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かばんに何を詰めようか?

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

以前「ハンナのかばん」という本とCDについて書きましたが、東京の劇団があの原作を1時間半ほどの劇にして現在公演しています。劇団のアトリエでの公演はもう終了しましたが、今後東京芸術劇場をはじめ、関東各地で公演するようです。

さて、20日金曜日に行なわれたこの公演を見に行ってきました。実はその前日あたりから、デスマーチ状態と言いますか、仕事が押してしまい、木曜日は午前中に子供を病院に連れて行った後一日原稿を書き、夕食や入浴で一時中断したもののそのまま翌金曜日の午前3時まで描き続けたあとNHKに出勤、勤務が終わった後も空いている作業ブースに移って原稿を書き続けて、13時ごろにようやく2万字ちょっとの原稿を書き上げたばかりでした。

眠ってしまう可能性がかなり高かったので、コーヒーを飲んで、眠気覚ましのガムをかみながらアトリエに向かったのですが、結論から言うと、寝るどころの話ではありませんでした。1時間半の間、ユダヤ人ゆえの苦しみと至近距離から向き合わされたのです。

詳しくはspoilerになってしまうので書きませんが、ユダヤ人差別の描写を通して、様々な差別について、そして社会のあり方について考えさせられる内容でした(見に行こうという方、ダビデの星はつけた方が、より舞台世界に入り込めますよ。)。

困難な状況での家族愛、兄妹愛、人間愛というものが描かれていて、見ていて涙を流される方もたくさんいらっしゃいました。妹を思う兄の叫びは真に迫っていて、聞く人の胸をえぐります。

しかし、このあたりが私の天邪鬼なところなのですが、感情の流れに身を任せて置けばいいものを、どうしても考えてしまうのです。「どうしてこんなに苦しい思いをして来た人たちが、ガザ地区でああいうことをしてしまうのだろうか」と。

もう丸3年前になりますが、イスラエルの翻訳学会で、日本におけるボランティア通訳の問題点について発表をしたことがあります。イスラエルの学会を選んだのは、深い意味はなく、単にあまり日本人の研究者が顔を出さないような学会を選んだだけなのですけれども。

そのときにテルアビブ空港からエルサレムに向かう車窓に広がるのは、荒涼とした砂漠でした。日本人的な感覚としては、どうしてこんな土地を巡って血で血を洗う戦いを繰り返すのだろうと思いましたが、あの土地で生きる人たちにしか分からない思いがあるのだろうと思います。

その時は当時のシャロン首相が倒れた直後で、インティファーダが再燃するかどうかという割合微妙な時期でした。エルサレムに到着して市内の観光などもしたのですが、ユダヤ教の聖地である「嘆きの壁」の真上にイスラム教の聖地である「岩のドーム」があるという状況で、これでは衝突が起きない方が不思議だと感じました。私はユダヤ人の人たちと一緒に行動していたのですが、旧市街を歩いているとき「そろそろモスクでの礼拝が終わる時刻だ。イスラム教徒とユダヤ教徒が混ざるといろいろ問題が起きやすい。早くここを出よう」と緊張した表情で言われたのを覚えています。

街を巡りながら、「あそこはパレスチナから銃撃を受けた。ここもロケット砲が撃ち込まれた。」などと説明を受け、丘の上から見下ろすと、巨大な防護壁が灰色の蛇のように、遥か彼方まで不気味にうねっています。「BBCの報道も、CNNの報道もパレスチナ寄りだ。偏向している」と繰り返し言われて、もちろん黙ってはいましたが、ずっと「そうでしょうか?」と思い続けていました。

気を抜いたら滅ぼされてしまう、という緊張感があるのは分かります。歴史的背景から言って当然でしょう。しかしだからと言って、何をやっても良いというものでもないはずです。

私がBBCにいたときに、パレスチナ人の親子がTVカメラの前でイスラエル軍の射撃にさらされ、父親は子供を必死にかばったものの、子供は射殺され、父親も重傷を負うという事件がありました。

それを通訳しながら、どうしてこんなことが起きるのだろうかと胸が痛みました。最終的に暴力的手段に訴えて相手を制圧し、自分の意思を通す。これは人間の性質として厳然としてあるのは確かだと思います。しかし、あれほどの理不尽な暴力にさらされたユダヤ人が最終的に取った手段がやはり暴力だった(イスラエルの暴力に対して「理不尽な」という形容詞をつけるかどうかは、立場によって異なるとは思いますが)という事実には、暗澹たる気分になります。

もちろんパレスチナ側のテロによって無残に殺される市民もいるわけで、どちらが良い、悪いではないのですけれども、何とかできないものかと歯がゆい思いを抱きます。

平和を守る戦い、とよく言います。そしてこれもよく言われることですが、戦争に「良い戦争」も「悪い戦争」もありません。何とかそうならないように話し合うこと、妥協点を探ることが肝心で、そこに私たち通訳者も何らかの貢献が出来るのではないかなと思います。

また、私は放送通訳者ですから、まずはイスラエル・パレスチナ双方の視点からのニュースを懸命に訳して視聴者の皆様に伝えること。food for thoughtと言いますか、考えるきっかけとなる、前提条件となる情報を知っていただくこと。それが自分なりの国際平和への貢献だと思っています。

話が妙な方向に大きくなってしまいましたが、とにかく、ご都合のつく方はぜひ「ハンナのかばん」をご覧になって下さい。いろいろなことを考えると思います。

また、原作の本も英語は平易で読みやすいですから、英語学習の一環としてもご一読をすすめます。全ての原点となったカナダでのラジオ放送(30分ほどです)のCDもアマゾンで買えます。こちらも聞きやすいですから、ぜひ耳を傾けてみて下さい。

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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