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お盆に思う

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

久々に空手の稽古に行くが、やはりどうも組み手が上手くいかず。破れかぶれで出した前蹴りが、軽く相手のボディーにヒット。きちんと蹴り足を引き戻さずにそのまま左足が着地した所、関節が曲がる方向とは逆に力が加わって、「グキッ」という嫌な音と共に激痛が走った。

その晩はアイシングと消炎鎮痛剤の塗布で乗り切り、次の日に先ず針治療で当座の痛みをある程度緩和してもらう。その後整形外科へ。レントゲンと超音波で検査を行い、溜まった水を抜いてもらう。

「腱が切れているなら、もう少し血そのものが混じると思うんですけどね。なんにしても、腫れが引いたらMRIを撮って確認しましょう」と先生がおっしゃる。

レントゲンで見てみると、骨の先端部分が若干削れているように見え、それも一応「骨折」ということになるのだそうだ。ふーん。

鎮痛剤と胃の薬と湿布を出してもらい、負傷箇所を包帯で固定して、片松葉で歩く練習をしてから帰宅。丸一日安静にしていると、痛みと腫れはかなり収まった。

実家に帰省する妻と子供達を見送って、両親宅に厄介になっていると、珍しく弟が尋ねてきた。しばらくあれこれと話す。元々航空機の内装の設計をしていたのだが、管理部門に移ったとはいえ、ものづくりの現場というのは大変そうだ。それに比べりゃ、僕の仕事ぶりなんぞ甘いなあとしみじみ思う。

なんにしてもめったに会えないので、貴重なひと時だった。居間に親子4人が久々に集合したのは何年ぶりだっただろうか?

夜も両親と夕食をとりながらあれこれ話す。僕はアルコールを暫く飲めないので、ノンアルコールビールだったが、両親は一杯やりながら楽しそうだった。

お盆には祖先の霊が戻ってくるというが、亡くなった人だけではなく、生きている人の接点にもなったなと思う。母が「まさに『怪我の功名』よねえ」と言って、3人で大いに笑った(ちなみに翌日にはニューヨーク在住の叔父と叔母から偶然電話がかかってきて話せた)。

我が家は神道(平たく言えば「お寺系」ではなく「神社系」)なのだが、神道と仏教は大いに混ざり合っているので、お盆はちゃんとやる。子供達は祭壇の設置のお手伝いを、大いに張り切ってやっていたそうだ(その時は、僕はまだ足が痛くて寝ていた)。

一昨日、一家6人で夕食をとる際に、「今日はお盆だから、目には見えなくても、大きいおじいちゃんやおばあちゃんが、きっと帰ってきているよ」と言うと、食事をしながら息子が真剣な顔で四方をにらんでいる。「どうしたの?」とたずねてみると「ん?ご先祖様が見えるかなあ、と思って」と答えていた。可愛い3年生なのである。

一方1年生の娘(社長)は、両親の部屋でお泊りした後、朝になって、僕と妻が寝ている部屋の隣に設置された祭壇の前で柏手を打って「いい子にしてくださいっ!」と声に出してお願いしていて、思わず微笑んでしまった。

僕も父も霊的なものを信じているわけではない。いまでも覚えているのだが、保育園児の頃「死んだらどうなるの?」と尋ねた僕に「『無』だよ。何にも無い」と一言答えたというエピソードもあるぐらいだ。たずねる保育園児も保育園児だが、一刀両断に回答した父も父だと思う。まあ、個人的には実に良い回答だと思って、幼いなりに大いに納得したのだが。

それでも2人とも、「お盆」などの伝統行事は大事にしていきたいし、「可愛がってくれた人や大好きな人の御魂が、温かく見守ってくれていると『想像』するのは、悪くないもんだよな」という考えだ。子供達もそんな感じの、ある意味実に日本的な、ゆるーい宗教観を持ってくれれば良いなあ。

などと思っていた14日土曜日。TBSの終戦ドラマ(っていうジャンルが何時出来たのだろうか?)「歸國」を見た。

いろいろと「宿題」をもらってしまったな、と思う。

現代日本に帰ってきた第二次世界大戦の英霊が、遺族らとひと時の再会を果たす様子を軸に、今の日本のあり方を見る人に問いかける内容だった。

繰り返し使われたのが「豊かさ」というキーワードで、「豊かさは幸せとイコールではない」というメッセージも繰り返されていたように思う。

皮肉な事だと思ったのがCMだ。証券会社のCM、栄養補給剤のCM、現実には買えそうにない豪邸を宣伝するCM、パチンコ屋のCM、消毒用ハンドソープのCM、ビールのCM、高級腕時計のCM……全てが表面的豊かさの象徴のようで、ドラマと強烈なコントラストを形作っていた。

物質的な豊かさは、ある段階まで精神的な豊かさとイコールなはずだ。それが乖離して行くのは、どのポイントなのだろう。

番組のラストで兵隊(正確には少佐だから「将校」というべきか)の亡霊が、「豊かさは便利さ(身体を動かさずに怠けること)ではない」と語る。

昨今の「体験ブーム」(農作業やら牧場体験やら)は、僕も個人的に参加して大いに楽しんでいるクチだが、あれは精神的な意味での豊かさを取り戻そうとする動きだったのかもしれないし、ささやかながら日々の「生きている」という実感を取り戻そうとする試みだったのかもしれない。

最後に亡霊が「自分達のことを、時には思い出して感謝してほしい。いや、思い出してくれるだけでいい」と言ったのに対して、別の亡霊が「誰も思い出してくれやしない。それは『片思い』だ」と言う場面があった。

そのとおりなのだろう。

現実的には、もはや埋めがたい溝が、あの頃を生きた人々と今を生きる人々との間に横たわっているのだと思う。

しかしそれでも、その溝を埋めようとする努力は怠ってはいけないのではないか。あの時代を生きた人々の感じたこと、考えた事を完全には理解できないにしても、理解しようという努力、そしてそこから学んで悲劇を繰り返さないようにする努力は、決してやめてはいけないのだ。

そうこうするうちに、今年も終戦記念日がやって来た。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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