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散文的な、あまりに散文的な

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

うう、体中が痛い。2週間ぶりの稽古が応えたな。さてと、そろそろ起きるか。今日は例の論文を読んで、要点をノートに抜書きしなくちゃ。まだ夜明け前だから、1時間ぐらいは・・・

「おとーさーん」
う、Kちゃん、起きちゃったのか。妻はもう起きて仕事中か。それじゃあ、僕が寝付かせるしかないな。
「どうしたの、Kちゃん。まだ早いよ。ねんねしよう。お父さんのお布団においで」
頼む、早いところ寝てくれよぉ・・・。
「あのねえ、ゆめでねえ、おとうさんがねえ、ぎょうざたべた」
な、なんだ、そりゃ。
「さささ、それじゃあ、お目々つぶって、ジッとしてごらん」
「ねむくなーい」
「ん。寝なくていいの。こうやってねえ、お目々をつぶってねえ、ジッとしててごらん?そうするとねえ・・・」

・・・ZZZZZZ・・・・

・・・ハッ!僕が寝てどうする!しかも、すでにKちゃんは布団にいないし!

「悪い悪い、すっかり寝坊しちゃったなあ。もう7時過ぎかあ」
「良いのよー。ゆっくり寝てれば良かったのに」
と妻。目が笑っていないような気がするようなしないような・・・。

「おはよー」
息子のNが起き出した。さあ、朝に弱いから、これからが大変だ。休日ぐらいゆっくり過ごさせてやりたいが、下手をするとパジャマの上を脱いだ時点で夕暮れを迎えかねない。

「ほら、Nくん、お着替えしちゃいなさい」「本は読まないの」「今のうちにおトイレに行かないと、またKちゃんと取り合いになるぞ。行っといで」「今は本を読むときじゃないでしょ?」「Kちゃん、まだ早いから、電子ピアノは弾かないで」「ほら、Nくん!本は今すぐしまいなさい!」「かなちゃん、スプーン並べて」「え?どっちでもいいけど、それじゃ、紅茶」「パジャマ脱ぎっぱなしだぞ、2人とも」「ほら、呼ばれたらすぐ席に着きなさーい!」

ようやく朝食が始まるが、休日の朝の優雅さなどかけらもない。

「あのねえ、キティちゃんが、ようちえんに行ったのね」「HDD、録画出来てなかったの。199タイトル以上はダメみたい」「それでねえ、おべんとうをたべてたの」「そりゃ災難だったなあ。じゃあ、早起きしても仕事できなかったんだ」「ウ〜、ワンワ〜ンワ〜ン!」「こら、Nくん、食事中に歌うんじゃないの」「それから、今日の試験だけど」「でも、そんなの関係ねー」「え?試験だっけ、今日?」「Nくん、おとうさんがそれいっちゃダメっていってたよー」「カレンダーに書いてあるでしょ」「いいんだもんねー」「あ、そうか。悪い悪い」「ダメなんだよー!」「それで、1時ぐらいには帰れるけど、帰りに買い物してこようか?」「いいんですー!」「うん、じゃあリストにあるものを買える範囲で」「ダメなの!おとーさーん!Nくんが」「こら、2人ともケンカするんじゃない!」「だってNくんが」「Kちゃんが」「良いから、ちゃんと食べなさい!あ、ベーコンも買ってきて」「だってKちゃんが・・・」「いつまでも言うなよ。ほら、こぼした!」「お父さんが怒ったー!」「怒られるようなことするからでしょ!ほら、Kちゃんも、おかずばっかり食べないで、パンも食べるの!」

喧騒のうちに朝食が終了して、食器洗い。妻は洗濯機から洗濯物を乾燥機に入れた時点で時間切れ。残りは僕が干すとするか。

「ほら、お母さんが出発するぞー。みんな玄関に来なさーい」「えー、僕、ちょうどトリケラトプスを折ってたのに」「ちゃんとお見送りするの!」「じゃあね、いい子にしててね」「おかーさーん!いってらっしゃーい!」「こら、Kちゃん、まだ早いんだから玄関で大声出さないの!」「ねえ、お父さん、もう戻っていいでしょ」「あのなあ・・・」

