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理想と実践の狭間に

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

通訳翻訳課程の学生さんたちを指導し始めて丸2ヶ月ちょっとが経ちました。一番最初に「通訳とは何ぞや」という問いかけから始めて、私なりの通訳の定義を伝え、その理想にちょっとでも近づこうというスタンスで授業を進めてきましたが、ちょっとこのところ学生さんが息切れ気味。まあ、基礎的な力をつけるための「鍛錬系」のトレーニングを課してきたので、仕方のない部分もあります。

そこで今週は、私がNHKで行なった放送通訳のビデオクリップを見せた後、別の部分の30秒ほどのクリップに実際に訳をつけてもらいました。準備時間を10分ほど与え、1人ずつ教室の前に出てきてもらって、ヘッドホンから音声を流して訳出してもらいました。クラスメートは、スクリーンに映ったニュース番組の映像を見ながら、通訳をしている人の訳出を聞くことになります。

普段の授業だと、指名しても「まあ、通訳できそうになかったら、『分かりません』って言っちゃえば楽になれるしなー」という姿勢が見え隠れしたのですが、今回は事前に「放送通訳は黙ったら負けです。一定時間以上沈黙が続いたら、『放送事故』になりますからね」と釘を刺しておいたのが実によく効いたらしく、かなり実力のある人も緊張で震えながらの訳出となりました。

終わったあとは感想を一言語ってもらって、私からのコメントをつけて席に戻ってもらったのですが、何と言っても自分が訳出しなければクラスメートは「無声映画」を見せられる羽目になるわけですから、「評価してもらう」という意識でいるのと、「誰かのためにお役に立たねばならない」という意識で通訳するのとの違いを肌で感じてもらったようです。

終わった後に私の通訳を聞いてもらったのですが、想像以上に「自由に」訳していたことに驚いたようでした。実は、特にそういう特徴が顕著だったものを選んで授業に使っていたのです。一種のショック療法ですね。その後にもう一度、「オリジナルのメッセージを正確にくみ取り、それを別の言語で、効果的に再表現する」という、授業の一番最初に言ったことを思い出してもらったのですが、ようやく実感を伴って腑に落ちたようでした。

まず理想とするもの、目指すべき場所を指し示し、そこに至るための鍛錬方法を伝えて実際にやらせてみてきましたが、最終的には追い込まれた状況でその「理想」をいかに「実践」するかに苦しむことが、一層「理想的概念」の理解を深めたようです。

鬼軍曹としては「早く大きくなれ!」と成長を願いつつ、あれこれと課題を出しています。「えー!」と言いつつも果敢に挑戦していく教え子の姿を見て、「頑張れ!」と思いつつ拳を握り締めるのも、教師だからこそ味わえる幸せでしょう。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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