狭き門どころか・・・
字幕翻訳家の戸田奈津子さんの講演を聞いて、その後の食事会にも参加させていただいた。
講演は学生相手のものだったのだが、非常に興味深い内容だった。印象的だったのは、当時の字幕翻訳業界に関する戸田さんのコメントだ。
「よく『狭き門』というが、あの頃の字幕翻訳業界には、『門』すらなかった。『壁』しかなかった。だから何とかその壁をよじ登ったり、地面を掘って潜り抜けたりしようとした」
「今、女性の字幕翻訳者で活躍している人は何人もいるが、経歴を聞くと十人十色。『壁』の乗り越え方、潜り抜け方で同じ道をたどった人は、一人もいない」
とおっしゃっていた。戸田さんと同じ視点から語って良いものか迷うのだが、個人的には全く同じ感じ方をしている。言ってみれば、「こうやったらなれます、というルールみたいなものはないんだから、『通訳者(翻訳者)になれるルールを教えてください』と言われても、ちょっと困るなあ」という感じだ。
よく通訳学校やら大学やらで、「どうやって通訳者になったのですか?」と尋ねられるので「参考にはなりませんが・・・」という前置きをしてから語るのだが、私の場合、自力で壁を乗り越えても潜り抜けてもいない分、戸田さんよりさらに参考にならない。
偶然から留学先が決まったり、友人の助けもあってBBCの放送通訳者の試験に出願できたり、NHKの通訳学校の講師になるための面接が、どこでどう話が取り違えられたのかNHKの通訳者になるテストにすりかわっていたり、通訳翻訳学会の有名な先生から大学講師の口を紹介してもらったりという、壮大な「ごっつぁん人生」の結果として今の私がある。飲み会の話のタネとしては面白いかもしれないが、これを聞いたところでどうなるというものでもないなあ、と話している本人が思ってしまうのだ。もともと単純な人間なので、「通訳者になりたかった。取り組んだり諦めたりしながら、しつこくあがき続けた」というだけに過ぎない。
戸田さんもそれに似た部分があって、とにかく映画が好きで、字幕翻訳をやりたくてやりたくて、字幕翻訳者に弟子入りを申し込む手紙を書いて、「無理です」と返事をもらったりしていたそうだ。それでも食い下がっているうちに、映画会社のアルバイトを紹介してもらい、そのうち来日したスターの通訳をやれと言われて「通訳なんてやったことがない」と断るも断りきれずにやっているうちに、字幕の仕事が来るようになったとのこと。
食事会でもいろいろお話をされていたが、とにかくフランクな方で、私のような若輩者の言うことにもきちんと耳を傾けて、いろいろお話してくださった。
映画が好きで好きでたまらない方なのだ、と思う。そして、字幕翻訳をするには、そういう部分がなくては、技術だけで映画への愛がなくてはやっていけないのだと思った。
翻訳にかけられる時間がとにかく少ないというのも、字幕翻訳と吹き替え翻訳の違いはあるものの、非常によく分かる話だ。50分のドキュメンタリーを翻訳するのに10日もらって、それでもきついと思っているのだが、2時間を越える映画を1週間で訳すとなると、その苦労はちょっと想像できない。誤訳うんぬんという噂も聞くが、それにはそういう事情も絡んでいるのだ。仕事を独占しているという批判もあるようだが、戸田さんの映画にかける情熱を上回るものを持っている人が現れていないという見方も出来るのではないかと思う。
字幕翻訳者になりたいのに通訳をやらされて、それでも初志貫徹したという生き様は、「脳の専門家なのに・・・」「身体論がやりたいのに・・・」と思いつついろいろな仕事をこなしてきた茂木健一郎さんや斉藤孝さんの生き様と重なる。
人間、自分のやりたいことばかりをやることは出来ず、やりたいことをやるために、今、自分の立ち位置でやれることを目一杯やることが大事なのだな、などと当たり前のことを思いながら家路についた。