教師としての試行錯誤
10月6日
今日は、実に嬉しいことがあった。通訳法の授業が始まる前に、通訳翻訳課程の男子学生が「先生、今日、授業時間を5分ぐらいいただけませんか?」と尋ねてくる。何だろうと思って話を聞くと、デイリー・ヨミウリで毎週木曜日に行なっている翻訳コンテストに、通翻課程の男子学生2人で応募してみたのだという。そして、2人の訳文を原文とともに提示するので(先入観にとらわれないよう、名前は削除してある)、クラスのみんなにどちらの訳文が良いか投票して欲しいというのだ。
偉い!素晴らしい!良くやった!いや〜嬉しくなる話だ。肩をバンバン叩いて褒めてあげた。もちろん時間はとると約束。それにしてもたいしたものだ。あの翻訳コンテストは、僕自身トライしてみようかと思っているぐらいのものなのだが、授業と宿題をこなすことだけでとどまらず、そうやって能動的に、自分で自分を鍛える方向に向かってくれたとは。4月からずっと言い続けていたことが報われたような気がした。
しかしその一方、残りの10人ほどはそういう変化がないわけだから、僕の教育の効果というよりも、2人のもともと持っていたものが開花したと見るべきなのかなとも思う。うーん、真実はどうあれ、「まだ10人以上が変わらない」という減点法の考えだと、正直こちらの心が折れかねない。「2人が変わった」と加点法で考えるとしよう。
備忘録。
通訳法
息、声、英語のウォーミングアップ。前回の学生に新たな学生を指名させて音頭を取らせる。コミュニケーションの送り手として、どうメッセージを届かせるかを考えて動く。「指示を最初に出せばいい」という形で、「正解」を押さえようとするのではなく、行動の目的を考え、それから適切な行動を導き出すこと。それが通訳のパフォーマンスにもプラスの影響を与えると伝えた。
「日本事象英文300選」の暗唱課題について連絡。暗記法についても触れ、僕が現在取り組んでいる単語の暗記にも触れる。以前の例文暗唱型の暗記と比べた利点など話す。
ペアを組ませ、先週配布した音声ファイルをディクテーションしてきたものの内容について、分からないところを確認しあうように言う。5分ほど。その後PC画面でスクリプトを見せて、聞き落としたところや聞き間違えたところを確認させる。スペルミスは不問、固有名詞は聞き取れなくて構わないと言う。固有名詞はリスニング力ではなく知識量で聞き取るものだとも。
その後質問を受ける。ちなみに通訳教材に使ったのは、動画共有サイトで見つけたVOA Special English Education Report。スピードがゆっくりなのと、内容がほどほどに歯ごたえがあるのと、スクリプトがあることが決め手になって採用。ちなみに学生たちには出所は言っていない。自力で見つけてcheatするのも、実力のうちと考えているのだが、まあなあ、みんないろんな意味で「マジメ」だからな。そういう選択肢など、恐らく考え付きもしないだろう。良いといえば良いのだけれど、徹底して調べまくるという姿勢がないのは問題ともいえる。
最初は質問が出にくかったが、要は「とりあえず理解できている」と思っていたらしい。そこで逆にこちらから質問して、自分の理解のレベルの浅さに気づいてもらった。
単に辞書で訳語を見つけて良しとするのではなく、背景知識なども動員して「深く」理解するように言う。例えば「school nurseって何?」と問われて、しゃあしゃあと「学校の看護士」などと答える手合いには、「学校は病院?」などと突っ込みを入れておいた。「養護教諭」とか、せめて「保健室の先生」ぐらいは出してきて欲しい。また、日本と違ってアメリカの養護教諭はregistered nurseでなくてはならないが、その訳語にしても「登録された看護士」で良いのかどうか。「『登録された看護士』って、具体的にどういうこと?」と突っ込む。
また、federalという言葉一つとっても、アメリカの州政府の(日本の都道府県と比較して)自治権の強さなどを考えていく必要がある。「地方自治体」「中央政府」の認識がきちんと出来ているかどうか。そのあたりの認識も確かめる。
質疑応答にたっぷり時間をとった上で、1人ずつ逐次通訳させる。こちらから指名するのは疲れるし、指名パターンを考えるのも、学生が順番を数えて必死に準備するのも(宿題の答え合わせをする小学生かっ!)嫌なので、最初に1人をあてて、後は通訳を終えた学生に次の学生を指名させた。当然いつ当たるか分からないので、みんな毎回シャカリキになる。通訳を終えた学生がガードを下げてリラックスムードになるという問題はあるものの、指名方法としては、しばらくこれで良かろう。