しめしめ、子供たちは遊びに夢中だな。それでは早速読むとするか。

「通訳教育の新しいパラダイム—異文化コミュニケーションの視点に立った通訳教育のための試論」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jais/kaishi2005/pdf/04_inou&someya_final_.pdf

ずいぶん前に斜め読みしたきりで、じっくり読み返したかったんだよね。3Dモデルを発展させた話も載っているし。

「同時通訳は『即時処理』と『遅延処理』の2つのタイプがある」かあ、なるほどなるほど。僕は明らかに後者だなあ。前者には「修復」と「つなぎ」の技法が必要・・・って、それ、なんだろう。

Hallという人の「高コンテクスト文化」「低コンテクスト文化」という概念も、「英語教授法概論」か何かで読んだ気がするけれど、改めて考えると面白い。前者が日本的な「お互いにツーカーなので、最小限の言語情報でメッセージが伝わる」という状況、後者が欧米的な「ほとんどの情報を明治的なメッセージとして提示しなければならない」という状況。なるほどね。

ただ、同じ文化の中でも、コミュニティーごとにというか、高コンテクストと低コンテクストが混在しているだろうから、そう明確には・・・

「ん?なあに?」
「おとうさん、なぞなぞね。にんにくはにんにくでも、たべられないけど、たべられるにんにくは、なーんだ?」
「へ?に・・・んに・・・く?」
「ぴんぽーん」
「え?正解なの?」

笑顔でうなずくと、無言で立ち去るK嬢。何なんだよ、一体。

ええと、次は通訳教育についてか。よっ、待ってました!なになに・・・。

「これまでの通訳教育は、いわゆる"sink or swim"アプローチを中心に展開されてきたのが現状」「このような授業において、最も大切なのは、教師がどのようなコメント(=指導)を加えるかという点」

うっ。まさにそうだなあ。

「通訳というのは実際には様々な訳し方が可能であって、最終的な役の形は第1義的には通訳者が通訳に当たってどのような基本方針で臨んだかの反映である。したがって、通訳練習に当たっては、まず教師の側が、そのテクスト訳出のための基本方針、あるいはそのテクストでの学習目標を、あらかじめはっきりさせておく必要がある」

たしかに、「こういう方針で訳すように」という大目標を提示していなかったなあ。

「ひとつひとつのコメントがどんなに有益であっても、全体としての統一性や体系性がかけていたのでは、『教育』とは言えないだろう」

くわーっ。耳が痛い。まさにその通りだ。

でも、結局は大目標として、どんな「通訳スキル」を身につけさせるかということに、問題は集約されていくような気がするけれども、それって・・・

あ、9時だ!「題名のない音楽会」、久々に見たいんだよな。論文も読まないといけないけど、思い切って見ちゃお

う。うーん、有名な曲ばかりだから、あんまりクラシックに詳しくなくても聞いたことがあって嬉しいなあ。この番組を見ながら、ミルクティーをすする。いやー、やっぱりこれだよな、休日の醍醐味は。

あ、乾燥機、終わってる。

「はーい、お父さんがたたむから、2人とも自分の服は自分で引き出しに入れなさい」

「えー、やだー!」「僕、せっかく小学生新聞読もうと思ってたのにぃ。いっつもお手伝いしなくちゃいけないんだよな」

だーっ!ちっとは手伝わんかあっ!

・・・どこまで読んだっけ。そうだ、「通訳スキル」だった。えーと。

「最終的な役の形は、第1義的には通訳者が通訳に当たってどのような基本方針を持って臨んだかの反映であり、結果としての訳は、その基本方針に照らして評価されるべきものである。「通訳スキル」というのは要するにその基本方針を具体的に実現するための方略およびその体系のことを指す」

おお、これが定義だな。つまり、「このような方針で訳したい」という方針の実現に使うのが「通訳スキル」と。具体例が欲しいなあ。お?

