「させていただく」は難しい
最近私がよく聞く言葉で使い方が難しいもの、それは「させていただく」である。昔はそれほど耳にしなかったが、最近は若い人も頻繁に使うようになった。この言葉、一見丁寧だが、何かしっくり来ない。なぜだろう?
ネットで「させていただく」と入れて検索したところ、実はこの言葉が日本語の乱れを象徴するものであることがわかった。つまり、丁寧に聞こえるのだが、一歩間違えると高圧的な印象を与えるというのだ。たとえば「閉会させていただきます」と言った場合、「誰も閉会の許可を与えていないのだから、反対すれば閉会しないということなのか」という見方もできる。本来ならば「閉会いたします」で十分というわけだ。
現に私の周りでも「させていただく」という表現は多用されている。スポーツクラブのレッスンを受ければ「本日レッスンを担当させていただく○○です。よろしくお願いしま〜す!」とインストラクターが元気に挨拶。うーん、何か違う。レッスンを習いに行っているのは私たちなのだから、イントラさんはもっと堂々としていて良いのに、と思ってしまうのだ。これではまるで受講生が偉くて、教えてくれるイントラさんが下のような印象を受けてしまう。あるいは通訳学校でのこと。生徒さんが「先ほど先生に○○と質問させていただいたんですが・・・」と言ってくることもある。授業中の質問は私自身、大歓迎なのでもっと自信を持ってバンバン聞いてきてほしい。だから「質問させていただく」などと小さくならなくても良いのにという印象を受ける。少なくとも通訳の現場に出ればスピーカーとの打ち合わせ時間は少ないので、手短にどんどん疑問点を解消しておく必要がある。「させていただく」と悠長に構えている余裕はない。
確かに「させていただく」には独特の響きがあり、以前テレビで歌舞伎役者が「○○の演目をやらせていただいたときは・・・」と話していたのを聞いて、「何て美しい話し方!」と思ったのも事実だ。でも乱発してしまうとしつこい感じがする。そうなると、やはり本来の「いたす」をうまく使い、必要に応じて「させていただく」も入れていけば良いのだろう。
以前ある会合で年配の女性が「お話申し上げます」「ご質問したいのですが」と述べていた。「申す」「お」「ご」などの謙譲語や丁寧語を上手に使いこなしていたのだ。あまりの素晴らしい使い方に聞きほれてしまったほど。以来、私も落ち着いてきちんとした日本語を話さなければと自分に言い聞かせている。
それにしても世の中、丁寧なのかぶっきらぼうなのかわからなくなってしまった。近くのスーパーの駐車場では出口の自動音声が「駐車券を矢印の方向に入れてください」と声高に唱える。「こういうときは『お入れください』でしょ!」とついツッコミを入れたくなるのは私だけだろうか?