携帯電話がなかった頃
今日から新年度。電車には新しいスーツに身を包んだ新卒者たちが沢山乗っている。新たに社会に仲間入りした若者たちはこれから色々なことに直面し、悩んだり喜んだりして成長するのだろう。毎年この時期になると私は自分が入社した頃を思い出す。
当時はまだバブルの頃。売り手市場の就職活動で、金融業界が圧倒的な人気を誇っていた。私が入ったのは外資系航空会社。日本語機内誌を編集する広報部か旅客部門を希望していた。しかし配属されたのは貨物部だった。
未知のカーゴの世界に最初は大いに戸惑った。自分の希望でない部署というのも不本意だった。しかし学べば学ぶほど、奥が深いことも知ったのである。当時は携帯電話もメールもない時代。職場も今のように各社員がキュービクルの中で仕事をするのでもなかった。大部屋を部署ごとに区切って、まるで小学校の職員室のごとく、机と机が並んで「島」のようになっていたのである。
得意先から営業マンへの電話はたいてい午前中に会社にかかってきた。新人の私はそれをメモしておく。お昼ぐらいになると出先の営業マンが公衆電話からかけてくる。こんな具合だ。
「かのさん?僕の外出中に何か連絡ありましたか?」
「あ、お疲れ様でーす。えっと、○社からXXトンの貨物を輸出したいそうです。中身は精密機器とのことです」
「OK!ありがとう。早速先方に電話します。」
こうして私は先輩たちに伝言を伝えていたのである。入社するまでの私は、飛行機が乗客のスーツケース以外に商業貨物を運んでいることすら知らなかった。しかし電話を取り次ぐことで、「精密機器を運ぶにはどれぐらいしっかり梱包するのか?」「動物を運ぶって言っていたけれど、各国の検疫事情は?」と自分なりに好奇心が芽生え、自分で調べるようになったのである。
つまり、当時は携帯やメールがなかったからこそ、私の勉強のチャンスが広がったとも言える。さらにもし私の机も準・個室で、欧米のように契約内容の仕事だけをやるという状況であったならば、上記のような自主的な勉強もしなかっただろう。自分で課題を見つけ、自分で調べてみること。その過程は学習の基本とも言える。社会人一年生のときにそういう状況で学ぶことが出来たのは自分にとって良かったと今、改めて思う。