幼年期の終わり
社長(娘)が学童にマンガを持って行くというので、「それはダメ」というと大荒れになった。最近いつもこのパターンだ。気に入らないと怒ったり泣いたりする。
先日妻の実家に帰省した際も、おじいちゃんが親切で買ってくれた本を「こんなのいらない」と言って投げたり、「捨てる!」と言ったりしてずっとギャアギャア騒いだ挙句に、とうとうおばあちゃんに怒られたらしい。
いったんこの「お代官様モード」に入ると、「Aと言えばBと言い、Bと言えばAと言う」という錯乱モードになるのだ。「じゃあ、別の本にする?」「やだーっ!別の本なんかやだーっ!」「じゃあ、この本でいいのね?」「やだーっ!こんな本なんかやだーっ!」という具合。
幼稚園時代は、自分がやりたいことを実行できるだけでほめてもらえた。しかし、小学校に入ると、ぼちぼちいろんな「社会のルール」やら「決まりごと」やらを守るという練習も入ってくるし、「自分の思い通りにならないことを乗り越える」という試練もある。
とにかく、「自分の思い通りにならないこともある」ということを理解させないといけない。妻の場合、叱っているうちに「じゃあもう、好きにしなさい!」となってしまい、最終的に社長が本当に「好きにしてしまう」というパターンが見受けられるので、今日は「好きにさせない。自分の行動の責任は、自分で取る」ということを徹底させてみようと思った。
学童に出発する時間になったので、息子だけ先に行かせ、その後出勤する妻と、ぐずる社長を送り出す。社長は「一人じゃ怖くて行けない!お母さん一緒に行って!お父さん一緒に行って!」としばらく泣きわめいていたので、いったん家の中に入れて、錯乱モードでギャアギャアいう社長のお尻をひっぱたいて目を覚まさせる。その後、(膝が痛いので)ソファーに座り、社長を前に立たせて説諭した。
・幼稚園や保育園とは違って小学校には守らなければいけない「きまり」があること
・大人はみんな「きまり」を守って生活していること
・小学校は、そういう大人になる勉強を始める場所でもあること
・「きまり」を守らない大人になると、最後は大変なことになること
・だから「思い通りにならないことがあっても、がまんしたり頑張ったりする」ことも練習しなくちゃならないこと
・でも、今朝は怒ったり泣いたりして、自分の思い通りにしようとしたこと
・その結果、1人で登室する羽目になったこと
・自分が悪かったんだから、我慢して、頑張って登室しなくちゃいけないこと
とにかく「自分の思い通りにならなくても、すぐに怒ったり泣いたりして自分の主張を通そうとしてはいけない」ということと、「自分が悪いことをしたから、自分にとって不利益となる結果を招いた」という因果関係を分からせないといけないと思って、こんこんと諭した。自分なりに懸命に話した。細かいたとえなどはすぐに頭から抜けてしまっただろうが、とにかく「悪いことをしたから、嫌なことでも頑張らなくちゃいけない」ということだけは呑み込めたようだ。
5月の交通事故(とは言っても、かすり傷だったのだが)がトラウマになっているのか、「怖い!一人じゃ行けない!」と繰り返すので、「何が怖いの?」と尋ねてみると「車に轢かれるのが怖い」と答える。妻からも「一人じゃ危ないから、おばあちゃんに連絡して連れて行ってもらって」という電話が入っていたのだが、自宅から僅か数百メートルの距離だし、交通事故を起こしたような交通量の多い道もない。ここは気分を切り替えさせた上でしっかり「自分が悪いことをしたから、こうなった」ということをかみしめて登室させようと考えた。
「大丈夫。こちらが気を付けていれば自動車はぶつかってこないよ。交差点ではきちんと左右を見ること。信号を守って、道を渡るときは車の運転手さんから見えるように手を挙げてね。それでも突っ込んでくる車がいたら、よけなさい。でも、そんなことはまずないから」と言って落ち着かせた。
「魔法の水、飲むか?」と尋ねると、泣き疲れてのども渇いていたのだろう、「飲む」というのでコップに水を入れて飲ませた。「この水を飲むと、ちゃーんと1人で学校まで行けちゃうんだぞ」と言って、飲み終わったところで抱っこする。まあ、まだまだ赤ちゃんに毛が生えたようなものだしなあ。いろいろ自分の気持ちをコントロールしかねることもあるだろう。大人だってそれは難しいことではあるし。
「よし、大丈夫。これで行けるぞ。気をつけて歩いていれば、大丈夫だから」というと、コクンとうなずいた。リュックに持ち物を詰めさせ、松葉づえをついて玄関まで送る。
げた箱をトントンと叩いてみせて、「こういうおまじない、知ってる?出発前に何でもいいから木で出来ているものをトントンッて叩いておくと、元気に帰ってこられるんだって。やってごらん」と言った。touch woodというやつで、正確にはそんな複雑な意味はなく、単なる魔除けなのだが、まあ気分が変わってくれればいい。社長は殊勝にげた箱を叩いていた。
「よし、じゃあ最後にお父さんに『タッチ!』して」というと、ようやく笑顔を見せてハイファイブ。「窓から見てるからね。手、振ってね」と言って送り出した。窓から見ていると、泣きもせずトコトコと歩いて、そのうちこちらに気づいて手を振ってきた。
やがて社長が視界から消える。そこから先は、彼女自身が頑張って進んでいくしかない。でも、いつまでも何でもかんでも親が見守れるわけではないのだから、こうやって少しずつ冒険もさせないといけないだろう。
親としても、ある程度の覚悟は必要だ。最低ラインとしては、とにかく命さえ守れれば良い。欲を言えば、不可逆的な怪我を負わなければ幸いだと思う。
いろんな意味で、社長にとっての幼年期の終わりが来ているのだと思う。出来ればお尻をひっぱたくことなく、いろんな話を伝えられれば良かったなあ。どこまでが「しつけ」で、どこからが「親の自己満足」なんだろうか。複雑な気分でベランダから見上げる夏の空は、どこまでも青いのだった。