「『出来るだけ簡潔な訳の生成』を基本方針にすえたとする。

『簡潔さ』実現のための方略

1 「表層構造からの脱却」
個々の語彙や構文といった言語形式にとらわれず、それが全体として伝えようとしている「意味」(=言語内の意味と、言語外の意味を統合したものとしての「意味」)あるいは話者の伝達意図に注目
2 「経済性の原則」
ある現象や行為について、最小のコストで最大の効果を得ること」

おおー。これはすごいな。意識しないでやっていることではあるけれど、それに明確にラベル付けして、スキルとして教えるわけか。これは効果があがるだろうなあ。ただ、それであれば、こういった「方略」を何種類か、あるいは何十種類か集めたデータ集というか、リストというか、そんなものがあれば、もっと便利なんだけれども。

ただなあ、それを作ろうとすると、通訳者ごとに「それは使える、使えない」「私はこうやっている、私はこうやっていない」などと意見の食い違いが出そうだし。そうなると、教師が自分のスタンスを明確にした上で、いくつか最大公約数的なものをチョイスするということだろうか。しかし、その最大公約数的なものが、果たして成立するかどうかが問題になって来たり・・・

むむむ、紛争勃発。今日、これで第何次世界大戦だっけか。
「どうしたの?」

「だって、Kちゃんが、僕が空き箱で電車を作ろうと思ったのに」「たいこをつくるのー!!」「何でいっつも僕が我慢するんだよう!」「Nくんなんか、だいっきらい」「なんだよう!」

「こらー!仲良く遊べないなら、この箱はお父さんがお尻で乗っかって、ぺっちゃんこにしちゃうぞ!」

「何でだよう!」「おとうさん、あっちいっちゃえ!」「そーだそーだ!」

おいおい、いきなり連合軍が出来ちゃって、こっちが悪者かよ。とっとと退散することにしよう。

さて、いよいよメインディッシュか。ふむふむ・・・。

「『通訳能力(Interpreting Competence)を構成する、6つの下位能力』

1 Bilingual Grammatical Competence
  2つの言語にまたがる文法能力および言語運用能力
2 Intercultural Pragmatic Competence
  2つの文化にまたがる、非言語的要素を含む語用論的能力
3 Interlinguistic Discourse Competence
  2つの言語にまたがる談話(=テクスト)処理能力
4 interpreting Strategic Competence
  通訳者としての方略的能力(一般方略能力+通訳スキルとしての認知・情報処理方略および訳出方略)
5 Research Competence
  情報ギャップを埋めるために必要な情報収集・調査能力
6 Subject-specific Knowledge
  各専門領域に関わる背景知識」

うわー、すごいな、これは。要は、「言葉が使えて」「空気が読めて」・・・次が今ひとつ分からないなあ、あとは「通訳する際に様々な(小)技が使いこなせて」「調べ物が出来て」「必要な知識がある」ということか。

しかし、「狭義の通訳能力」としてみた場合、4番に特化していきそうだなあ。特に「通訳教育」としてみた場合、ここを掘り下げていかないといけない気がする。

・・・あ、電話だ。良いところなんだけどなあ。

妻が最寄り駅に着いたようなので、息子と2人でスパゲティーを作る。息子にベーコンを刻ませて、僕はたまねぎを炒めつつ麺をゆでて、冷蔵庫からあれこれ出して、適当にソースを作る。

昼ごはんの食卓は、裁判官への直訴やら戦果報告やら愚痴やらスプーンやら、いろんなものが飛び交い、朝食に輪をかけてにぎやかだった。

午後、妻が子供たちを連れて公園に行ってくれたので、これ幸いと論文の続きを読もうとしたら、

「ごめーん。泥んこ遊びしちゃったんで、お風呂入れといてくれるー?」

との電話が。早速風呂を入れていると、大分たってから3人が帰宅。すぐ風呂に入れて2人とも洗ってやり、ご飯を鍋で炊きつつ味噌汁を適当に作って、妻が買ってきたホッケをやいて、シンプルな夕食。

大騒ぎしながらランドセルの中身を詰めさせ、おもちゃを片付けさせて、絵本を読んでやって、電気を消し、さあ寝ようと思ったところで、ハタと気がついた。

「あーっ!ブログ、まだ書いてない!!!」

散文的な、あまりに散文的な日曜日の風景でした。

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END