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苦手でも やらねばならない 大掃除

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

世間の人もすなる「大掃除」といふものを、我もしてみむとてするなり。 それの年(平成二十年)のしはすの二十日あまり一日の、午の時に着手す・・・。

で、あっという間に後悔するのもいつものことです。しかし、いい加減やらねばどうにもならない状態になってしまいました。

書棚から本を出し、机の天板を数ヶ月ぶりに発掘するだけで4時間ほど。その際、生き別れになっていた本やら書類やら切り抜いた資料やらと感動の再開を果たすこと数回。

その後、どう考えても不要になった本を20冊ほどブックオフ用のダンボールに放り込み、さらに書棚に戻す本を選別し、百冊近くを押入れに一時退避させます。その際に「数年ごとに要チェック 2005年3月」というメモを貼り付けられたダンボールが見えたような気がしましたが、あれはきっと、極限状態に放り込まれた私が見た幻だったのでしょう。

夕方4時のチャイムが鳴って、ハッとします。子供たちを保育園やら学童やらに迎えに行って、夕食を作って、お風呂を入れねば。食堂でイングリッシュ・ジャーナルの原稿を書いていた妻も同じことを考えていたようで、2人で笑ってしまいました。子供たちは今朝から2泊3日で、スキー合宿に行っているのです。大興奮で出発しましたが、元気でやっているかな。

そんなことを考えつつ、本をザックリと分野別に分けて書棚に戻します。所要3時間ほど。

250冊に90冊・・・。書棚に入れ直した本を見ながら、「う〜む」とうなってしまいました。買ったまま「積ん読」になっていた本と、読書ノートをつけていない本の数です。

まあ、そうはいうものの、「読まなくちゃいけない本が、ノートをつけなきゃいけない本が」と、いつまでも気にしているよりは、こうして相手をしっかり認識するとかえって安心します。

来年は4月からちょっと大きな動きがありそうで、それまでにいろいろと本も読んで準備もしておきたいのです。まだまだ先だと思っていたけれど、考えてみたら、もうあと百日を切っているんですね。「これは読んでおきたい」と思って買ったまま混沌の海に沈んでいた強力な本も多数サルベージしましたし、3月一杯までに斜め読み、飛ばし読みも交えて百冊ぐらいは読んで、50冊分ぐらいはノートを取っておきたいです。

学生さんに読ませたい本、見せたい資料なども、机の引き出しにごっそりまとめておきました。

しかし、四畳半の書斎を整理していて思ったのが、やはり私は効率が悪いたちなのだなということと、それでも前進するにはそれしかないのだな、ということです。

資料や本を「要らない!」と見切るのも下手で、結局完全に賞味期限が切れるまで手放せません。でも、資料や本を活用するのも下手なので、逆に「2年間見なかったんだから、もう見ないだろう」などと珍しく思い切って処分した直後に、その資料が必要になって泣きをみることも何度もありました。そうなると、余計にズバッと処分することには及び腰になってしまいます。

ある程度の時間と、その間資料を保管しておくためのある程度の空間が必要なたちのようですね。しかも、硬軟清濁併せ呑むみたいな感じで、玉石混交のインプットを大量にしながら、自分に必要なインプットを少しずつ重ね、その一方で様々な分野にアンテナを伸ばすというようなやり方以外に、上手く知識をインプットできないようです。

要は資格試験の短期集中対策本みたいな「これだけ覚えれば完璧!」というものを完璧にやり切る、というような方法はどうしても出来ないたちのようなのです。考えてみたら、大学受験からこっち、(自慢には全くなりませんが)単語集を買って覚えきったことはありませんし、資格試験などの対策問題集を最後までやりきった記憶もありません。周辺情報や余談などをたっぷり巻き込みながら、自分の興味を満たすようなやり方でしか知識を吸収できないようです。

考えてみたら、余談や脱線が異様に多い私の授業スタイルも、そのあたりを反映しているのかもしれません。このブログもそうですし。

死蔵している資料には意味がないと分かっているのですが、極力今回のような「大掃除」の機会を増やして、自分の持っている資料の確認の機会を作るしかないでしょう。

個人的には、「夢中になって読める本があって、その本のことを語れる機会がある」というのが理想なので、今おかれている状況は、その理想にかなり近いはずなのです。その割には充実感に欠けるのは、やはりせっかく買ったのに埋もれている名著が多いからでしょう。

