格闘技と英語学習
5月30日のオフ会では、とても楽しいひと時をすごしました。関係者の皆様、ありがとうございます。
さて、私はというと、集まった方々のお話を聞くのが楽しくて、あちこちの人の輪に首を突っ込みつつ、例のごとく飲んだり食べたりに心血を注いでおりました。
そんな中、フレッヒさんが「ボクシングをやっているんです」とカミングアウト。おお、同好の士が!と喜ぶ私。実は、メタボの体に鞭打って、数年前からフルコンタクト系の空手道場に通っておりまして(稽古の後のビールが美味しくて、結局体重は大して変わらず)、この4月からは息子に伝統派の空手を習わせ始めたついでに、私も同じ道場に通い始めたのです。
女性でボクシングをなさっているのにも興味がありますが、それ以前に簡単に顔面に(寸止めですが)突きをもらってしまう私としては、何か有益なアドバイスがもらえればと思いつつ、いくつもの武道の有段者でもあったフレッヒさんと、会場の隅で「顔面のガードが・・・」なんて格闘技談義に花を咲かせておりました。
しみじみ思うのですが、英語学習と武道の稽古には共通点が多いです。まずは基本動作の反復から入り、条件を限定して(例えば中段の突きのみとか、一定のコンビネーションのみとか)技を出し合う練習から、制限の少ない試合形式の実戦的な稽古に進んで行くというステップは、そのまま「発音」「文法」などの反復練習と習得、「ある条件を与えた上での会話練習」、さらに「スピーチ」「ディベート」などの高度なコミュニケーション行為へと進むというカリキュラムに当てはまります。
この場合、大切なのは基本の地道な反復です。どうしても学習者は「試合形式の実戦的な稽古」に目が行きがちになりますが(英会話学校などでの「フリー・カンバセーション」人気を見れば分かるとおり)、それだけでは英語力(特に会話力)の伸びはあるレベルまで行って頭打ちになります。
当たり前の話ですが、練習試合ばかりをやっていても、勝てるようにはならないということですよね。もちろん実戦的練習も大切なのですが。
昨今の「コミュニケーション重視」大流行は、実戦的な練習を積む機会を与えるという点では有効なのでしょうけれども、そのうち「非実用的」と言っていったんは切り捨てた「文法訳読方式」に原点回帰するのではと個人的に思っています。
空手でも、実戦的稽古中心のフルコンタクト空手をやりこんだ人が、型稽古の意義を再認識したりすることが多いように、ある程度話せるようになった人が「あ、文法はきちんと理解しなきゃね」「発音を、もう少し磨いておこう」と思うようになるような気がするのです。
そうなったときに、そのニーズに応えられるような選択肢を、教育界がいかに揃えておくかが肝心でしょうね。日本の教育界、特に英語教育界は「この教育法が良い!」となると、ねこも杓子もそちらになびきがちな側面がありますから、長年かけて積み重ねてきたものを整理して、すぐに活用できるような形にしておくことが大切だと思います。
そのために、通訳トレーニングや通訳の基礎トレーニングが使えるだろうと踏んでいるのですが、きちんと形にしておきたいですね。
さて、そろそろ息子を道場に連れて行かねば。