BLOG&NEWS

翻訳コンニャク その1

かの

通訳・翻訳者リレーブログ

 初めて日英の翻訳をしたのは小学校5年生の時。
 当時両親の転勤で暮らしていたイギリスでのことです。まだ駐在員など少ない時代で、今でこそイギリスは多文化共生ですが、そのころは我が家の周りも典型的なアングロサクソン系英国人しかいないような時代でした。
 私が送り込まれたのは英国国教系の私立女子校。先生は女子生徒たちを‘Ladies’と呼びかけ、常にpleaseやindeedといった単語が文章に散りばめられていました。教員や校長先生が教室に入ってくれば生徒はすぐ起立。規則も厳しく、成績や行いが悪ければdetention(居残り)を命じられ、この処罰は朝礼(assembly)で全校生徒の前で言い渡されます(まさに見せしめ!)。一方、宿題の出来が素晴らしければ通常のA+やBといったグレードではなく「☆(スター)」印が大きくマーキングされ、こちらも朝礼で名前が読み上げられます。「自由と規律」(池田潔著、岩波新書)という英国の教育制度に関する名著にも書かれているとおり、ルールを守り、共に学ぶという雰囲気がまさに感じられました。
 当時私は英語が全くわからず、せいぜい「ハウ・アー・ユー?」「アイム・ソーリー」が関の山。私のような外国人生徒には宗教やラテン語の正規授業を返上して英語特別クラスがあてられ、週に数時間、個人レッスンを受けていました。
 転校当時は友達もできず、いじめや人種差別にも遭い、暗い暗い英国の冬に心身ともにくじけそうでした。毎日大量の宿題も出され、遊ぶどころではなかったのです。配布された時間割には宿題の目安時間もMaths(30), History(45)というように書かれていたのですが、「数学の宿題を30分以内で全問解け」と勘違いした私は指定範囲を見てパニックを起こします。結局どうがんばっても全問解き終えられず、悔しさと情けなさで暗澹たる気持ちで翌朝登校したのですが、何のことはない、「30分でできるところまでやる」という宿題でした。
 この悔しさと情けなさ、そして自分が日本をしょっているという気持ち。これが子供心にも「何としてでも英語をマスターしなければ私はこの学校で居場所がない」と思わせてくれました。必然性、そして苦しみから逃れたいという必死の思いが私の英語・原体験です。
¥¥t¥¥t¥¥t¥¥t¥¥t(来週に続く)

Written by

記事を書いた人

かの

幼少期を海外で過ごす。大学時代から通訳学校へ通い始め、海外留学を経て、フリーランス通訳デビュー。現在は放送通訳をメインに会議通訳・翻訳者として幅広い分野で活躍中。片付け大好きな2児の母。

END