チャイコフスキー国際コンクール
6月15日から30日まで、4年に一度のチャイコフスキー国際コンクール(以下、チャイコン)が開催されていました。ピアノ部門の会場はコンセルバトーリヤ(モスクワ音楽院)大ホール。私にとってチャイコンは、地元モスクワの一大音楽イベントであり、お気に入りのピアニストに出会う場なのです。たとえば、4年前のチャイコンをきっかけに、ミロスラフ・クルティシェフが好きになり、彼がモスクワで演奏するたびに聞きに行っている、というように。
今回も、何度か会場に足を運んだほか、毎日のようにリアルタイムの配信で演奏を聞いていたのですが、魅力あるピアニストが多くて、それは楽しい2週間を過ごすことができました。(実際には、楽しいだけではなく、納得のいかない審査に憤りを感じたり、コンクールひいてはピアノの世界の厳しさに胸を痛めたりもしたのですが。)
今回のチャイコンで、私のお気に入りのピアニストが一挙に増えましたが、その中でも別格なのは、アレクサンドル・ロマノフスキー(第4位)とダニイル・トリフォノフ(優勝)。ロマノフスキーは格調高く、気品ある演奏を聞かせてくれる正統派ピアノスト。トリフォノフは、魔法のように多彩な音で、聞く者を幸せにするピアニスト。二人とも素晴らしい。アプローチの違うこの二人のピアニストに順位を付けるなんて、本来できるわけはないのに、順位が付いてしまう、それもピアニストが持っている音楽性や実力とは別のところで順位が付いてしまうのがコンクール。書きたいことは山ほどありますが、二人に焦点を絞って、チャイコンを振り返ってみます。
【ロマノフスキー】
1次予選の演奏を配信で視聴し、いいなと思いました。翌日、会場に行ったら、なんと目の前にロマノフスキーが! 思わず、「演奏、すばらしかったです!」と話しかけてしまいました。顔つきから渋い声を想像していたら、かわいい感じの声で答えてくれました。このときはまだ、その後、心から好きなピアニストになるとは知らず・・・。今なら、もっともっと伝えたいことがあるのに。
2次予選フェーズIも配信で視聴。シューマンの「交響的練習曲」が秀逸でした。コンクールだということを忘れて、ロマノフスキーの格調高いピアノを堪能しました。ラフマニノフのソナタ第2番も素晴らしかったのですが、その余韻に浸れなかったのは、カーテンコールの最中に、2次予選に進めなかったピアニストがステージに乱入し、ショパンを弾き始めるという珍事が発生したから。びっくりしました。
2次予選フェーズII。室内管弦楽団とモーツァルト(古典派)のピアノ協奏曲を演奏するという、今回から新設されたフェーズです。私が生でロマノフスキーを聞いたのはこのときだけ。モーツァルトの時代にタイムスリップしたような気がする美しい演奏でした。
ファイナル。ピアノ協奏曲2曲(チャイコフスキー+自由選択)を、前回までは2曲連続で演奏することになっていたのですが、今回から2日に分けて演奏することになりました。協奏曲は、どんなにピアニストが素晴らしくても、オケに自分のやりたいことを理解してもらい、息を合わせて演奏できなければ、いい音楽になりません。ロマノフスキーは、初日のトップバッターとしてチャイコフスキー第1番を演奏。オケがひどかった。息が合わない。聞いていて、心がざらざらしました。日をあらためて、ラフマニノフ第3番。ようやく本領発揮。ロシア人好みのラフマニノフの演奏。今度は、オケに足を引っ張られることなく、自分の世界を表現できていると喜んでいたら、第3楽章で痛恨のミスタッチ。でも、全体的には私は大満足。
結果として、ロマノフスキーは第4位。納得のいかない順位です。そのかわりのように、クライネフ特別賞が贈られました。この4月に亡くなったウラディミール・クライネフは1970年の第4回チャイコンで優勝したピアニスト。奥さんのタチアナ・タラソワ(浅田真央のコーチ)が涙ながらにスピーチをした後、ワレリー・ゲルギエフが受賞者を発表しました。ロマノフスキーは、受賞挨拶として、子どもの頃ウクライナで開催されたクライネフ青少年ピアノコンクールで、クライネフに会ったときの思い出を語っていました。
翌日のガラ・コンサートで、ロマノフスキーが演奏したショパンのノクターン(第20番)は心にしみました。クライネフへの追悼であると同時に、コンクールというものに別れを告げているようでもあり・・・。ロマノフスキーにとって初めてグランプリを取ったコンクールがクライネフ青少年コンクール(11歳?)で、クライネフ特別賞を取ったこのチャイコンが最後のコンクール(26歳)になるのでしょうか。
