニヨンにあやまりに行ったら、とぼけた顔して、「(授業さぼって)どこに行ってた?」「XX堂(本屋)です」「本読んでたのか?」「はい」「だったら、勉強してたってことだな。なら、いいじゃないか」と言われ、すごい先生だと思ったから、よく覚えてる。
と思っていたら、さらに別の友人(お父さんが私たちの高校の先生だった)が、「さるるんと授業を抜け出して散歩したことがあったんですけど、うちは父も同じ学校にいたもので、それがすぐに父にばれて大変でした」なんて語り始めて、これも記憶になかったから、びっくり。
よくよく私はエスケープが好きだったらしい。どうやら、私がそそのかしていたらしい。ごめんね、みんな。でも、楽しい思い出として記憶に残っていたようで何より!?