プロに頼るということ
「自動洗車機は車が傷むよ」との夫の言葉を参考に、初めて手洗い洗車を頼んでみた。というのも昨年秋に購入した車は中古車とはいえ、私の大好きなメタリックレッド。しかも走行距離がそれほどない「新古車」なので、傷をつけるのが何となくはばかられたからだ。近所のガソリンスタンドで「泡ムートン洗車」なるコースを頼んでみたところ、結果は大満足。ひょっとしたらディーラーからの納車時より車はピカピカかも。タイヤの溝まできれいにしてくれて、しかもオイルやバッテリー、ウィンドーウォッシャーの無料点検も含まれていた。締めて2,100円。これは私にとって大いにお買い得だった。
乳がんで亡くなったジャーナリスト・千葉敦子さんが「自分ができないことはお金を払ってプロにやってもらう。自分はその分浮いた時間を仕事や勉強に使いたい」という旨を著書で書いていたが、私もその考えに賛成だ。先の洗車にしても確かに自分でできるけれど、わずか30分でここまでやってもらえるなら私は迷わずお金を払うタイプ。以前、台所の換気扇が油汚れでどうしようもない状態になったときも業者に依頼してきれいにしてもらったし、エアコンやレンジ台などの掃除もプロに頼んだ。2〜3万円を高いと思うか安いと思うかの違いだと思うが、自分がどんなにがんばって掃除しても中途半端な仕上がりだったものが、プロの手にかかればわずか1時間で見違えるように、それこそ新品のようになったのだから、やはり安いと思う。
同じ見方が通訳・翻訳業務にも言えるだろう。プロの通訳・翻訳者は単に言葉の置き換えだけをしているのではない。メインの通訳・翻訳料は言葉の変換に支払われているわけだが、ミーティングの場を和ませたり、機転を利かせたりできるのは生身の通訳者だからこそできるもの。翻訳の場合ならたとえば原文のミスを発見したり校正もできたりするのだ。「祖国とは国語」(新潮文庫。2003年)の中で藤原正彦氏が「十年もしないうちに、安価で高性能な翻訳ソフトによりほとんどの情報交換は母国語で用をすませられる時代がくる」と述べているが、ヒューマンな部分は機械にはできないと私は思う。物事の機微をとらえる力、場の空気を読むことなど機械には難しいのではないだろうか。
だからこそ私は様々なサービスをプロに頼りたいし、自分自身、頼りがいのあるサービス提供者でありたいと思っている。