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体で考えている人たち

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

まず最初に、さるるんさん、先日のブログではお祝いのメッセージをありがとうございました。頑張って行きたいと思います。

さて、どうも最近、頭先行で考えているような気がします。いえ、もちろん物理的には思考には脳を使うわけですが、そういうことではなくて、理屈先行と言ったら良いのでしょうか。

空手を習っているのも、それに対する矯正のような意味合いがあります。こちゃこちゃ考えたところで、強烈な突き蹴りの前には何の意味もありません。あちこちにあざを作りながら必死に手足を振り回した後、道場の先輩方とビールを喉に流し込んでいる瞬間に「・・・あ。」と何かに気付くことも多いものです。まあ、煩悩の固まりのような人間ですので、組手の最中も頭の中にビアジョッキが浮かんでいたりすることも多いのですが。

とにかく行動すること。そしてその結果を分析して、次の行動に移すことが、私にとって大切なのでしょう。春休みで大学の授業がないため、4月からの授業の組み立てを考えていると、どうしても理屈先行と言いますか、頭だけで考えているような感じになります。かまどに薪をくべすぎた感じと言ったら良いでしょうか。頭でっかちになって不完全燃焼している感覚があるのです。そんなときに、体を動かすことで仕事をしている方々の言葉が非常に心にしみました。

まずはプロゴルファーの杉原輝雄さんが、3月3日の日経新聞で言われていたこと。

「困ったことにスポンサーやコース、大会関係者への感謝の気持ちを欠いた選手ほど活躍する傾向がある。そんなやつは、いくら勝っても価値は半減だ。(中略)試合に『出てやっている』ではだめ。『出さしてもらっている』と思うこと。それが嫌なら試合に出ないことだ。(中略)上手くなりさえすればいいと考えるのではなく、上手くなっても謙虚さがあってこそ、ということを忘れないでほしい。」

これを読んでハッとしたのは、今まで通訳学校の生徒さんや大学の学生さんたちと飲みに行ったときのことです。「先生の授業はキツかったですよお!」などと言われながら、ワイワイと飲んでいる流れで、「何か通訳のエピソードってないですか?」などと尋ねられると、ついついおごった気分になって、守秘義務に抵触しない範囲で「いやあ、○○ってことがあって、全くあれは参ったよ!」などと語ってしまうことがありました。

語ったことの内容そのものは、間違っていたとは思いません。通訳者が直面する問題を指摘したつもりです。しかし、その言い方には大いに問題があったと思います。自分としては「まだまだ駆け出し」のつもりでも、生徒さんや学生さんたちから見たら、こんな私でも仰ぎ見る存在です。そんな人間が、それこそ「通訳をやってやっている」的な口の聞き方をしたら、話したかったことそのものではなく、私の通訳に対する姿勢の方が印象に残ってしまうはずです。贈り物は中身そのものも大切ですが、同じぐらいラッピングにも気をつけないとと思いました。

つづいて、3月4日、NHKの「つくってあそぼ」に出演されている久保田雅人さんの工作ショーに、一家4人で行ってきました。「つくってあそぼ」は、もう丸20年続いている長寿番組だそうです。ショーもさすがに手馴れた感じで、かと言って流しているという感じではなく心がこもっており、大人も子供も楽しめました。工作そのものも楽しかったのですが、私の印象に残ったのは、久保田さんのコミュニケーションのとり方です。当日に取ったメモから抜粋します。

・笑顔で引きこむ
・上機嫌で引きこむ
・質問にリアクションさせて、笑いを取りつつ引き込む
・アクション大きく
・話し方が調子がいい。寅さん的リズムの語り
・擬音を多用する

・参加者に参加者を応援させる→アシストして成功体験させる→さらに体験希望者を募る
これを英語指導に応用したら?

どうも今まで、「蕎麦屋の嫌な親父」的だったというか、特に授業なども、じっくり準備をして本番も一生懸命指導はしますが、どこかでtake it or leave itというような気持ちがあったように思います。何とか食べてもらおうという努力を、もっとやっても良かったかもしれません。「ケッ。そんなに甘くしちゃあ、本物じゃねえんだよ!」などと言い続けた挙句、口にしてもらえなかったら何にもならないのだなあと思います。

さらに7日土曜日、5キロマラソンに妻が出場したので、私は子供2人を連れて本屋に行ったのですが、そこで「会社人生で必要な知恵はすべてマグロ船で学んだ」という面白い題名の新書に出会いました。著者は齊藤正明さん。会議などの円滑な運営を進めるためのファシリテーティングというもののコンサルタントをされている方だそうです。ちなみに、非常に面白かったのでお礼のメールを出したところ、1時間もしないうちにお返事がありました。頭が下がります。

会社の業務命令でマグロ船に乗り込んだ際の、漁師の方々の言葉を集めて、それに齊藤さんの考えを織り交ぜていくような内容なのですが、その言葉が実に含蓄に富んでいるのです。いくつか引用します。

