月末の風景
9月の月末は、久々に期末の忙しさを実感しました。銀行員時代は、やはり月末月初は忙しく、特に期末・年度末はそりゃもう大変でした。輸出決済を担当していた若かりし日の月末の楽しみは、同僚たちと月末にドーンと大量の輸出書類を持ち込む某メーカーからの書類件数を予想すること。月末にはみんなでお金を出し合って3時にケーキを買うのですが、最も正解に近い予想をした人はおごってもらえるというルールでした。不謹慎かもしれないけれど、きつい月末を乗り切るための策でした。懐かしいです。
その後の仕事では月末だからどうというほどのこともなく(本当にこれでいいのか?と思ったほど)、今の翻訳の仕事も月末を意識することはほとんどないのです。今回も、たまたま忙しいのが期末だったというパターンです。
今回は、急ぎの仕事で、ファイルがいくつかに分かれていたので、五月雨式に29日のうちにできた分を第一弾として納品。翌30日正午までに残りを納品予定だったのですが、どうにもこうにも間に合いそうになく、1時間の納品延長をお願いしました。正午をまわって、あと100ワードくらいで終わる!というときに、突然、空腹に襲われ、1文字も打てなくなってしまいました。シャリバテです。朝から何も食べてなかったから。いつもならお菓子をちょこちょこ食べながら作業をするのですが、前日、前々日も忙しくて買物に行けず、お菓子のストックを食べ尽くしていたのです。
「なぜ、もうひとふんばりできない?」と自分を呪いながらキッチンに駆け込み、左手に前日の残り物の一口カツ、右手にしゃもじを持って炊飯ジャーから直接ご飯を食べるという、親が見たら嘆くであろう姿。「納品を延長してもらっているのに、食事なんかしてごめんなさい!」と心の中で泣いて謝りながら、約1分でエネルギー補給完了。力がわいて、翻訳作業が続けられました。訳し終えて、見直して、なんとかギリギリで納品。もう脳が飽和状態で、何もできません・・・。在宅翻訳者の修羅場って、みんなこういうものなのか、私だけなのか?
しばらく音楽を聞いて、脳がまともに動くようになるのを待って、今度は読書。選んだ本は、高楼方子(たかどのほうこ)さんの『時計坂の家』。小学校高学年から大人まで楽しめる作品。小学6年生のフー子が、久しく会っていなかったいとこのマリカから手紙をもらい、ひとりで祖父の住む汀館(みぎわだて)に旅して夏休みを過ごすことになり、不思議な体験をするお話です。ストーリーそのものもドキドキするのですが、読み始めてすぐ、この汀館のモデルは私の郷里函館だと気づき、思いがけない楽しみが加わりました。著者も函館出身です。
本を読みながら、函館に帰った気分になりました。坂から見える風景が描かれているところでは、元町の坂の上から見る函館が目に浮かびます。フー子が歩く街の風景が、リアルな風景として見えてくるのです。また、忘れていたような記憶がよみがえり、タイムスリップしたような感覚もありました。そう言えば私も中学3年生の夏休みに友達と函館公園の中にある図書館に通って勉強したな。この喫茶店は昔父に連れて行ってもらったところかな。フー子とマリカがピクニックに行く青翠苑はきっと香雪園で、もともと岩船一族の庭園。子どもの頃、その一族の岩船修三先生に絵を習っていたっけ。毎週、絵を描く前に、先生が手帖を取り出して、とっておきのお話を聞かせてくれるのは、ほんとうにわくわくしたな。岩船先生のアイヌの物語をモチーフにした絵が大好きだったな、等々。
しかも、この本に出てくる謎の人物はロシア人(かつては函館で見かける外国人と言えばロシア人だったので不思議はないのですが)。私のために書いてくれたんじゃなかろうかというくらい身近な感覚も持ちつつ、楽しめました。高楼方子さんの描く「ここではない世界」が好きです。『ルチアさん』という作品も、それはそれは美しい作品です。来月になるのを待って、『十一月の扉』も読んでみようと思います。
そんな月末を過ごして10月になり、口蹄疫で全頭処分をしなければならなかったウロンコロンさんの家に、とうとう新しい牛たちがやってきたことを知り、感慨深かったです。