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傲慢な涙

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

古市憲寿氏の「希望難民ご一行様」を読了した。ピースボートに乗船した大学院生が書いた修士論文を元にした本なのだが、実に面白かった。読書ノート的なものはまた後日書くとして、なるほどと思った点に絞って記したい。

最近の学生は、とにかくよく泣く。簡単に涙を見せる。それに対して違和感を感じていたのだが、その違和感に対して「だから、ああなのか」と腑に落ちる記述が、この本にはたくさんあった。T&Iの学生たち全員との面談をやらないとなあ、と思う。

話の前提として、現代は価値観が多様化し、どうやってもとりあえず生きていけるので、「自分が何をしたらいいのか」「自分は何者なのか」という疑問を抱え込みやすい、という状況がある。そんなことを考えて鬱々していても、猛獣に食べられることも餓死することも、まずあり得ない。

そして、そうなっている若者に対して具体的な目標を提示してやると、それに「はまる」。それがピースボートという空間だったり、そこで盛んに説かれる思想だったりするわけだ。

この場合、その思想の内容などはあまり問題ではない。同じ空間を共有する人たちで、「そうだよね、その通りだよね」と言い合えればいい。そのためには、なるべく最大公約数的な、だれも反対を唱えられないような思想のほうが好都合だ。ピースボートの場合、それは「世界平和を願う」という形をとる。

「打ち込める何か」を探している人間に、うまくその「何か」を提示してやるわけで、この辺りは語弊がある言い方だが、信仰宗教の勧誘のようなものだろう。

そして、その「提示された何か」は、その人にとって、「世界」と同義語になってしまうのだ。しかも、だれからも傷つけられない、同じ想いを共有する、居心地がよくて楽しい「居場所」……。

で、問題はその「提示された何か」に対して、自分とは違う価値観を抱いた人が出現した場合だ。さあ大変。自分の「世界」が否定されちゃう!自分の「世界」を守るため、立ち上がって戦おう!……という展開になるかと思いきや、そうではない。

泣くのだ。「怒りの言葉を投げかけはせず泣いてしまう」(p.181)そのような若者の特徴を、古市氏は「共通するのは『異質なもの』に対する耐性の弱さである。」(p.181)と見ている。

もう少し引用を続ける。

「彼らに共通するのは、『想い』さえ通じ合えれば、『わかってくれる』という期待である。そこに『想い』を共有しない他者の存在は想定されないし、だから他者との合意形成の過程も想定されない。(中略)『想い』が届かない相手に対しては、対話や討議によって妥協点を見つけようとするのではなく、一方的に悲しんで終わってしまうのである。」(pp.202-203)

また、209ページにある表を見ると、ピースボートに乗船した若者は同年代の若者に比べて、自分に自信がなく、自分のポリシーは確立していないのに、自分のやり方は崩そうとしないことが分かる。

だから「群れる」のだ。「俺ってこれで良いよな」「どう生きるかなんて、みんな分かってないよね」と、お互いに言い合うことで安心を得る。浅くて脆い関係性だと思う。

まあ、「大人」だって、僕だって似たようなものかもしれない。居酒屋で愚痴をこぼすのなんか、それに近いのかもしれない。しかし大きな違いは、「大人」は数時間後には居酒屋を出て、翌日には働きに行く。「居酒屋に居る」のを目的にしたりはしないということだ。「いいや、俺一生ここで酒のめりゃ」という「大人」は、基本的にはいない(そういう行動をとる人もいるけれど、それは「大人」の行動とはみなされない)。

甘えてちゃいけない。「私がこんなにも『大切な想い』を持っているのに、なんで分かってくれないんですかぁ」って泣かれても、やっぱり分からないよ。バイトにかける意気込みも、クラブ活動に打ち込む情熱も、それそのものはわかるけれども、「学び」を犠牲にしていいと判断する理由は分からない。

「理解してもらえなくって悲しい」って泣くのは傲慢だ。相手からの一方的承認を強要する行為だとも言える。赤ちゃんじゃないんだし、「言葉」を学んでいるんだから、しっかり自分の「想い」を言葉にして相手に伝え、それに対する相手の「想い」も理解する努力をし、分からない部分は問いただし、伝わらない部分は補足しなきゃ。

そうやって築いた「関係」だからこそ、より確かなものになるんじゃないの?相手を鏡にして、自分のこともよくわかってくるんじゃないの?そういうのが本当の「自分探し」じゃないの?砥石もなしに、自分が磨けるの?

……なーんて問い詰めるから泣いちゃうのかなあ。でも、「どうしたの?まあ座って」っていうだけで泣かれることもあるし。

泣くんじゃない。話そう。お茶の一杯ぐらいは淹れてあげるから。クッキーの一枚ぐらいは出すから。

そのぬるま湯に浸かりつづけることは、「今のままじゃダメなんだ」という気付きから自分を遠ざける。悪い自分を無理やり延命しているだけにならないかい?

自分の足で、転びながら歩いて行きなさい。どこに向かって進むかは、僕にはわからないし、それは君らが考えないといけないことだけれど。僕には背中を押してやることしかできないけれど。

息子たち、娘たち、どこへなりと、力強く歩き続けて行ってくれ。そのためにも、話そう。結論が出なくてもいい。そのプロセスから何かを学び取って、推進力に変えてほしいのだ。

……というような「暑苦しい」ことを、どうやってオブラートにくるんで飲み込んでもらおうかなあ。ま、とにかく面談の告知をして、11月第3週までには35人全員と話を終えていたい。僕自身も前に進まねば。

Written by

記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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