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やはり脅威なのでは・・・?

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

イギリスの通訳者翻訳者の団体であるITI(Institute of Translation & Interpreting)の会誌を読んでいると、「人間対機械 機械翻訳と翻訳者の対決」という記事が載っていたので、興味深く読みました。Dublin City Universityで翻訳学修士を納めたRebecca Fiedererさんの書いた記事です。以下に要点を列挙します。

・機械翻訳は「取るに足らない」と見られるか、「大きな脅威」と見られるかのどちらか。
・文芸翻訳のような「芸術性のある」翻訳において、機械翻訳が人間の翻訳者にとって代わることはなさそうだ。
・例えばOut of sight, out of mind(去るもの日々に疎し)を翻訳ソフトで中国語にしてから、また英語に翻訳させると、Outside line of sight, outside brains(視線の外にあるものは、脳の外になる)となってしまう。
・機械翻訳は、原文に定型文が多く、曖昧さを極力除去したものの翻訳にだけ有効だが、それでも人間が手を入れる必要がある。
・機械翻訳においては、原文の曖昧さや複雑さを除去するControlled language(CL)が重要になる。

・修士論文では機械翻訳に人間が手を加えた訳文と、全てを人間が訳した訳文を比較した。
・例え人間が手を加えても機械翻訳は翻訳者のレベルを超えられないと予想していた。
・実際には、正確さの点では機械翻訳に手を入れたものが、訳文のスタイルの点では翻訳者の訳文が勝っていると判定された。
・CLルールを適用すると、さらに機械翻訳の評価が上がった。
・しかし、「好きな訳文を選べ」と言われた場合、評価者の多くが翻訳者の訳文を選んだ。機械翻訳の訳文よりも、人間の訳文の方がアピールするらしい。
・機械翻訳に人間が手を入れた訳文は、正確さなどを勘案した場合、翻訳者の訳文と同等かむしろより高い評価を得られうる。
・人間の訳文が好まれると言っても、機械翻訳を使う人の多くは、情報の内容がつかめればスタイルには拘泥しないという人が多いのではないか。(例えばソフトをインストールしたり使ったりするのに必要な情報が得られれば十分、ということ。)
・機械翻訳は翻訳者にとって、「便利な道具」であって「敵」ではないのではないか。
・しかし、ローカライゼーションの際に、機械翻訳偏重のあまり、人間による手直しが不十分でも構わないというような風潮になれば、機械翻訳は翻訳者の「敵」になりうる。

最初はワクワクしながら読んでいたのですが、結論から言うと「まあ、そうでしょうね」という着地点でした。

ちょっと物足りないのは、翻訳評価の際、翻訳の目的を明確に定めていない点でしょうか。契約文書などのビジネス翻訳なのか、文学作品の翻訳なのか、はたまた映像翻訳なのかで、必要とされる要件は全く違ってくるはずです。

さらに、翻訳に必要となる「時間」を評価に含めていないのは惜しいな、と思います。

記事の内容から言っても、機械翻訳が力を発揮するのは定型表現の多いビジネス翻訳ではないかと推察されるのですが、一定時間に産出する翻訳の「質」だけではなく「量」も評価に加えていれば、機械翻訳はかなり善戦したのではないでしょうか。

一方文芸翻訳となると、これは機械翻訳にとってはかなり難しい話になってくるはずです。CLの話を持ち出すまでもなく、我々日本人だって、日本の文学作品の表現が指し示すメッセージを的確にくみ取っているかを問われれば、ちょっと自信がない箇所も多いのではないでしょうか。

悲しいことを「悲しい」と書かずに間接的に表現するからこその深みや味わいもあるわけで、手に握り締めたハンカチに、悲しみの象徴的な意味を持たせることもある。そしてそれがターゲットランゲージで「悲しみの象徴」にはならないことがあるわけで、そういう部分こそ、翻訳者の腕の見せ所だと思うのです。

わりあい有名な話なのだそうですが、イヌイットの人たちにキリスト教を広めようとしたときに「神の子羊」という言葉をどう訳すかが問題になりました。アラスカに子羊はいないですからねえ。イノセントな感じがして、なおかつ一人では正しい道を見つけられないイメージがあって、さらにアラスカに生息する動物。結局、浮上してきた候補は「子アザラシ」だったそうです。

機械翻訳だと、どこをどう逆さに振っても、こういう訳は出せないでしょうからね。むしろこういう翻訳を機械翻訳にさせること自体が選択ミスとも言えると思います。

話を元に戻しますが、総合評価として「機械翻訳予想外の善戦」というようなニュアンスでしたが、やはりこの記事を読むと、機械翻訳は怖いなあというのが正直な印象です。

Fiedererさんも述べている通り、使える情報が手に入れば十分という人は多いですし、しかも翻訳の需要のほとんどはビジネス翻訳です。以前に書いたかも知れませんが、10数年ほど前までは「ウェブページの翻訳をします」という広告をよく目にしたものです。ところが今ではほとんど見かけなくなりました。大体の文意が取れれば良いのであれば、オンライン翻訳ソフトで十分ということなのでしょう。

最大の需要があるビジネス翻訳の分野に最大の強みがある。これだけでも個人的には機械翻訳が脅威だなと感じます。そして、機械翻訳に音声認識技術を加えるとすると、これはストレートに「機械通訳」への脅威ともつながるわけで、かなり厳しいなあと思います。

しかしあれですね、話がかなり脱線しますが、こう考えていくと、世の中どんどん他人と交わらなくて良い方向へとシフトしていくような気がします。衣食住、他人と顔をあわせることなくして、全て解決可能になってきましたしね。

最終的には人間の翻訳者、通訳者というのは、一種の「ぜいたく品」になるのかなあ、という途方もない想像をしてみたり、いやいや、1980年代初頭の和文タイピストだって、まさか自分たちの仕事が予想外の消滅の仕方をするとは思っていなかっただろうし、あまり胡坐をかいてばかりはいられないなと思ってみたり。

最終的にはお茶を飲みながら空を見上げつつ「ま、いっか」と呟いてうやむやにしてしまうのですが。もっと突き詰めて考えないといけないかなあ。

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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