実際の通訳では、日本語と英語の差に焦点を当てて指摘。不必要な主語を入れて日本語に訳出していないか。訳し落とすべき形容詞を、英語に引きずられて訳出しているため、日本語として分かりにくくなっていないか。などなど。
全体的に、まだまだ「前に出る」という姿勢が足りないなあ。どうしたら良いのだろう。僕が十数年前に通訳学校に通っていた頃は、集まった生徒はこういう感じではなかった。タテマエはどうあれ、みんな本音の部分では「オレ(私に)スポットライトを浴びせてー!」という感じの人が多く集まっていたように思う。もちろん僕もその1人。訳出を指名されるたびに、「どうだ!」という気分で訳出しては、先生に問題点を指摘されまくったものだ。難しいところ、分かりにくい所は「当たりませんように」と願いはしたが、当たってしまったら、分かっているところだけを元々それしか言っていないような顔をして堂々と訳出した。
それが全面的に良いと言っているのでは、もちろんない。でも学生にしても通訳学校の入門レベルの生徒にしても、あまりに「引っ込み」すぎるきらいがあって、そこがもどかしくてならない。特にプロ養成所である通訳学校の生徒には「そんなに嫌なら、そもそも大金を払って授業を受けなきゃ良いじゃないですか?」と言いたくなる時もある。いくら「沈黙は金」と言ったって、通訳においては、それは美徳にはなりえないのだがなあ。
大体において、通訳をやる大前提として「伝えたがり」という資質が必要な気がする。ある種のおせっかい的気性とでも言ったら良いのだろうか。スピーカーの話を聞いて、「分かった!よーし、分かった!うんうん、なるほど。ちょっと待っててね、今説明するね。あのね、あのね、聞いて聞いて!」という気持ちになれる資質とでも言おうか。
……ところが。
通訳の授業を履修する学生の大半が、それとは正反対
の気性の持ち主であることが多い。心の中の呟きをあえて言葉にするとすれば、「……これで、合ってるでしょうか?」「本当は、伝えたくないんですけど」「出来れば気配を消したままでいたいんです」という感じだ。決して不真面目なのではなく、真面目は真面目なのだ。ただ、それは高校生的な真面目さというか、「唯一の正解というものがあって、それを自分は言い当てられているのだろうか」という、まるで何かのテストを受けているような感じなのである。
訳出も一種のテストと取れないこともないが、例えば英語の穴埋め問題や並べ替え問題とは決定的に違うことがある。「模範解答」というものがない、ということだ。
穴埋め問題にしても並べ替え問題にしても、絶対的な正解は存在する。その正解を何かで覆い隠しておいて、その正解を探し出せるかというのが「お題」となるわけだ。ところが通訳(翻訳も含む)の場合、そいういう「絶対的な正解」は存在しないのだから、「模範解答」を探そうとしても無駄だし、他のクラスメートや僕が訳出したものを「暗記」しても、大して意味はない。
内容を深く理解して、自分なりの「解答」を作り上げるプロセスにこそ大切なものが詰まっているのだが、そこに気づけないようだ。下手をすると通訳学校でも、僕の授業を(禁止されているのだが)録音して、僕の訳出を覚えこんでいる生徒さんがいて、注意したことがあったぐらいだ。「勉強」の方法論が、根本的に間違っている。
interpretという言葉の意味は「解釈」なのだから、元は同じであっても10人通訳者がいれば10通りの訳出、つまり「解釈」があっていいはずだ。写生大会を例に取れば分かりやすいが、みんな同じ場所で同じものを見て描いても、描いた絵は絶対同じにはならない(もちろん程度問題で、牧場で写生大会をやったはずなのに「ライオン」を描いたりすれば、さすがにアウトだ。通訳で言えば「誤訳」となる)。
または新聞記事でもいい。同じ現場に10人の記者が駆けつけたとして、全員の記事が一字一句同じになるわけがない。それが当然なのは分かるのに、なぜか通訳の演習ではみんなが「同じ絵」「同じ記事」を作ろうとする。そういう考えをどう修正していくのかが僕の授業における、今後の課題だろうなあ。
途中まで訳出したところで時間切れ。「求められるレベルが分かったかな?来週は、2度目の逐次通訳をやるから、自分なりに練習して、訳を練りこんでおいで。今後の展開としては、この教材を使って同時通訳に挑戦するよ」と言っておく。「えー」とか「ひー」とか声が挙がっていたが、まあ、チャレンジしてみようじゃないか。
最後に例の二人の訳文に投票してもらって終了。
10月9日
