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2038年の夏休み日記

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

「8月10日

きょうは、お父さんと県立はく物かんに行きました。ぼくは、バーチャル見学でもかわらないじゃないと言いましたが、お父さんは「何を言ってるんだ、こういうのはちょくせつ行くのが楽しいんじゃないか」と言っていたけれど、何が楽しいのかぼくはわからない。

お父さんは「いいか、きょうはお父さんがこどものころとおんなじやり方で何でもやるぞ。べんりさに、なれすぎちゃうと、いけないからな」と言って、「かぎ」というものをとりだしてげんかんをロックしました。えきまであつい中を歩いたので、くたくたになりました。でも、チップカードがないからジュースもかえません。お父さんは、カードをつかわずにリニアトレインにのろうとしたけどのれずに、「いつからきっぷは、はいしになったんですか!」とあん内ロボットにおこっていました。それを見てぼくは、ははあん、またお母さんにしかられてチップカードをとりあげられたなとおもいました。

はく物かんにつくと、けっこう人がいたけど、カードをつかえないので人のいるうけつけにならびました。あつい中ずっとならんでクラクラしました。

中にはいると、お父さんはきゅうにいきいきとして、「ほら、今日は平せいじだいかいこてんなんだ」と言いました。平せいというのは、ぼくが生まれるまえの時代のことです。「見てごらん、本があるぞ。かみの本なんかみたことないだろ」とお父さんはいばっていましたが、かみの本ぐらい、ちゃんときょうか書のスクリーンで見たことがあります。

「むかしのしょく業」というコーナーでは、「つうやく」という仕事のしょうかいをしていました。スーパービジョンじゃないので、ずい分古い感じだったけれど、むかしのようすをうつしたビデオもありました。

今は言葉がつうじない人とも、手のひらにのるぐらいのつうやくきでお話ができるけど、むかしはつうやくきはなかったので、にんげんがきかいのかわりにつうやくをやっていたそうです。

それは、つうやくをする人は、「つうやく者」といって、2つとかそれいじょうの言葉を話せるように、それから、どんな内ようを話されても大丈夫なようにべん強したそうです。ぼくは、うちあわせとか、かん単な内ようなら、自分たちで言葉をべん強した方が、ずっと手っとりばやいのにな、と思いました。

お父さんにそういうと、「それは、つうやく者の人たちがやっていたべん強ほうが広まったから、早く言葉がみにつけられるようになったんだぞ。まあ、そのおかげでつうやく者の仕事がなくなっちゃったのは、ひにくだけどな」と、かおをしかめていました。

でも、まい日一生けんめいやっている仕事の内ようを、何日かんかであたまに入れるのは大へんなんだから、話しあいがしたい人たちが言葉ができるようにした方がよっぽどみのりがあるような気がします。

「つうやくって、どうやるの?」とお父さんにきくと、「まあ、見てろ。そろそろはじまるぞ」と立体スクリーンを見ています。ぼくは何だろうと思ってみていたら、スクリーンにおじいちゃんが出てきて、びっくりしました。でも、むかしなので、おじいちゃんもお父さんと同じぐらいで、若かったです。

おじいちゃんは、英ごを日本ごに、日本ごを英ごにしていました。ぼうをつかって、かみをなぞっているので「何をしているの?」とお父さんにきいたら「何って、メモをとっているんだよ。話の内ようをわすれないように」とおどろいたかおをしていました。ぼうの先からは黒いインクがでて、かみに文字がかけるんだそうです。かみは高いのに、あんなに何まいもつかっていいのかな、だからおじいちゃんは今もびんぼうなのかなと思いました。タッチパネルと電子ペンの方が楽なのに。

さいしょのうちは、かっこよくつうやくしていたおじいちゃんですが、と中から、だんだんかおが赤くなったり青くなったりして、あせをたくさんかきはじめました。ぼくは「ねえ、お父さん。もしおじいちゃんが、お話をききまちがえたらどうなるの?」とききました。おとうさんは、むずかしいかおをしながら「うん?そりゃあ、ごやくって言って、つうやくまちがいになる」と答えました。やっぱりきかいの方が正かくだと思います。あっしゅくマッチングしきなら、ほとんどききまちがいはないそうです。

