リハビリ中
学期中の疲れが出たのか、寝ても寝ても疲れが取れず、眠気覚ましにやっていた首の筋トレで肩甲骨の間の筋を痛める始末。土曜日に鍼治療をしてもらったのですが、その副作用なのか逆に疲れが出てしまい、早々に床についてしまいました。
学期中なら2日分に相当する時間寝ていたわりには、あまり疲れが抜けず、釈然としないまま休日出勤しました。おそらく、かまどに薪をくべすぎたような状態なんでしょう。やりたいことがいろいろあって、やらなくてはいけないこともいろいろあって、という状態で、自分の中でも優先順位がゴチャゴチャになってしまっていました。不完全燃焼というやつですね。
妻が快く送り出してくれたこともあり、昼過ぎから半日じっくりと研究室であれこれ整理したり読んだり書いたり検索したり。大分スッキリしました。
今年の夏は、何とか学生たちをダイアログ・イン・ザ・ダークに連れて行きたいものです。
http://www.dialoginthedark.com/
終わったらお茶でも飲みながら、感じたことを語り合えたら良いなと思います。我が家も来年は下の子が小学校に入るから、一家で行けるでしょう。
あれこれ楽しいことを考えながら帰ろうとしたら、出口にカギが掛かっていて、管理人さんに連絡して出してもらうというハプニングはありましたが、無事脱出しました。
帰ってみると、自分のPCの上に妻が図書館で読んだ本のコピーが乗っていました。宇沢弘文さんの「日本の教育を考える」という本で、正に私が感じていたことが書いてあります。
「大学はあくまでも、リベラル・アーツの大学を中心にすべきではないかと思います。(中略)十代の終わりから二十代の初めにかけての多感な若者たちが、学問研究を契機として、また教師や他の学生との接触を通じて、社会的に有為な人間として成長することができるような場を提供しようというものです。現在の大学は(中略)学生がすでに一個の完成した、独立な人格を持つ社会的存在ということを前提として、専門的な学問的知識を教授するというのが、大学の目的になっています。しかし、現在の高等学校までの教育は必ずしも、この前提を満たすものではなく、(中略)大学の四年間はあくまでも、(中略)人間的成長をはかることに主点をおいた方がよいように思われます。」(pp.212-213)
そうなんですよ。専門教育は大学院でやれば良い。企業も大学での専門教育などというものには期待していないように見えますから、就職の上でもそれで問題はないのではないでしょうか。
息子の通っている公立小学校の校長先生が非常にユニークな方で、以前から「幼少期に飢え、渇き、疲労の体験を」と呼びかけています。今回息子がもらってきた小学校便りには、先生が小学校5年生から高校3年生までの子供たちを引率した「無人島生活」について方っていらっしゃいました。
渡されるのは米と調味料、そしてわずかな野菜だけで、水は一班につき一日20リットル。これで10泊11日をしのぐわけです。毎日が食品の加工や保存食作りなどで、生活のほとんどは「食べるため」、つまり「生きるため」に費やされることになるのだそうです。子供たちの感想の中で、「働くことの意味が分かった」という言葉が印象的でした。
そうなんですよね。「何で働くの?」などと問えるのが一種の贅沢であると、また逆に、そういう問いを持ってしまうことがある意味では貧困とも言えると、そういうことに気づかされたのではないでしょうか。
この「働くこと」を「学ぶこと」に置き換えて、同じことを学生に言わせて見たいなあとつくづく思います。自分で情報を集め、新たなことを知っていくというのも、無人島サバイバルと同じように、「生きる力」なのではないかと思うのです。
子供たちにとって大変な日々だったでしょうが、それでもやり通せたのは、「生きる」ことが充実して楽しかったからでしょう。学生たちにも何とかして「学ぶ」ことの充実感、楽しさを味わってもらいたいと思います。そのためにも、私自身がいろいろ工夫しなければいけないし、楽しんで学んでいる姿を見せなくちゃいけないはずです。
学生たちがそうやって学んだことの全てをぶつけて、ある意味全人格をかけて、通訳に翻訳にと挑んでくれる日が、何とか来るようにしたいですね。