チャイコフスキー「悲愴」
先週の水曜日、小雪が舞っていたモスクワ。私の知る限り、これが初雪。もう(また!)冬です。ロシアの秋は「黄金の秋」と呼ばれるように、黄葉が太陽の光に輝くのが美しいのですが、今年は夏の猛暑の影響か、輝くような黄色にならないまま落ちていく葉っぱが多くて、ちょっと寂しかったです。
先週から15,000ワード程の翻訳案件に取り組んでおります。先週後半にはチケット購入済みだったクラシックのコンサートがあり、「この案件に集中したいし、木枯らしが吹き荒れているし、行くのをやめようかな」と思ったのですが、家族に「もったいない!」と言われ半ば追い出されるような形で行ってきました。
プログラムは、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番と、交響曲第6番「悲愴」。マルク・ゴレンシュタイン指揮ロシア国立アカデミー交響楽団。ピアニストはニコライ・トカレフ。
一度トカレフを生で聞いてみたいと思ってチケットを買っていたのですが、この第2番のピアノ演奏はJazzyで音が上すべりしているようで私の耳には合わず、「来るんじゃなかった」と後悔。でも、トカレフがアンコールで披露したピアノ・ソロ(たぶん「白鳥の湖」の四羽の白鳥の踊りをアレクサンダー・ローゼンブラットがジャズ風に編曲したもの)は、この人の持ち味が生きていて素晴らしかったです。もう一度聞きたい。
そして、交響曲「悲愴」。高校生の頃大好きでよく聞いていた演奏は、カラヤン指揮ベルリンフィルの“格調高い”演奏で、交響曲の王道だと思っていましたが、年月を経て、作曲家の祖国で(それも「チャイコフスキー記念コンサートホール」で)聞くのは感慨深いものがありました。あらためてチャイコフスキーの偉大さ(あるいは凄まじさ)を感じました。大好きなピアノ曲「ドゥムカ」もそうですが、人間の思考回路や感情の起伏が音楽で表現されていて奥深いです。どうすれば、こんなすごい曲を生み出せるのだろうと感嘆してしまいます。オーケストラの演奏も、洗練されてはいないけれどロシアの魂を感じる演奏で良かった。泣けました。
チャイコフスキーが生まれたのは1840年(江戸時代ですよ!)。Wikipediaによれば、「悲愴」は最後の大作で、チャイコフスキーは自分の作った曲の中で最高の出来だと喜んでいたそうです。1893年に本人の指揮により初演され、当時の聴衆にはあまり受けが良くなかったようですが、自信が揺らぐことはなかったとのこと。その初演のわずか9日後にチャイコフスキーは亡くなりました。人生の最後に誰が何と言おうと自分が素晴らしいと思える作品を残せたなんて、幸せな人生だと思います。
私も、PCにかじりつく毎日の中で、心が満ち足りたひとときを持てて良かった。