遠きにありて思ふもの
先週の金曜日か木曜日、かなり疲れ果ててつり革にぶら下がりつつ、iPodを操作していた。
疲労もあって、普段なら面白いと感じるBBCのラジオ・ドキュメンタリーも、心地よいと感じる音楽も聞く気になれない。車内広告はあらかた読みつくしてしまったし、さてどうしよう、などと思っていると、懐かしい音声ファイルを見つけた。
2006年の9月、国産旅客機YS−11が引退するというので、一家4人で乗りに行ったことがあった。そのときの録音だ。
会議用のICレコーダーでこっそり録ったものなので、大した音質ではないが、十分に楽しめた。幼い息子との会話も、断片的に拾っている。
薄暗い機内と残暑厳しい機外のコントラストを思い出した。アナウンスがあり、プロペラが回りだす。
轟々という腹に響く低音のうえに、「ピーン」と「ビーン」の中間のような、金属質の高音が重なる。黒いビロードの上に、金糸がツツーッと伸びていくようなエンジン音だ。
左右のプロペラがゆっくりと回転を速めて、やがて同調して「ゴウンゴウン……」という頼もしい爆音になった。飛行機が、「飛ぶぞ、今から飛ぶぞ」とつぶやいている。
子供の頃、夏休みに鳥取に帰るときの、あの高揚感がよみがえってくる。あの頃は「夏休み」という特別な場所があって、YS−11はそこに連れて行ってくれた飛行機だった。
昔、客室乗務員をしていた母は、様々な初期故障があったYSにあまりいい印象を持っていないようだが(何しろ、ボーイング727が「夢のジェット機」と喧伝された時代の乗務員なのだ)、僕にとっては他のどんな飛行機よりも愛着を感じたものだ。クーラーが効かなくても、トイレが少々臭っても、気にならなかった。
現在のジェット機と比べるとずっと低い高度を、山を見下ろすようにして飛んでいく。雲しか見えないジェットの旅とは違って、明らかに「旅情」のようなものが、よりハッキリと感じられたものだ。
雲をかすめるように飛ぶその先には、きらめく日本海と、まだ若かった伯父や伯母、まだ高校生や中学生だったいとこたちや、祖母の笑顔が待っていた。
座席指定もなく、弟と競うようにエプロンを駆けてタラップをのぼり、一番前の席を占領したものだ。着陸態勢に入ると、飴玉が配られた時代だった。
僕の「夏休み」がなくなってから、どのぐらい経つだろう。
いつも行っていた鳥取の海水浴場も、2つのうち一つは埋め立てられて漁港になってしまった。祖母も他界して久しく、伯父も伯母もいとこたちも、それぞれ年齢を重ねた。もちろんそれは、僕も同じだ。4年前は幼稚園児だった息子も、もう小学3年生。
懐かしい日々は、どこに飛び去ってしまったのだろう。
そこまでぼんやり考えて、iPodのスイッチを切った。降りる駅だった。疲れてんだろなあ、と苦笑しながらホームを歩く僕の鼻腔を、潮の香りがくすぐる。
そういえば、ここも海の近くだったんだな。