早起きするつもりが寝坊。iPodなどを更新して、BBCのNewsPodを聞きながら出勤。車中で日経とデイリー・ヨミウリ。その後単語。何だか近くの見本市会場で何かの展示会をやっているらしく、大学最寄駅がやたら混んでいた。人ごみが苦手なので、さっさと駅を後にし、北海道大学のCoStepのポッドキャストを聞きつつ出勤。
授業準備をして授業。昼休みは暗唱大会の説明会。研究室に戻って昼ごはんをかき込み、すぐ授業。終わったあとは30分ほど資料を整理して15時半から教務部に行って来年度の時間割構成の話し合い。戻って授業の準備をして4時50分から授業。授業終了後、通翻課程の男子学生2人と夕食を食べる。例のデイリー・ヨミウリの翻訳コンテストにトライしている2人だ。そのうち1人は12月に名古屋外大で行なわれる学生通訳コンテストにも参加する。1年生だから今回は参加各校の先輩方の胸を貸してもらうことになろうが、「最近通訳の勉強が面白いんすよ」、などと語っていた。うむ、頼もしくて大変よろしい。かなり遅くなってから帰宅する。
ああ、今日は仕事のフローチャートを作っておこうと思ったのだが。でも、授業が何とか水平飛行に移りつつあるので、そちらに割く精神的肉体的リソースの予想がつくようになり、その分の余裕が苦手の事務処理やアドミ関連の仕事に回せて、ちょっと楽になってきたような気がする。実際の仕事量は減ってはいないのだが。
授業覚書。
通訳法
今日から本格的に日英の通訳に入る。まずはウォーミングアップの声・息・英語のエクササイズ。つづいて今週から始まったウォーミングアップ第2弾として、先週宿題にしておいた構文の例文20文の暗唱チェック。
学生を2人ずつペアにして、立たせてから、スクリプトを交換させる。じゃんけんをさせて順番を決め、1人がスクリプトの日本語を読み上げて、もう1人が何も見ないで暗唱してきた英文を言う。終わったら役割を交代。2人とも終わったら着席して、宿題の範囲をさらにRepeat&LookUpで覚え続ける。どのぐらい掛かるか分からなかったが、早いペアで4分を軽々切っていた。一番遅いペアでも5分弱。これは来週から4分半ぐらいを目標にさせようか。今回は初の暗唱チェックということで、追試などはなし。ただ、来週からはアウトの場合は研究室まで来て追試をやってもらうよーと脅かしておく。
構文暗唱の宿題を引き合いに、語学学習におけるOver Learningの大切さについて強調しておく。
続いて今日の日英通訳演習のやり方について説明。
基本的に前期のやり方がうまく行っていたようなので、そのまま踏襲する旨伝える。具体的には数分間のビデオを見せ、それについての感想を日本語で30秒ほど準備させる。ペアを組ませてペアの日本語を通訳、というものだ。何のビデオを見せるかは、その時々で変わる。時事的なものを見せたこともあったし、人類史上最大の破壊力を持つ水爆、ツァーリ・ボンバの投下実験の映像を見せたこともあった。
個人的には、「大学における通訳教育」を良い意味での教養教育、全人教育につなげて行きたいと考えており、現代の実学最優先的な風潮にそっと反旗を翻したく考えている。様々な内容のビデオを見せて考えさせるのは、僕の考えている「大学における通訳教育」の、そういう側面を受け持たせているつもりなのだ。
ただ、前期からの課題としては、いかに「テスト」という感じにならないように訳出をさせるかということ、それから英語に通訳するものが難しかった日本語表現を、どうするかということ。前回は僕が「例えばこう訳したら?」と訳例を出していたが、それだけだったので、恐らく放りっ放しに近い状態だっただろう。やる気のある学生は自分でもいろいろ考えたと思うが、そうではない学生は右から左に抜けていたに違いない。
そこで今日は、
前者に関して、今一度通訳する際の心構えを説明することにした。後者に関しては、訳出訓練が終わった後に訳しにくかった言葉をペアで検討して箇条書きにして、それが終わったら教室のホワイトボードに列挙するように伝えた。
難訳の言葉に関してはクラス全員にホワイトボードにかかれたものを書き写させ、来週までに自分なりにどう訳すかを考えてこさせる。僕も自分なりの訳例を考えてきて紹介する予定。真面目に訳を考えてきているようなら良いが、定期的にチェックして、あまりにいい加減なようならば、考えてきた訳を提出させることも考えねばなるまい。まあ、かなりキツイ授業だから、そこまで不真面目な学生はそもそも履修していないと思うが。
さて、いつも5分弱のビデオを使っているのだが、今回はちょっと長めの10分のビデオを使う。昨年立教大学の通訳の授業で教えていた学生が、日本財団「第1回日本ドキュメンタリー動画祭」に自作のドキュメンタリーをエントリーしていると伝えてきたので、それを使うことにした。カンボジアのスラム街に住み、ゴミ山でゴミを拾って生計を立てている人々の夢と希望を題材にした作品だ。
