ごめんね。
「おい、いぬ、聞いたか?給料がまた遅配だってさ」
そんな同僚講師の声に、僕は予習を中断し、目を落としていたテキストから顔をあげた。
「今月もか。こりゃ、本格的にヤバイな」
そう答えつつ、貯金通帳の残高を思い浮かべてため息をつく。留年を繰り返した挙句、やっと大学を卒業したが、卒業半年前から始めたこの英会話スクールの時間講師(要はバイトだ)の仕事はいい金になった。親元に住んでいるうえに一銭も家に入れていない身分だったので、通訳学校の高い学費を払っても、月々の書籍費と飲み代には事欠かない。
まあ、この調子で数年通訳学校に通っていれば、何とかなるんじゃないか。
そんな甘い目論見は、卒業した翌月に、もろくも崩れる。バブルが崩壊してから数年は経っていたが、経営者の無軌道な不動産投資が裏目に出て、英会話学校の経営は大きく傾いていたのだ。給料日に本を買おうとキャッシュディスペンサーを操作すると、「残高不足です」という表示が出て引き出せない。何かの操作ミスかと思ったが、何度か操作しても結果は同じ。学校についてから、これが「給料遅配」というものだと知った。
授業をしながら、数ヶ月前の通訳学校の進級試験のことを思い出す。ろくに準備もしないで受験して、結果はもちろん惨敗だった。自分の「センス」やら「才能」やらに、根拠もなく自信を持っていたのだが、通訳の勉強とはそんな思い込みでどうにかなるものではなかった。「やったか、やらないか」がほぼ成果と比例する。そして、「努力なしに褒められる」ことばかりを求める甘えた精神の持ち主には、実に辛い空間だった。
2回目の留年が決まったあたりから、まともに就職する気は失せていて、まともな就職活動をしたこともない。何とか社会に通用しそうな能力は英語ぐらいかと思い、通訳者になる道と、それまで自分を支えるための英会話講師という道を選んだはずだった。しかし、通訳者への道は先が見えず、いまや収入の道すら途絶えかけている。
普段より焦燥感に駆られていたのだろう、何とかしなければという気分で、普段は買わない英字新聞などを買って、暗澹たる気分で帰りの電車に乗りこむ。しかし、英文を追う目は牛のようにのろく、意味はろくに入ってこない。ずっと英語と取り組んできて、英字新聞もろくに読めないのかと思った。周りに立つ会社帰りらしき社会人が、疲れた表情の中にも充実感をにじませているように見えた。音信も途絶えた同級生たちは、いわゆる「有名企業」に入って、バリバリやっていると風の噂に聞いたことが思い出される。
自分だけを置き去りにして、周りの全てが動いている。そんな中で僕に出来ることといったら、何度つるはしを打ち付けても傷ひとつつかない「英語」に対して、よろよろと挑み続けることだけだった。電車を降り、バスに乗っても必死に英文にかじりつく。でも、やはりスイスイとは読めない。砂漠の中で喉がカラカラに渇いているのに、スポイトで水を与えられている。そんなもどかしさだった。
「はろー。はろー。はわゆー」
疲れた大人たちを詰め込んだバスの車内に、場違いな幼児の声がする。ふと新聞から顔をあげると、母親に連れられた女の子と目が合った。幼稚園児ぐらいだろうか。こちらを見てニコニコ笑っている。
うるさいな。気が散る。
それが最初に心に浮かんだ感情だった。すぐにまた新聞に顔をうずめる。子供は良いよな、気楽で。大体なんでこんな時間に子供が乗ってるんだ。ろくでもない親だな。親の教育がなってないんだ、そもそも。黙って乗ってろっての。
自分に対するもどかしさと苛立ちの感情が、自分以外の標的を求めて荒れ狂う。
「……はろー?」
遠慮がちな声にまた顔をあげ、邪魔をするなとばかりに睨みつけると、彼女はハッとしたように怯えた表情を見せ、母親の陰に隠れてしまった。
バス停でバスを降りた後、ビールを買って飲みながら帰った。一口一口が苦くて、全く酔えない。
ごめんね。ごめんね。君はちっとも悪くない。もう眠かったろうに。座れないのにぐずりもせず、良い子でバスに乗っていたのに。お父さんが読んでいるのとは別の言葉で書かれた新聞だと気づいたんだね。だから一生懸命に、知っている英語で話してみたんだね。「通じるかな?答えてくれるかな?」って、楽しみだったんだよね。ごめんね。
心の中で怯える女の子にどう謝罪しようと、その言葉はあの子には届かない。ワクワクした気持ちを無残に踏みにじられたまま、あの子はどこまでバスに乗って行ったのだろう。
もう15年以上前のことになる。あの子も、大学生ぐらいになっただろうか。
「君たちの中に、子供の頃バスの中で英語を話したら、睨まれたっていう人、いるかい?」
教え子たちにそう尋ねたくて、でも切り出せないまま、僕は日々教壇に立っている。