上機嫌の力をつける
齋藤孝著「上機嫌の作法」を読んだ(角川書店、2005年)。
この本を買ったのは、6歳の息子をガンガン叱り飛ばした翌日。きっかけはささいなことだった。しかし注意しているうちに私の虫の居所がどんどん悪くなってしまい、しまいには「誰か私の怒りを止めて〜」というぐらいになってしまったのである。6歳児相手に自分は何やってるんだろうと、その直後はものすごい自己嫌悪に襲われた。
齋藤氏によれば、上機嫌というのは持って生まれた才能でもなんでもなく、訓練を積み重ねて培うことのできる「技」なのだという。これにはハッとさせられた。世の中にはいつも楽しそうに、機嫌のよい人がいる。そう言う人たちは、ネアカなお気楽人間なのではない。意識的か否かは別として、自らを機嫌よくしようと努力しているのである。
そう言えば思い出すことがある。イギリス時代、かかりつけの医師はいつ行ってもニコニコだった。鼻歌交じりに診察してくれる先生だったのだ。イギリスの国民皆医療制度というのは、働く側の医療従事者にとって労働条件が必ずしも良いとは限らない。なのに、なぜここまで機嫌よくしているのか不思議だった。しかし、おそらく人の病を治すという大変な職業だからこそ、そうした明るさを自ら保っていたのかもしれない。ちなみにその先生の上機嫌さに、私など診察室に入るや半ば治ったような気分になったものだ。
もう一人はわが家担当の宅配便のお兄さん。暑い日も寒い日もいつも元気いっぱい。「♪ピンポ〜ン、かのさーん、宅急便でーす!」といつもニコニコなのだ。朝から晩まで毎日同じルートを配達して、重い荷物を届けてみたところで不在ばかりという状況なのにも関わらず、本当にすごいと思う。
そんなわけで、今は齋藤氏の本から自分でできることを実践中だ。本文には、「相手にこちらの言うことを聞く気にさせなければならない、そのためには常に上機嫌であることが肝要だ」(15ページ)とあった。これはまさに子育てにおいて必要なこと。相手が子どもだからこそ、フキゲンな親よりは機嫌のよい親の言うことを聞きたいと思うだろう。そう考えながら毎日過ごしている。
ちなみに上機嫌かつ子どもたちを笑わせようと思うと、ものすごくアタマを使う。たとえば、食事中に子どもがお箸を落としたとき(これがしょっちゅうあるのだが)。子どもはハイチェアに座っているので、すぐには下りられず、私がいつも席を立って拾わなければならない。以前の私なら、
「ご飯中はお箸を落としちゃダメでしょ!昨日もおんなじことで注意されたでしょ?」
となる。しかし、「上機嫌の作法」バージョンで行けば、
「食事中はお箸を落としちゃダメだよね?昨日に続いて2回目だから、今度落としたら、お箸を拾う手間賃として、引き出しの中のお菓子はお母さんがすべていただきま〜す!!」
と言う。そうすると「え〜?ダメだよ〜!!」と子どもは言いつつも、なぜか大ウケなのである。私自身もそれで笑い飛ばせるので、ネガティブなエネルギーに向かうこともない。実際問題、笑うと顔がポジティブモードになり、今さら怒ることもできなくなってしまう。さあ、あとはこれをどう「技」として定着させるかが問題だ。