バーバルとノンバーバルの狭間で
「あー、ぶっちゃかぶっちゃか!」
のっけから意味不明で申し訳ありません。実はこれ、英語が話したくて話したくて仕方なかった幼い頃の私が「英語のつもりで」話していた言葉(?)なのだそうです。
父と母が知り合いのアメリカ人と話しているのを聞いた私は、何とか話に加わりたかったのですが、おぼろげに「何やら意思疎通の手段が違うらしい」と思ったらしいんですね。それで、自分なりにその「言葉」を話してみたらしいのです。その意図が分かった両親は大笑いだったようですが、笑われた私の反応はどうだったのか。残念ながら完全に記憶がありません。
何かを伝えたいと言う気持ちがあって、心の中に明確な何かが浮かんでいたのは確かなのですが、それを上手く伝えられなかったというわけです。大人になってもそういうことはよくあるのですが、特に子供の頃のそういう経験は、今となっては自分が何を伝えたかったのかを知るすべがないだけに、「あの時自分はどんなことを考えていたのかな」と興味が尽きません。
気持ちを一生懸命伝えようとするといえば、新聞か何かで読んだエッセイに、こんなあらすじの話がありました(細部はちょっとあやふやですが)。棟上式だったかで餅まきがあった時に、小さな坊やが地面に落ちたみかんを拾い上げました。すると、殺気立ったおばさんが、それをむんずと掴んで奪い去ってしまいます。呆然と立ち尽くす坊や。それを見ていた小学生ぐらいの男の子が、自分が拾ったみかんをその子に渡してあげるのです。直後に坊やのお母さんがやってきて、男の子がそんな優しさを見せてくれたとは露知らず、みかんを持った坊やを抱っこして立ち去るのですが、坊やはお兄ちゃんにどう言って感謝していいのか分かりません。そこで、抱っこされたまま男の子を見ながら、何度も「バイバイ!バイバイ!」と手を振っていた。そんな話です。坊やとしては「バイバイ!」という言葉に万感を込めていたのでした。
バーバル・コミュニケーションだけれども、ノンバーバル・コミュニケーションに近いこういうことって、いろいろありますよね。個人的には、小学校1年生あたりに「到底」という言葉に妙にハマりまして、やたら乱発していたのを覚えています。何というか、その言葉でしか表せないような思いがあって、本来は使わないような場面で「とうてい」という言葉を口にしていました。
英語で言うとveryのような感覚だったような感じがするのですが、正確にどんな感情を指していたのかは、これも忘却の彼方です。
自分がどう感じていたかが思い出せなくて口惜しいと言うと、もう一つ、「懐かしい」という言葉があります。通訳学校の授業を受けていて、その訳としてnostalgicという言葉が上げられた時があって、それを聞いて「いや、『懐かしい』っていうのは、そういう平面的な感情じゃない。もっとこう・・・」ともどかしい思いを抱いたのです。つい最近、そうですね、1年ぐらいまでその「言葉にならないけれども、かなり明確なイメージ」があったのですが、最近になってそれが消えてしまっているのに気付いて愕然としています。「まあ、そんなところかなあ」と思っている自分が、何か大切な言語感覚を失くしてしまったという気がするんですね。何とか思い出したいものです。
通訳をやっていて、訳語がノドまで出てきているのに口から出てこなくて「・・・えー・・・」とか言っているのも、考えてみれば「あー、ぶっちゃかぶっちゃか」と似たようなものなわけで、そうするとほぼ40年近くおんなじことをしているわけだなあ、と眉毛をハの字にしてしまいます。
と、ここまで書いたところで、台所で騒動が持ち上がりつつあります。え?一切れだけ残っていたカステラがない?お父さん知らないかって?
・・・あー、ぶっちゃかぶっちゃか。