やがておじいちゃんは、ポツポツとしか話さなくなってしまったので、「お父さん、つうやく者が話しまちがえたらどうなるの」と聞くと、「それも、ごやくだ」と、お父さんはスクリーンを見つめながらうめくようにいいました。そのあと何か小さくつぶやいて、やれやれと首をふって、「もう行こうか」と言いました。ぼくは、それならやっぱりつうやくきをつかった方が、まちがいがなくていいなとおもいました。スクリーンでは、おじいちゃんがおしぼりやコップなどをきようによけていました。まわりの人がドッとわらったので、何だかちょっとはずかしいような気もしたけど、おじいちゃんだってがんばってるんだから、わらわなくてもいいのになと思いました。

はく物かんのほかのへやを見ながら、おとうさんが話してくれました。今では、にんげんのつうやく者は、ものすごく上手な人いがいは、いなくなったそうです。会社のバーチャル会ぎしつでも「今日はにんげんのつうやく者が来ています」というと、「ほお、それはすごい。さい玉ししゃは、よさんがじゅんたくですなあ」と言われてうらやましがられるそうです。むずかしいことばでうらやましがるんだなとおもいました。

あと、「おばあちゃんは、げんえきつうやく者の1人なんだから、すごいんだぞ」と言っていました。おじいちゃんは、つうやくをするのはあきらめて、一生けんめい英ごをおしえたんだそうです。それでぼくが中学校に入ってから、はり切って英ごをおしえようとしたんだなと思いました。

はく物かんから出ると、おじいちゃんとおばあちゃんとお母さんとおばちゃんがまっていて、手をふっていました。お母さんは、お父さんをちょっとだけこわい目で見たあと、クスリと笑ってこっそりお父さんにチップカードをかえしました。きゅうに元気になったお父さんは、「さあ、今日はお父さんのたん生日だ!みんなでごはんを食べに行こう。いでん子組みかえのじゃなくて、本物のおにくを食べるぞー!いぬお、いっぱい食べろ!」と言いました。

あつくて大へんだったけど、さい後においしいものが食べられてよかった。

2年A組 犬田いぬお」

「・・・なるほどねえ、いぬおクン。楽しい一日で、実に良かった

。先生も嬉しいよォ」

そう言って猫山は、眼鏡の奥の目をギラリと光らせた。

「それで、だ。犬田クンは、今年でいくつかなあ?」

スクリーンが勝手に猫山のドアップになる。おお、見事な青筋。

「じゅう・・・四です。イテッ!」

バーチャルチョークか。こんなところまで忠実に昭和を再現してるんだから、いやになっちゃうよなあ。この間はバーチャル黒板消しで頭を叩かれたし。

「犬田ァ!お前、作文の宿題にオートマティック・コンポーザーを使うたあ、いい度胸だ!ただな、小学校と中学校を設定し間違えたのは、つめが甘かったんじゃねえか?」

バーチャル教師・猫山の怒号に、スピーカーからサラウンドでクラスメートの笑い声が聞こえる。クラスメートの方は本物だ。関東一円からこの「昭和学園中学」のバーチャル教室に参加している。そのぐらい広い地域から集めないと、定員を満たせないんだから、少子化もここに極まれりだなあ。イテッ!

「こらあっ!話を聞かんか、犬田!いいか、作文は再提出、罰としてシステムメンテナンスと俺のバージョンアップだ。この前みたいに妙なウイルス紛れ込ませやがったら、承知しないからな!」

「えーっ。僕、そんなことしませんよう。」

「ふざけんな!先月俺に猫ひげと猫耳生やしたのはお前だろうが!デバッグに2週間もかかったんだぞ!」

そう言いつつさらにバーチャルチョーク。これは狙いが外れて前に座っていた村やんを直撃した。

「先生、とばっちりは勘弁してくださいよお」

「うるさーい!」

2発目、3発目と連射されるバーチャルチョークを紙一重でかわす。スピーカーからはクラスメートの笑い声と拍手が響いた。歴史は繰り返すってやつだろう。ああ、やっぱり僕はおじいちゃんの孫なんだなあ。そうしみじみ思いつつ、僕は華麗にステップを踏み続けるのだった。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

END