新学期始まる
先月、仕事中に翻訳家・山岡洋一さんの訃報を知り、しばらく呆然としてしまいました。
フリーランス翻訳者として仕事を始めた頃、『翻訳とは何か−職業としての翻訳』(胸にグサグサ刺さりました)を読んで以来、気になる存在でした。山岡さんが運営されている「文章に携わる人のための辞書・検索サイト」(http://www.dictjuggler.net/search/)にも、よくお世話になっています。
山岡さんが震災直後の「翻訳通信」に書かれていた次のことばが強く印象に残っています。「翻訳者の立場でこの惨状について、できることがないわけではない。翻訳者は翻訳の対象を柔軟に選択できる。古今東西の優れた文献のなかから、いま、社会が必要としているものを選んで翻訳することができるのである。これは翻訳者の特権であり、この特権を活かさない手はない。」(これは出版翻訳の話であって、実務翻訳に携わる私は上記の「翻訳者」には該当しないと思いますが) 最近は、未曾有の危機における政治家のあり方を示すべく、チャーチルの本を訳されていたようです。もっといろいろ発信していただきたかったです。残念です。
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さて、9月になり、ロシアの学校では新年度が始まりました。うちの娘は、日本の学校ならば小6の年令なのですが、モスクワに引っ越してきてから1年ちょっと日本人学校に通ってから現地校に入学し直したので、ようやく5年生になったところです。こちらでは、1年生〜4年生までが初等教育で、クラス替えもなく、担任の先生も替わらないのが一般的なようです。5年生から、新たな担任の先生のもとで中等教育前期(?)のスタートです。
新学期の楽しみは、新しい教科書を見ること。私はロシア語はよくわかりませんが、興味深く見ています。ちなみにロシアでは、教科書は貸与されるもので、1年の終わりに学校に返さなければなりません。中古の教科書には、去年使った生徒、おととし使った生徒の名前が書いてあります(さすがに数年おきに買い替えるらしい)。各教科専門の先生が授業を行います。
5年生になって、新たに始まったのは、歴史(世界史)の授業。1年かけて、じっくり古代史を学ぶようです。今は、原始時代の狩りの仕方を学んでいるらしいです。
そして、これまた新たに始まった理科。まず宇宙について勉強しているとのこと。なんだかロシアらしいですね(家電製品はいいものを作れないのに、宇宙ステーションを作ってしまうロシア)。
美術の時間には、美術史も勉強するそうです。200頁くらいの教科書には、美術品、工芸品、建築物、衣服などの写真満載。
ロシア語は、文法と文学の時間に分かれていますが、文学の教科書は上下巻合わせて500頁ほど。下の写真は、挿絵が多い唯一の頁。基本的に絵は小さく、字がびっしりです。日本の国語の教科書の薄さとは対照的。
英語の教科書は、イギリス英語です。“I am in the first form at XX school.”など、米語一辺倒で英国の学校制度にうとい私がとまどってしまうような表現が出てきます(formなるものを知らなかった)。また、娘が妙にロンドンの観光名所に詳しくなってきました。
授業はおもしろくなってきたのですが、娘は日本ならば来年4月には中学生になる年令。中学入学に合わせて日本に拠点を移そうかと悩んでおります。日本に帰ることになった場合、私と娘だけが帰り、ダンナはロシアに残ることになりそうです。かなり悩んでおります。いつ結論が出せることやら・・・。