http://www.youtube.com/watch?v=_nmy4wzjat8
普段はすぐにビデオを見せるのだが、今日は通訳をする際の心構えという点から、事前に話をしてみた。
まず、interpretという言葉の意味を問う。「通訳」という声がすぐ挙がったので「ん、そりゃまあそうなんだけど、本来はどんな意味?辞書を引いてごらん」というと、ようやく「解釈」という答えが出た。答えた学生を褒めた後、これから見るカンボジアについてのミニドキュメンタリーも、Mさんというある女性がカンボジアについてこう解釈しました、という一例なんだよ、と話す。
火曜日の授業覚書にも書いたが、「解なし課題」への取り組み方、のような話をしてみた。例として写生大会を引き合いに出す。神社に写生大会に行ったとして、クラス全員の社の絵がピッタリ同じになるだろうか?なるわけがない。自分にとってどう感じられたか、五感を駆使して感じ取ったものを、画用紙の上に再表現するわけだから、10人いたら10通りの絵が出来て当然だし、そうならない方が不自然だ。一定の「型」にはまっている必要はないと思う。泣いている女性を描くにしろ、爆撃を受けた街の様子を描くにしろ、極端な話、ピカソの絵のような表現だって「あり」なのだ。もちろん「神社」に行ったのに「お寺」を描いたりしたらさすがにそれはおかしい。通訳で言えば「誤訳」になるよね、などとも話す。
まず必死にメッセージを感じ取ること。そしてそれを必死に「伝えよう」とすること。
通訳するときに、「自分が評価されたい」あるいは「こんなことをしたら自分の評価が下がるのではないか」などと考えていてはいけない。「何とかして、この人の言っていることを伝えて行きたい」という強い思いを持つこと。人間は自分のためにはそれほど頑張れないけれど、人のためと思うと、結構頑張れるもんなんだよ、などと話した。うんうんとうなずいているけれど、さて、それを実践できるかな。教師として、それを実践させてあげられるかな?「伝えたい気持ち」に、火をつけることは出来るだろうか。
今日は今学期初めての日英通訳訓練となるので、まずは日→日の要約訓練から始めてみることにした。
まずビデオを見せる。その後1分ほど自分の考えを整理する時間をあげて、そのあとペアを組ませて順番に30秒ぐらいずつ感想を語らせる。終わったら役割をスイッチ(交代)。
それが終わった時点で、1人ずつ順番に立たせ、自分のパートナーの感想をクラス全員に発表させた。「伝えよう」という気持ちが良く出ていたし、聞き手のほうもアクティブに聞いていたので大いに褒める。
その後、同じペアでパートナーの感想をもう一度聞き(メモは新たに取り直す)、それをその場で英語に通訳させた。終わったらスイッチ。2人とも終わったら訳すのが難しかった言葉のリストアップとホワイトボードへの記述をするように言って、ペアごとに自由なスピードでやらせる。初めてなので、今回はクラス全体の前に出てきての通訳はやらなかった。机間巡視をやった限りでは、とてもよく取り組めていたと思う。
難訳表現としては、
目線、ありのまま、(スラムの)荒廃した生活、職業支援、〜が行き届く、〜を豊かにする、〜を頭に入れて行動する、ゴミ山、将来に対するビジョン、物質、職業訓練で学べるようになったおかげ、フェア・トレード、幸せ(happy以外の表現で、状況を伝えられる言葉)、不衛生、恵まれた生活、甘い(日本で生活していて「辛い」と言ってしまうような)、今の自分に必要なものはそこ(カンボジア)にはなかったけど、母が自分の子を大学に進学させようとする努力を見て、自分自身の考えに疑問を持った、どのぐらい私たちが幸せで良い環境で生活しているか実感させられた、スキルを身につける、どのような人が住んでいるのだろう、援助している人・援助されている人、ゴミをなくす、陽気な笑顔で挨拶をしてくれた、キラキラした笑顔、愛に飢えている、まずは日本の内部を見直すべきである、カンボジアの人々の笑顔を守りたい、〜という思いを受けて、ありのままということの違いを改めて感じた(日本にとっての「ありのまま」と、カンボジアにとっての「ありのまま」の違い)、職業訓練学校、大変な(辛い)生活、environmentとは違う表現で「環境」、日本が与えているものよりも日本が受けとるものの方が多い、家族愛
などが出た。ああ、みんな一生懸命やってるなと思う。
恐らくはもう脱落者などは出ないと思うので、そろそろ多読のグループ分けと、日本語の本の感想文提出プロジェクトの話も進めていこうか。