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何がやりたいのだろう?

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

小人閑居して不善を為す。

要は「バカは人の目のないところに放っておくと、ロクなことをしない」ということですが、何だかこの言葉が身にしみる今日この頃。授業がなくなって、さあいろいろなことにアクセルを踏めるぞというときなのに、人の目がない分、ロクなことをしていないような気がします。

仕事が一段落すると余計なことを考え出すと言いますか、「自分は果たして、何がやりたいのか」などと、考えすぎても仕方ないことを考え出して、堂々巡りの罠にはまっております。

取り立てて研究したい理論があるわけでもなく、要はずっといろんなことを「へえ、これ面白い」と吸収し続けていたい。そしてその楽しみを学生にも伝えて、「な、こういうのって面白いよなあ」と言い合いたい。楽しみが分からない学生には、説明して分かるようにしてあげたい。自分の学んだことを、社会に還元する醍醐味を知って欲しい。抽象的ですが、あえて言えばこんなことでしょうか。

ただ、こういうことって、数値目標化するのが非常に難しくて、「結果を出す」ということとはなじまないように思うんですよね。ゴールではなくプロセスそのものが大事と言うか、プロセスがゴールですから、「何を持って目標を達成したと判断するか」ということが難しい。

でも同時に「これが私のしてきたことです」と言える「結果」と言いますか、仕事の「見える化」と言いますか、そういう指標を持つ大切さも分かるんです。結局学力の評価と同じく、本質ではない部分と言いますか、読んだ本の冊数やら、学生にアドバイスした時間の累計やら、一定以上の英語力を見につけた学生の数やら、そういう計量的に測定できる部分に着目していくということになるんでしょう。うーん、頭では分かっていても、どうも違和感が。

そもそもプロセスが大事なのは分かっているんだから、今すぐにでもそこに着目して楽しんだり充実感を味わったりと言うことは出来るはず。それが出来ていないで、こうやって余計なことを考え出すのは何か問題があるんでしょうね。

このブログがアップされる頃には、鳥取で家族と遊びまくっているはずです。いつまでもアホなことを考えていないで、上手く「リセット」して、また前進しようと思います。

古田島洋介氏編集の「漢文素読のすすめ」の中にあった、お気に入りの言葉。

「生無可与語、死以青蝿為弔客。使天下一人知己者、足以不恨。」

このぐらいの覚悟を持ちたいものです。

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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