また、この「名著」という概念も曲者だと今回思いました。自分が尊敬する方などが勧めている本や、「初心者はぜひこの1冊から」なんて紹介されている本も大量に買ったのですが、中にはどうしてもスッと入り込めない本もあるのです。・・・主に学術書なのが、研究の真似事をしている人間としては、非常に痛いのですが。

本の山と格闘しながら思ったのは、「私なりの『名著』」があっても良いじゃないかということでした。山登りと一緒で、入り口はどこでも良いはずです。頂上までたどり着くことができるならば。

通訳学校でも言っていたことですが、現代史の知識などを入れる際に、バカにせず子供用の学習マンガなども目を通してみると良いのです。そこで止まってしまってはいけませんが、それにすら目を通さず、何も知らない状態でいる方がもっとまずい。同じことが自分の学習にも言えるはずだろうと思ったわけですね。どんな「名著」だろうと、判断基準は自分で読んで「クリック」するかどうかです。しない場合は、処分はしませんが、読むのはさっさと先送りにしようと思います。フレンチのフルコースや懐石料理を前にした乳児のようなもので、こちらが未発達なために十分味わえないという可能性も、かなりありますからね。

ある程度いろいろ読んだ後で読めば、その良さがしみじみ分かるかもしれませんし、例え分からないにしても、自分なりに知識は集められるのだから、それはそれで良しと踏ん切りをつけるしかないと思います。

ヨレヨレになりながら何とか寝室の畳に広げた本と資料の山を書斎に詰め込み終わり、風呂に入って妻と夕食をとって、借りてきた「オー!マイキー」を見てみました。面白くなくはなかったけど、楽しい数十分だったかと問われると微妙。かなり変化球的な作品でした。でも、登場人物が出揃ってくるとちょっと面白くなってきたので、2巻目も借りてしまうかも。

さて、昨日注文していた本やらDVDやらが届いたのですが、金谷憲さんの

「英語教育熱」というエッセイがなかなか痛快です。片付けの最中に、ついチョロチョロと読んでしまいました。そういうことをしているから、時間がかかるんですが。一緒に買った江利川春雄さんの「日本人は英語をどう学んできたか」も面白そうです。

DVDは、「不都合な真実」「エンロン」「ぼくの大切な友達」「おばあちゃんの家」が届きました。少しずつ見て行きたいと思います。数年前に読んだTuesdays with Morrieですが、こちらは著者が朗読したCDがあるとネットで読んで、早速注文して手に入れました。ちょこっと聴いてみたのですが、やはり良いですね。話す仕事をしているだけに、上手い。

ああ、いろいろ読みたい本やら見たいものやらがあって、楽しい気分です。そうそう、昨日本の整理をしていて、大石五雄さんの「英語を禁止せよ」という本を発掘しました。未読なのですが、内容の確認のためにパラパラめくっていたら、「へえ!」と思うことが。

ひょっとしたら割合に知られていることなのかもしれませんが、「旺文社」ってありますよね。あれ、もともとは「欧文社」だったんだそうです。それが太平洋戦争中に、敵性言語禁止の一環として社名を変更させられ、戦後もそのままになっているんだそうですね。

清水義範さんのパスティーシュ小説で、そういう状態の会議の様子を描いた作品がありました。カタカナ語をみんな漢語に読み替えて話を進めていくんですが、そのうちに・・・いや、これはネタバレになるので、読んでのお楽しみにしておきます。「言葉の戦争」という作品です。

さて、今年一年も自分なりに目一杯やってまいりました。押し寄せる本の波との戦いは、来年も続くことになります。読みきれないのは分かっているので、負け戦なのは最初から目に見えているんですが、こんなに楽しい負け戦もないでしょうねえ。どう吸収して、自分なりに発酵させ、学生さんたちに提供することが出来るか。結構あれこれ考えていて、ちょっと武者震いもします。よーし、やるぞ!と腕まくりって感じですね。

4月からまとまりのないブログにお付き合いいただきまして、ありがとうございました。来年もこの調子ですが、よろしくお付き合いのほど、お願いいたします。どうそ良いお年を。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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