「知らない」という勇気
通訳翻訳の仕事をしていると、宇宙からIT、サッカーから浄瑠璃まで多岐に渡る分野をカバーする。「狭く深く」ではなく「広く浅く」というわけだ。それゆえ仕事で得た知識を元に、初対面の人とでも話は合わせられる。「よくご存知ですね」と感心されることもある。しかしだからと言ってすべてを知ったような気になってはいけないし、むしろ知らないことがたくさんあっても構わないと思う。
私が本格的に通訳者を志した頃、ある私塾に通った。そこの師匠はとても謙虚な方で、博識であるにも関わらず決してそれをひけらかさなかった。若い生徒が何か真新しい情報を発表すると、身を乗り出して真剣に聞いている。「君はどう思うか?」と積極的に意見を尋ねてくることもあった。私はその姿勢にとても感銘を受けたのである。
人はライフステージに応じて知らないことがあってもいいと思う。今の世の中は情報があふれ、それこそマウスのボタン一つでどんな情報もネットから入手できる。新聞や雑誌も新しいトピックをひたすら流し、「知らないと損」「今、知っておかないと後が大変」とあおる。でもあえてすべて知らなくても、日々ハッピーに暮らせるのではないだろうか。
私は子育て、仕事と家事、あとは息抜きのスポーツクラブの四本柱で今の生活をまわしている。テレビを見る時間がないのでKAT-TUNを「かっつん」と呼んでママ友にびっくりされたり、「V6の振り付け」と言われてなぜか野菜ジュースを連想してしまったりする。
でもバムとケロが絵本の中で何を買ったか知っているし、「花さき山」の「おどろくんでない」のセリフに込められた意味もわかる。玄米を普通鍋で炊けるようになったし、スポーツクラブのレッスンに出てくる「スーパーマン」の動きも何とかできる。
人間、何でも知っている必要はないのだから、情報洪水に左右されず、「知らない」という勇気も幸せにつながるだろうなと思う。
もっとも実家の母は「え!?KAT-TUN知らないの?私だって知ってるのに」と絶句していたけれど・・・。