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通訳者として、教員として、父親として

いぬ

通訳・翻訳者リレーブログ

12月某日

午前中、通訳コンテストに出場する学生たちの勉強会に顔を出す。今年は合宿もしてやれず、レポートの募集も後手後手に回った。非常に申し訳ない。しかも、急に決まった勉強会だったので、そのあとに家族のイベントが入ってしまっており、2時間にも満たない指導で電車に飛び乗り、アサヒビール本社に向かった。

今日は父親と子供の料理教室。パエリアとフルーツポンチとポテトサラダを作る。僕と社長(娘)と係長(息子)が料理をしている間、妻はクリスマスオーナメントの作成だ。

料理自体は、一番大変な下ごしらえはみんなしてあり、実際に包丁を使ったのはフルーツポンチ用の果物を切る時ぐらいで、後は材料を混ぜたりいためたり注いだりしていれば良かった。料理の一番楽しい部分だけを残してあり、うまい演出だなあと思う。

企業がこういう文化活動に力を入れるのは、非常に大事なことだと思う。ノブレス・オブリージュとしての企業の社会還元活動とでも言ったらいいだろうか。単に「金儲け」だけに傾注していては、おのずとその儲けの限界も来てしまうのではないか。一方的な搾取のような形だけでは利益は生まれ続けないだろう。

「持てる者」としてできること、やらなければいけないこと。それを意識していくことが大切だと思う。不況にあえいでいるとはいえ、日本はまだまだ豊かな国なのだから、それなりのノブレス・オブリージュがあるのではないか。アジアに対しても、世界に対しても。

そして、僕自身もまだまだ未熟とはいえ、一応は指導者の立場にあるのだから、もっともっと自分の知りえたことを教え子だけではなく社会全体に還元していかなくてはいけないな、と思う。自分を超えていく人材を育成せねば。

料理自体は実にスムーズに進み、子供たちも楽しんでいた。地ビールもたっぷりいただいて、帰りに浅草寺も一家で訪れて帰宅。

話は変わる。

以前、通訳の授業で夜回り先生こと水谷修氏の講演(というか、TVでのお話)を使ったことがある。Youtubeに5つに分割されてアップされていたものの、1番最初の部分を使ったのだが、今朝通勤途上で残り4本を聞いてみた。

壮絶だ。徹底的に生徒に向き合い、受け入れ、自分のすべてを注ぎ込む。

誰にでもできる「教育」ではない。いや、水谷先生だからできたのだろう。何がそこまで氏を突き動かすのか、いろいろなエピソードは語られているが、その原動力のようなものはいまだによくわからない。

「子供は傷ついている。救いとして薬物や自傷行為、援助交際や自殺などにすがる」というお話は、聞いていてなるほどと感じた。

しかし、だ。

そういう子供たちがいることは事実なのだが、それを普遍的な事実と認識しても良いものだろうか。水谷氏を批判したいのでは毛頭ない。が、どの子どももそのような深い苦しみを抱えて生きているという前提で接するべきなのだろうか。

水谷氏の話を聞いていると、そういう子供がマジョリティーだと受け取れるが、本当にそうなのだろうか。

確かに、NHKに行く途中で通過する、渋谷のセンター街にたむろする子供たちは、おそらく水谷氏の言うとおりなのだろうなと感じる。

だが、そういう子供たちは、全体のごく一部なのではないだろうか。ごく一部の子供たちに関する「真実」をすべての子供たちにあてはめてしまってもいいのだろうか。疑問に感じるのはその点だ。

スタジオに集まった子供たちやお母さん方も、水谷氏の話に涙を流していた。しかし、どうもその涙が軽く思えてならない。水谷氏の話は、人間として本当にギリギリのところで必死に生きている人たちが、どうしようもなく窃盗に手を染めたり、薬物依存から抜け出そうとして果たせずに命を落としたりという内容だ。

話の途中で水谷氏が随時、「身近で薬物に手を出した人を知っている子はボタンを押して」などと声をかけ、その人数が表示される。それを見て「ほら、実際にこんなに深刻な状態は広がっているんですよ」と言う展開になるのだが、もし自分と何らかの関わりがある話だと思ったら、そう簡単に泣けるものだろうか。むしろ身につまされて慄然とするのではないだろうか。ボタンを軽々しく押せないのではないか。逆にいうと、本当に泣きたくなるような人が、そもそもスタジオに収録に来るのだろうか。

僕の主観だからいくらでも突っ込みどころはあると思うが、どうも研究室で泣き出す学生と同じにおいを感じて仕方がなかった。

確かに、ギリギリで生きている子供たちには、「受容」が必要だと思う。それも徹底的な。しかし、ほとんどの子供たちに必要なのは、良い意味での厳しさというか、ルールの確認作業のようなものではないか。

しかしなあ、物質的にはこんなに豊かなのに、なぜこんなに精神的に寒々としていなくてはいけないのか。

いろんな人たちの心と心をつなぐ。そんなお手伝いがしたいものだと思う。

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記事を書いた人

いぬ

幼少期より日本で過ごす。大学留年、通訳学校進級失敗の後、イギリス逃亡。彼の地で仕事と伴侶を得て帰国。現在、放送通訳者兼映像翻訳者兼大学講師として稼動中。いろんな意味で規格外の2児の父。

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