【トリフォノフ】
昨秋のショパン国際ピアノコンクールで注目を集めたピアニストということで、ぜひ生で聞いてみたいと思い、1次予選の会場に足を運びました。スカルラッティのソナタの演奏が始まるやいなや、会場がしんと静まりかえりました。いきなり、トリフォノフの世界に引き込まれたという感じ。きれいな、やさしい音。その雰囲気のまま、ハイドンへ。
そして、激しいプロコフィエフ、ロマンチックなチャイコフスキーと進むごとに、多彩な音を聞かせてくれて、陳腐なことばですが、音の魔術師という感じがしました。ピアノ愛とでもいうようなものも感じました。音楽が好きで、ピアノが好きで、誰よりもピアノのこと(どうすれば、どんな音が出るのか)を知っていて、他のピアニストには出せない音をいともたやすく出してしまうといった印象。弾く姿勢も、そのうちピアノに頬をすりよせるのではないかという感じ。
ショパンの「舟歌」を聴きながら、私もゆらりたゆたうような心地良い時間を過ごしました。ラストは、リストの「メフィストワルツ」。トリフォノフの多彩な音を生で聴けて大満足でした。
彼の演奏後、ロビーで、噴水でも浴びてきたように頭がずぶぬれで、黒の正装がグダグダになった男性に遭遇しました。きょろきょろと落ち着きのない様子で、あぶない人に見えたので思わず避けましたが、冷静に考えて「トリフォノフだ!」と気づいたときにはいなくなっていました。2階席からは見えなかったけれど、あんなに汗だくで演奏していたのですね。
2次予選も素晴らしかったのですが、それはさておき、ファイナルの話。ロマノフスキーと同日、3番手として登場し、同じチャイコフスキー第1番を演奏。またもや演奏が始まるやいなや、トリフォノフの世界に引き込まれてしまいます。最初からオケとの息も合っていて、「これがさっきロマノフスキーと演奏していた同
オケなのか?」と驚いてしまいます。見事にオケを自分に引き寄せて、表現したかった世界を生み出しているという印象。素晴らしい。いわゆる「ロシア人のチャイコフスキー」とは違う、今まで聞いたことのないチャイコフスキー。聞いていて、ただただ幸せだと思いました。至福のひとときだった。日をあらためて、ショパン第1番。チャイコンでショパンというのは、本来あり得ない選択ですが(ラフマニノフ第3番が優勝へのチケットと言われている)、キラキラのショパンで、幸せな気持ちになり、トリフォノフの優勝を確信しました。
ガラ・コンサートのアンコールで弾いたリストの「ラ・カンパネラ」でも、トリフォノフ・ワールドを炸裂させていました。観客がみんな笑顔なのです。この才能に出会えたこと、自分が立ち会えたことを喜んでいるのです。本当に、人を幸せにするピアニストだと思います。
ロマノフスキー、トリフォノフ、ともに素晴らしいピアニストです。日本でコンサートがあったら、ぜひ聞いてみて下さい。(トリフォノフは、9月8日に東京でのガラ・コンサートに出ます。ガラだとお値段の割には出番が少ない可能性が・・・)
ほかにも、フィリップ・カパチェフスキー、パーヴェル・カレスニコフ、エドワード・クンツ、アレクサンドル・ルビャンツェフ等々、ファイナルには進めなかったけれど、魅力的なピアニストがたくさんいました。と書いてみて、あらためて気づくのは、私はロシア系ピアニストが大好きだということ。ロシア人審査員か誰かが、「外国(非ロシア)のピアニストは、楽譜をよく見て、完璧に弾きこなす。でも、ロシアのピアニストは、楽譜の向こう側にあるものを見ている。」というようなことを言っていたような気がします。私は、楽譜の向こうにあるものを深いところまで見つめて、ロシアの心で表現するピアニストが大好きなのだと思います。素敵なピアニストたちの人生に、素晴らしいことがたくさん待っていますように。
【追伸】
7月11日、嵐が観光大使として世界に発信するビデオメッセージが発表されました。 世界133の国と地域で流される予定のビデオは、次のセリフから始まります。
「皆さんからの日本へのあたたかいサポート、本当に、本当にありがとうございます。
すべての日本人が元気づけられ、勇気づけられました。
そして今、日本の観光地は以前と変わらない元気を取り戻しつつあります。
そんな日本人の今の気持ちを、僕たちが紹介します。」
世界に向けて嵐がこのメッセージを発する役割を与えられたことは、とてもうれしかったです。特に最初の2行! モスクワでは、どこで見られるのでしょうか?