・「人間はの、幸せのなかにいるときは、幸せに気づかんもんよ。マグロだって、海にいるときには、自分の幸せにはきっと気づいておらんち。おいどーらが釣り上げると、マグロはバタバタと大暴れしよる。海から引き離されて初めて、海のありがたみがわかったんじゃねーんかの?齊藤も、陸から離れて、陸にいられることのありがたみがわかったんじゃねーんか?」(p.28)

・「いいことが起きたら喜んで、嫌なことが起きたら暗くなる。それじゃ犬と同じじゃねーか。人間はの、感情をコントロールできるんど。(中略)マグロが捕れんときこそ、感情をコントロールしぇんと人間ダメなんど。齊藤はそげーなこともわからんのか?本当にバカじゃのう」(p.34)

・「おいどーらは、おいどーらにできることをすべてやったんど。それから後のマグロが捕れるかどうかなんて、海が決めることど。齊藤ら陸の人たちは、人間ではどうにもならんことまで、何とかしようとしちょる。それが疲るる原因よ」(p.43)

・「『自分はスーパーマンだ!』と思いすぎっちょるから現実とのギャップに苦しむんど。最初はの、『自分は何もできないダメなやつだ』と認めることからど。そこから一歩ずつ、自分が得意だったり、好きなことを磨くんど。(中略)でもの、いくら自分を磨いたって、人間できないことばかりぞ。さっき言ったとおり、おいどーも海に出るとできないことばかりど。『完璧』を目指せば目

指すほど、自分に出来ないところが目立って落ち込む。結果、完璧とはより遠くなるんど」(pp.64-65)

・もともと弱気な人が、強気な人の書いた書籍を読んでみて、強気な考え方や人との接し方に感銘を覚え、読了後に強気な人になってしまったらどうでしょうか。おそらく、一時的に強気になっただけで長くは続かず、弱気な人に戻るでしょうし、強気になっていた間に、人との接し方を誤ってしまうのではないかと思います。憧れの存在に近づこうと考えるのは否定しませんが、そもそも自分の質を見極めなければ、逆にマイナスになることさえあると思うのです。マグロにはマグロの、クラゲにはクラゲの生き方があるはずです。(p.82)

・「後ろ向きになるっちゅーのは、危険を感じる能力ど。いつでも前向きな人やらが船長をやると、絶対無茶をしよるから船があぶねーんど。それにの、後ろ向きになることがあるやつでないと、落ち込んでる人の気持ちやらがわからんど」(pp.86-87)

・「結局の、人の言うことを聞くやつは、その場はいい子になれるが、いざというときに弱い。人の言うことを聞くってことは、自分なりの判断基準を持っちょらんことじゃろ?暗記したって、今じゃ本で調べりゃすぐわかる。でもの、暗記よりも大事で、いつでも役に立つ『判断力』は学校じゃ教えん」(p.91)

・「新しいことを始めようとしたら、絶対に失敗は避けられん。『失敗がない』というのは、長い目で見たときには一番の失敗になるんど」(p.110)

・「あんまり素っ気なく返事をすると、話しかけにくいやつと思わるるど。赤道にいるから熱いことくらい俺でもわかっちょる。でもの、最初に話しかける言葉はあいさつじゃ。あいさつで出鼻をくじかれると、次に何も話せめーが」(p.173)

・「『仕事が丁寧なやつ』は、たいてい『仕事が遅い』。一つのことを見て、長所として受けとるか、短所として受けとるかの違いだけでねーんか?だったら、長所として受けとったほうが、お互いに気持ちよかろう。他人の仕事を見て、できないことを指摘するのは誰でもできんど。でも、昨日までできなかったことが、今日、できるようになったのを気づいて褒められるのは、毎日見てるおいどーにしかできねぇ」(p.180)

・「人がくれたアドバイスに、あまり『できない』と答えてしまうと、アドバイスをしても無駄だと思わるるど」(p.183)

・「齊藤。それはおまえが間違うちょる。人のアドバイスに期待しすぎるから、的が外れたアドバイスに腹が立つんど。えーか、『他人からのアドバイスは、たいてい的がはずれちょる』。これが普通ど。他人はみんな、自分の立場でものを考える。わざわざこちらの立場に立ってアドバイスをしてくれるなんてことはないんだ。じゃから、ほとんどのアドバイスはアテになりよらん」(p.185)

まあ、教室での指導も、子育ても、似たような限界を抱えているのかもしれないなあ、と思います。結局は本当に相手の役に立つアドバイスなどめったにできないものと腹をくくり、欠点の指摘ではなく欠点の克服の称賛をするようにしなければならないのでしょうね。こうして書いてみると、何の変哲もない当たり前のことなのですが、この到達地点が問題なのではなく、そこに至るまでの過程が大事なのだなと思います。今まではそれに気づかず、結果としてたどり着く(一見何の変哲もない)警句だけを口にしている部分がありました。

口先だけではない、体から発した言葉でメッセージを伝えたいものです。通訳者としても、翻訳者としても、教師としても、父親としても、一人の人間としても。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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