伝える努力
息子の5歳の誕生日まであと3週間弱。ここのところ息子は「お誕生日プレゼントに○○ほしいな〜」とか「△△もいいなあ・・・」と色々考えては私にリクエストしてくる。ハムスターやプラレール、新幹線のミニチュアなどなど、様々なアイテムがリストに上がってきた。当然、すべて買えるわけはないのだけれど・・・。
そしてここ数週間、絞り込まれてきたのは「今もっている電車用のお遊びレール」と「貨物列車」。息子はダイキャストスケールモデルの電車シリーズが大好き。私たち夫婦はむやみやたらにおもちゃを買わないほうだが、それでもここ数年、電車モデルは何点かに増えてきたのである。そこで息子は商品パッケージに入っていたカタログに赤丸をつけ、「これ!これが欲しいの。お誕生日に買ってね」と言っていたのだ。
ところがある朝、起きてみるとそのカタログがない。いくら探しても見当たらず、息子は大泣き。おもちゃ箱の中にも布団の下にもない。朝の忙しいときに「ない、ない〜!」と泣かれて私もほとほと困り果ててしまった。すると洗濯機の中にぼろぼろになったカタログが・・・。どうやら息子がパジャマの胸ポケットに大切にしまってそのまま洗濯してしまったようだ。ヤレヤレ、夫もよくパスネットを胸ポケットから取り出し忘れて洗濯してしまうし・・・。パスネットは無傷で済むが、今回は紙製カタログだったので再生不能となってしまった。
うーん、ここで息子は大号泣なるか・・・と思ったが、何と「ボク、自分で書く!」と言う。そしてやおら「ひらがな表」をテーブルの上に置き、紙に「おあそびれえる と かもつれっしゃ」と書いていた。その姿を見て私はコミュニケーションについて考えさせられたのである(すぐ自分の仕事に結びつけるあたり、職業病でもあるのだが)。
「伝えるために文字を使う」という、大人にとってはしごく当たり前の行為を息子は必死になってやっていた。買ってもらいたいプレゼントを両親に伝えるために、文字を書くという、まだ不慣れな作業を積極的に行っていた。これぞ「相手に伝えるための努力」なのだと思う。英語を学ぶのも、ここが大事なのだろう。ただしゃべれるだけでは意味がないし、他人と比べて自分は英語が出来るか出来ないかを測るためのものでもない。「何かを伝えたい」という思い。これを実現してくれるのが「言葉」なのだと思う。