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「字幕の翻訳者は皆堕落だ」!?

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

皆さんこんにちは。今月から月曜日のブログを担当することになりました、「いぬ」と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

通訳者とはいうものの、メインにこなしてきたのは放送通訳で、翻訳者とはいうものの、メインにこなしてきたのはドキュメンタリーの吹き替え用翻訳。その上大学講師とはいうものの、理論の勉強が追いつかず、実質的に語学講師という、全くもって、どう名乗って良いのか分からない「規格外」の存在なんですよね。

まあ、一番「規格外」なのは「体格」なんだろうなあと、妻にわき腹をつままれながら眉をハの字にする日々なのですが。

さて、先日食卓で妻と話しているときに、妻が「言語」という雑誌の4月号を立ち読みしたという話になったんですよ。何でもある外国人が、「日本の字幕はなっていない。文化的な違いを全て無視している」などと書いてあるとか。

「な、何を!」と思って翌日に書店に走り、早速一冊捕獲して、そのエッセイを読んでみました。

筆者はドメーニグ・ローランドさん。ウィーン大学の日本語学の研究者で、ネットで調べた限り、日本についてもかなり造詣が深い方のようですが、寡聞にて存じ上げませんでした。

肝心のエッセイの内容なのですが、どうも分かりにくい。私の読み方が悪いのかもしれませんが、前半と後半で主張が矛盾するような感じなのです。

最初に「もののけ姫」のドイツ語字幕を作った際の経験について述べていらっしゃいます。この際に「翻訳者の弱い立場」「字幕の翻訳者は皆堕落者だ」ということを感じたと言うんですね。前者は諸手を挙げて賛成ですが、後者に関しては頭の上に疑問符がいくつも浮かびました。

ローランド先生はおっしゃいます。「ヨーロッパと違って、日本では字幕翻訳者は影の存在ではなく、(何人かの有名翻訳者は)セレブリティーとして人気がある」「字幕翻訳者は堕落すればするほど人気が高まる」、と。

・・・いや、お言葉ですが、一部の字幕翻訳者「だけ」が「セレブ」なのであって、やはり字幕翻訳者は「縁の下の力持ち」なのではないでしょうか。また、「堕落」とは聞き捨てなりませんが、一体何をもって「堕落」とおっしゃるのでしょうか?

そう思って読み進むと「無理矢理に文化的な差異やテキスト上の問題点を消し、台詞をありふれた枠にあてはめようとする。」「曖昧なことをはっきり決め付ける」「不潔な言葉も嫌い、汚い言葉はすぐ清潔にされる」などを「堕落」の証拠として挙げていらっしゃいます。

う〜む。しかしそうでしょうか?実際にそんな字幕が世にあふれているという印象もないですし、第一このようなことは、翻訳の学習者がかなり初期の段階で学ぶことではないでしょうか?

ローランド先生は、「堕落した字幕に対抗できるのかを試みるため」、ウィーン大学の学生さんに、日本語映画にドイツ語字幕をつけさせる授業をしたそうです。学生さんたちは字幕を入れる位置や一度に表示される数、字幕の色使いや文字の大きさなどに工夫を凝らしたとか。日本の字幕翻訳では、それほど珍しい処理ではないと思いますけれども、まあここまでは学生さんの努力を素直に評価したいと思います。

大阪弁の字幕に、ドイツ語の方言を使ったことも、それ自体はいい考えだと思うのですが、ローランドさんのコメントに納得が行きません。「方言の文体は文章語より読みづらいので、方言の聞き取りにくさに対応するすばらしい解決法を編み出した」とほめているのですが、大阪弁の特徴とは「聞き取りにくさ」だけでしょうか?

個人的なイメージなので、細かな差異はあると思うのですが、大阪弁というと、ユーモラスな響きの中にぬくもりを感じるような、そんなイメージがあります。そのあたりを全部削り取って「聞きづらいから、字幕は読みづらく」という処理は、個人的には適切とは思えません。

ドイツ語にも私の持つ「大阪弁」のイメージに合致するような方言があって、その方言を使ったというのならば、納得は出来るのですけれども。

ローランド先生は最後に、「翻訳をもっと意識させる」「翻訳はオリジナルに対する暴力だという事実を積極的に意識させるのが翻訳者の義務なのではないか」と述べ、「翻訳者の仕事を隠すことをやめよう!翻訳者の堕落と戦おう!」と檄を飛ばしています。

いや、先生、さすがにそれはちょっと。

放送通訳者としてデビューして以来、「いかに日本語放送として自然に聞こえるか」を追求し、「え、オリジナルは英語なんですか?」と言ってもらうことを夢見ている身としては、自分のポリシーの根幹を否定するような言葉なものですから。

原文が透けて見えるような翻訳をしろ、ということではないと信じたいのですが、どうなんでしょうか。いくら「文化的な違いについても過剰な解釈を避けよう」と言っても、限度がありますし。

原文が透けて見える翻訳というと、今でも鮮明に覚えている訳があります。高校生の頃、ある翻訳小説を読んでいたのですが、飛行機が墜落するのを見た人がこう叫ぶのです。

「ああっ!キリスト様!」

ローランド先生のおっしゃる翻訳が、ここまで極端なものでありませんように。

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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