究極の通訳
「キヤノンの仕事術」(祥伝社、2006年)を読んだ。
著者は酒巻久氏。数年前、「椅子とパソコンをなくせば会社は伸びる!」(祥伝社)でベストセラーになったキヤノン電子の社長である。パソコン開発に携わった技術畑出身の酒巻氏が、あえてパソコンをなくすべしと述べていたのが非常に興味深く、近著も読んでみようと思ったのである。
キヤノンは世間で知られているとおり、トヨタと並ぶ日本の優良企業。日本経済が低迷している中でも業績を伸ばし続け、環境問題にもいち早く取り組むなど、組織として学べる部分が沢山ある。御手洗冨士夫会長(現・経団連会長)の経営論もユニークであり、私自身、キヤノンに関する本には注目してきた。
酒巻氏はどちらかというと大胆な発想の持ち主で、キヤノンの中でも異端児的存在。しかし、それだけに著書の言葉も重みがある。今回読んだ仕事術もそうだった。
たとえば「究極の設計は、実に簡単でシンプルである」(34ページ)というくだり。氏によれば、どんなに高度な製品でも、特許や設計図を見てみると、究極のものであればあるほどシンプルだとのこと。
これは通訳にも当てはまる。本来の美しい通訳というのは、ゴチャゴチャと一字一句述べ立てるよりも、話者の言いたいことを的確に再表現することだと私は思う。現に故・米原万里氏もこう述べている。
「字句どおり全部そのままにやっても、情報が多すぎて逆に伝わらないのだったら、省略できるところは省略して、ちゃんと伝わるようにしたほうがよいわけです。」(151ページ)
(「米原万里の『愛の法則』」、集英社新書、2007年)
つまり究極の通訳というのも、シンプルでわかりやすくするべきではないだろうか。話者が言ったことすべてを言語変換するのは、英語と日本語のスピードや構造上、不可能である。それに一字一句を「for the sake of通訳」として置き換えるのは、ややもすると「千本ノックを取りました!」という通訳者の自己満足に終わってしまう。誰のための、何のための通訳かということを常に念頭に置くべきだと今回、酒巻氏の本から私は感じた。
もうひとつ興味深かったのが、プロジェクトに失敗したときの対処法。失敗した当事者はただでさえ落ち込んでいる。しかも上司から叱責されれば、本人はますます追い詰められてしまうだろう。しかし酒巻氏はそのような際、原因究明や分析を楽しく行うべしと説いている。つまり「宝探し」のような感覚で原因を突き止め、それを次回への教訓として生かすべき、というのだ。 これも通訳業に当てはまる。「今回の通訳はうまくいかなかった」と落ち込むことは簡単だ。しかし、どこのどういう部分で失敗したのか、宝探しのごとく追い求めれば、必ずや次回に生かされると思う。
酒巻氏は報告の仕方についても興味深いことを述べている。たとえば何か提案するとき、上司に「どうすればいいでしょうか?」と丸投げするのではなく、「A案とB案があり、私は○○の理由でA案が良いと思いますが、いかがでしょう?」というほうが良い、という。
これは通訳学校で私が受ける質問と似ている。伸びる生徒というのは「○○という勉強法をやっていて、自分自身、これこれの部分で伸び悩んでいます。補足で△△の教材をやろうと思っているのですが、先生、いかがでしょうか?」という聞き方をする。一方、学習ノウハウばかり溜め込んでいる受講生は「先生、シャドウィングはどれぐらいやったら良いですか?」という問いを発するのである。いくら講師であっても、後者のような漠然とした質問ではアドバイスが難しい。
最後に。酒巻氏は「交渉事は、極端な話、通訳の良否で決まってしまう。」(186ページ)と記している。通訳者として、この言葉を真摯にとらえ、私自身、勉強を続けなければと思っている。