技術者の自己満足
とうとう我が家のビデオデッキが壊れた。元々このデッキ、3年前に引っ越してきたとき、伯母宅のお古を頂いたものだ。製造は1983年。西暦2000年問題にも対応していなかった。でも映像翻訳作業による酷使も何のその、実によく動いてくれた。
新しいデッキを買いに行ってみると、あるわあるわ。VHS単独デッキなど既に時代遅れで、HDDにDVDは当たり前の時代。しかも価格は数万円台からある。私などは音楽CDが一枚5千円の時代を経験した世代。そんな人間にとって、この技術の進歩には目を見張るものがある。正直、ついていけない。しかしそんなことも言っていられないので、とりあえずVHS録画再生機能を最優先しつつ、HDDとDVD対応のものを入手した。
帰宅して梱包を開けてみると分厚いマニュアルが。パソコンや携帯電話同様、とにかく今のマニュアルはすごく読み応えがある。以前の私なら家電の取扱説明書を隅々まで読んだものだが、今はとてもとても。こちらとしてはVHS録画と再生ができればよいので、残りの機能の習得は別に後回しでも構わない。何とか「VHS録画再生」の説明を読んで試運転を確認し、一件落着となった次第だ。
それにしてもどうして最近の家電はこれほどの機能がついているのだろう?ファクス、電子レンジ、オーブントースター、洗濯機からパン焼き機に至るまで、どれも多様な機能が付属している。しかしこのすべてを使いこなしている人は実は少ないのでは?メーカー側にすれば「これだけの機能をつけました」ということで技術力をPRできるし、機能が多ければ多いほどセールスポイントにもなる。しかし言い換えれば、これは技術者の自己満足との見方もできるのだ。消費者のニーズよりも技術力の証明ということになる。
これは通訳業務にも当てはまる。クライアントの中には「一字一句もらさず、すべて訳して欲しい」という人もいるが、その一方で「長々と通訳するよりも、ポイントを抑えたメリハリのある通訳が好ましい」という人もいる。つまり「全訳=通訳者の自己満足」とクライアントにとらえられてしまったら、先の「技術者の自己満足」と同じになってしまうのだ。私自身、通訳業務の際はクライアントのニーズを最優先するよう、常に自ら言い聞かせるようにしている。