好奇心
先日幼稚園を卒園した息子は、目下数字に興味津々。特に足し算など教えたわけではないのだが、時間さえあると、「10たす15は?」など、すぐに計算の質問をしてくる。
思えば息子の興味は、周期的に変化してきた。ヨチヨチ歩きのころは電車、新幹線、車をはじめ、ブルドーザーやトラックなどのはたらく車が大好きだった。その後、昆虫や恐竜に目覚め、図書館で関連書を一通り借りては、なめるように読んでいた。何か新しい「流行」が生まれるたびに、大いなる熱意で絵本や図鑑に目を通し、自分の知識欲を満たしてきたのである。その好奇心は親から見てもものすごかった。
おそらく私にもそうした時期は幼いころにあったと思う。しかし成長とともに、好奇心を満たすことが、だんだんと学校における「強制された学習」へと変わってしまったのである。本来、何か新しいことを知るというのは、喜びを伴うはずだ。しかし「授業がつまらない」「先生が面白くない」「暗記ばかりで大変」といったネガティブな要素ばかりが拡大されてしまい、次第に「学ぶ」という行為が面倒に思えてきてしまったのである。私の場合、高校卒業までは好きな科目と苦手科目の差があまりにも大きかった。
しかし、学問というのはもっと自由であり、ワクワクした気持ちをもたらすものだと私は思う。それは我が家の子どもたちの関心事や話を聞くにつけ、私自身が気付かされた点である。
目をキラキラさせては学んだことを誰かに披露したり、寝食を忘れて本に熱中したりすること。これこそ、通訳者や翻訳者として生きていく上で忘れてはならないことだと思う。知らないことを「知らない」という勇気、わからないことを教えていただくという謙虚さ、自分で調べようとする行動力。そうした前向きな気持ちさえあれば、誰でも立派な語学のプロになれると私は考える。
通訳者として生きる上で、勉強法の絶対的正解などないと思う。つい正答を求めたくなるのが人間ではあるが、正しい答えがないからこそ、自分で自分なりの正解を追い求めていく。それが、この仕事の醍醐味だと私は思っている。