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側溝から消えゆくもの
年度末の3月、道路工事の時期。我が家近くの狭い道では側溝がふさがれた。これで台風時に雨水があふれることもなくなる。車も余裕を持って通れるようになるはずだ。便利になる一方、ふと数年前のことを思い出した。
うちから一番近い公園に続くこの道は、車一台がやっと通れる幅。その頃は側溝がむき出しで、端を歩いていても車が来ればヒヤヒヤだった。息子が2歳の頃、私は右手で彼の手を引き、左手で娘のベビーカーを押してよく公園までその道を一緒に歩いた。
おしゃべりが上手になり始めた息子は、道路脇に続くくぼみを見てこれは何かと尋ねる。私は「側溝って言うんだよ。今は乾いているけれど、雨水や汚いお水が流れていくの」と答えた。
「そのお水はどこにいくの?」
「地下を通ってマンホールの下に集まるよ」
「そのあとはどこいくの?」
・・・うーん、実は私もよく知らない。
「浄水場に行って、川に流れるの・・・かなあ」
「それから?」
「たぶん海。」
この道を歩くたびにこんな会話が繰り返されたのである。当時の息子は「なんで?どうして?」を連発する時期。ここの水がなぜ遠い海にたどり着くのだろうときっと不思議に思ったに違いない。
そんな親子の会話のきっかけとなったこの側溝も、もう見ることはできない。通りやすくなった反面、子どもの想像力を刺激するものがまた一つ消えていくのかな、と少しさみしくも思った。